129.二人目ではなく


 赤々と神々しく輝いていた太陽も今はなりを潜め、遠くに消え去ったお陰で街が薄暗くなった頃。

 道行く俺たちの足元には影が見当たらず、暗闇に紛れるように住宅街を歩く俺と麻由加さん。

 両者ともに肩を並べているがその間に会話はほとんどなく、二人とも視線を交わせないようそれぞれ反対方向へ顔を背けながら歩いていた。


 これは俺が放課後までギリギリ耐え抜いた眠気を勝ち誇るように倒れ込んでからしばらくのこと。

 髪や手に触れる何かの感触にこそばゆく思いながらも夢の世界に浸っていたら、不意に世界に帳が降りてきて唇に柔らかいものが触れてきた。

 最初はなんのこっちゃと、どんな夢を見ているのだと悠長に構えていたがあまりにも長い。いざ二回も感じたとなるとさすがの俺でもおかしいと思い夢の世界から脱出してみせた。


 そこで俺が目にしたのは目と鼻の先で触れるくらいの…………むしろ触れにきている麻由加さんの顔があった。

 あの時は寝起きで心底良かったと思っている。もしも意識が覚醒していればパニックになって叫び、のけぞり、椅子から落下の三コンボで麻由加さんに多大なショックを与えていたことだろう。

 働いていないが故に冷静だった俺はふと目を開けてきた麻由加さんとパチクリ視線が正面衝突。


 ――――そして今だ。

 あの後スッと距離を取った俺たちは何を言うわけでもなく…………いや、何も言うことが出来ず逃げるように二人して教室から立ち去った。

 本来ならば学校を中心にして反対方向にある俺と麻由加さんの家。けれど無言でついてくるのが認められたのは僥倖だろう。今ここで別れてしまえば明日大変なことになる。それは火を見るより明らかだからだ。


 しかし一緒に帰ってると言ってもあまり猶予は残されていない。

 おそらく最寄り駅までの10数分といったところ。

 俺はそれまでに何を言えばいいか必死で考える。あの柔らかさは……いや、直接的すぎる。何してたの……いや、それも論外だ。それなら――――


「「あのっ………!!」」

「「ぁっ…………」」


 しまった!!被った!!

 なんと間の悪いことか。何を口にしたらいいか必死に考えながら声をかけたものの、よりにもよってタイミングがバッチリ合ってしまう。

 そして何かのテンプレのように「どうぞ」という応酬が続くが必死の俺の抵抗に観念したのか麻由加さんは「では……」と言葉を続けてくれる。


「……すみませんでした」


 それは第一声から謝罪。

 しかし先程の行動、そして麻由加さんの性格から考えたら容易に想像できること。

 想像できたが故に、謝らなくていいのにと少し寂しささえも感じてしまう。


「それはもしかして、さっきのこと?」

「はい……。その、陽紀くんが寝ているところを見たらなんだか……我慢できなくて……。ですが許されることではありませんよね。すみません」


 そう言って道端ながらに立ち止まって綺麗にお辞儀をする姿は完璧だった。

 そして顔を上げた時に浮かべた表情は、笑顔。下唇を噛み決して本当の表情を悟られないように浮かべる無理な笑顔を見て、俺がグッとその手に力が籠もる。


「麻由加さ―――」

「陽紀さんも、軽蔑しましたよね。こんな一方通行で重い子って。今ならいいんですよ? あの時言ってくれた私への気持ちを取り消しても………」


 それは彼女の精一杯の言葉だった。思ってもいない言葉を並べ、俺の気持ちを優先するように自分の気持ちを押し殺しながら。

 しかしその作った顔も長くは持たなかったのか、すぐに顔を伏せてしまう。


「すみませんいきなり……。お送りはここまでで構いませんので。それでは失礼しま――――」

「待ってっ!!!」

「―――!?」


 そのまま彼女はグッと肩に掛けたバッグを強く握りしめ走り去るように駆け出したところで、俺は彼女の腕をギュッと握りしめた。

 逃さないように。このままだと後悔する。そんな気持ちを抱えながら。


「な……なんでしょう陽紀くん。私のことはお気になさらず。明日になればまたいつも通りなので……」

「麻由加さん……俺、やっぱり麻由加さんのことが好きだよ」

「っ……!」


 あの日言った俺からの気持ち。それは好きだという言葉。

 そんなもの取り消すわけがない。たとえ麻由加さんに言われようが俺の心は俺のものだ。


「でも……こんな重い女ですよ? 自分を抑えきれなくて今日も陽紀くんにあんなことしちゃいましたし……」

「俺も麻由加さんのこと好きだから問題ないよ」

「でも、大切なファーストキスですよ?それが……あんな……」

「……………」


 そんなことなど俺にとっては些事。全く問題ない。

 この思いを伝えようとしたが、続けざまