130.至高の品


「すみません……お恥ずかしい姿をお見せしました……」

「いや、俺こそ色々とゴメン……」


 微かに顔をのぞかせていた太陽がスッポリと遠くの山に隠れて真っ暗になった街角。

 俺たちは駅からほど近い自動販売機の脇で壁に寄りかかりながら隣り合っていた。

 手には彼女から(力技で)奢ってもらった缶コーヒー。プルタブをひねったはいいがまだ口につけていないそれで手を温めながらチラリと彼女に目を向ける。


 隣には温かいお茶を口に運び白い吐息を吐き出す麻由加さん。

 ここに来るまでの道中勘違いやら色々あったりしたがなんとか落ち着いた。

 キス……という件も若葉や灯火とは違う、好きな人からのキス。本来なら飛び上がって舞い上がりたいところだがそこをなんとか抑えて平常心で視線を戻す。


「飲まないんですか?」

「えっ?」

「コーヒーです。好きだとお聞きしてましたが、もしかして気分ではなかったり……?」

「あぁ、ゴメン。ちょっと手を温めてただけ。すぐ飲むよ」


 そんな事ない、と俺は慌てて一切つけていなかったコーヒーを口に運ぶ。

 途端に口内に溢れる缶コーヒーの香りと苦味。豆から挽いたものには負けるがこういうのもなかなかいい。

 更に麻由加さんから奢ってくれたものだ。美味しくないわけがないだろう。

 ……あれ?でもこれ、なんだか舌が覚えているような――――


「………どうでしたか?その、私のファーストキスの味は?」

「――――カフッ」

「ひゃっ……!わっ……!す、すみません突然!?大丈夫ですか!?」


 途端―――。

 俺がコーヒーを飲んでいる最中にとんでもない質問をされたことで思わず口から逆噴射してしまった。

 慌てて取り出してくれるティッシュを受け取りながら二次災害はなかったことに安堵する。


 そうだ。思い出した。なんか舌がこのコーヒーの味を覚えていると思ったらそういうことか……


「ど、どうって……」

「その、キスはレモンの味とよくお聞きしますので……! 私はその、あの時はいっぱいいっぱいで感じる暇もなく……」

「俺もよくおぼえてないけど、多分……コーヒーの味、だったかな」

「コーヒー? ぁっ……。そういえば私、直前に缶コーヒーを飲んでたから……」


 だからか。

 俺の舌がこのコーヒーを覚えていた理由。それは彼女とのキスの時にその味も伝わっていたから。

 キスの味はレモンの味……ではなくほろ苦いコーヒーの味。しかし、コレに口をつける度にそのことを思い出して……って駄目だ駄目だ。そんな事考えてると顔の暑さが止まらなくなる。


「麻由加さんがコーヒーを? 那由多さんはダメだったのに」

「那由多は苦いもの苦手ですから。 私も少し抵抗ありますが飲めるんですよ?何度も飲んで練習しました」


 練習?なんでそんなものをわざわざ……。

 そう聞こうとしたものの、俺の開いた口は声を発することは無かった。

 代わりに漏れたのは驚くような吐息。互いに壁に寄りかかりながら正面を向き合っていた俺たちだったが突然コテン、と麻由加さんの体がこちらに倒れ込んできて頭を肩に乗せてきた。


「コーヒーの香りは好きなんです。だって、陽紀くんに包まれているような気がして」

「麻由加さん…………」


 それは何よりも俺を喜ばせる言葉だった。

 普段コーヒーを飲んでいる俺はその匂いを纏わせていることも自覚していた。

 疎まれるかとさえ思ったことのあるそれが、まさか好いてくれていただなんて。


 麻由加さんから来る突然の甘えてくるような仕草。

 そしてこちらに顔を向けてパチっと目が合ったかと思いきやニッコリ笑って身体を起こしてみせる。


 壁からも離れ、俺と向き合うように立った麻由加さん。

 彼女のコレまでとは違う、自信に満ちた笑顔に見とれていると、ピッと自らの口元を指差してみせる。


「陽紀くんはモテて沢山の人とキスしてきたと思いますけど、私の大切なものを捧げたんですから。これからの人生、どうぞよろしくお願いいたします」

「これからの人生って……もしかして……」

「さぁ?その意味については陽紀くんの解釈におまかせします。ですが私は陽紀くんが思っている以上に重い女ですから。さっき捨てなかった以上逃げられると思わないでくださいね?」


 チュッっと――――。

 今度はその口元にやった手をこちらに捧げ、投げキッスをしてくれる麻由加さん。


 しかし自分でも慣れていない行為だったのだろう。

 その行動はぎこちなく、そしてしばらく互いにフリーズしたかと思えば自販機の光に照らされた彼女の顔がどんどん紅く…………


「そ、それじゃあ私はこれにて失礼しますねっ! ここまで送って頂きありがとうございました! それではっ!!」

「ぁっ…………」


 キャパオーバー。そう評するのが最も適切だろう。

 顔の紅さが首元から頭の先まで到達したところで麻由加さんはバッグを抱いて逃げるように駅の方へと走っていく。

 俺の返事を待つことなく去る麻由加さん。そんな彼女を見送って俺は1つコーヒーを傾ける。


「色々と反則だよ……麻由加さん…………」


 そのブラックコーヒーは、最後までキスを思い出せるほど甘い味だった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




 ――――これは、麻由加が勇気を出して暴走してから数日経ったあとの余談。


 人気の無い喫茶店。

 そこには二人の少女が意味深な表情で座っていた。

 一人は赤縁メガネと茶色の髪が特徴的な女の子で、もう一人は金青の髪を惜しげもなく晒した可愛らしい女の子。

 互いに向き合って座っていた両者だったが、ふと頷き合ったかと思えば茶髪の少女はスッと自らのスマホを向かいの少女に渡してくる。


「おぉ……!おぉぉぉ……!!これは……これは至極の一品だよっ………!!」


 それはまるでお宝を見つけた海賊のように。

 祭具を扱う神主のように。

 スマホを見た金青の少女はまるで崇めるように天高く掲げ、目を輝かせながら涙を流さんとする勢いで至高の品に涙する。


 スマホ自体が特別ではない。問題はそこに表示されている中身。

 ディスプレイに映っているのは、夕焼けに照らされた男の子が腕を枕にしてだらしなく眠っている姿だった。

 まさに普段見ることのできないお宝。それを目の当たりにしたことで金青の少女……若葉は感動に震えている。


「喜んでもらえて良かったです」

「ホントだよ……!陽紀君ったら全然スキ見せてくれないからさ~!」


 そう金色の少女―――若葉が嘆くのも仕方ない。

 風邪を引いた日こそ無防備だったが、一緒に暮らしている彼女といえど寝ている姿を見ることはほとんど叶わない。

 妙に警戒心の高い少年。若葉が部屋に入ると一瞬の内に目を覚ますからだ。

 唯一チャンスがあったのは若葉の実家に泊まった日だろう。あの時寝顔を堪能しまくったものの部屋は暗くてよくわからないから写真は撮れなかった。だからこそ夕日に照らされて鮮明に映る写真は貴重だった。


「――――麻由加ちゃん、これでどうっ!?」


 そう言って若葉が立てたのは三本の指。

 それを見た茶髪の少女……麻由加も笑って頷いてみせる。


 これは若葉が写真を手に入れるための交渉。

 麻由加は本来、写真をタダであげるつもりであった。しかしここで「タダでいい」と言うと若葉の気がすまなさそうだと感じ取って言葉を飲み込む。

 この世はギブアンドテイク。ただより高いものはない、のだ。


「ありがとう麻由加ちゃん……」

「いえ、こちらこそ……若葉さん」


 そう両者はどちらからともなく立ち上がって固い握手を交わし、友情の誓いを立てるのであった。





 更にここでさらなる余談。

 若葉が立てた三本の指。その正体が麻由加の想像していたものより桁が違って驚愕の声をあげるのは、また別のお話である。

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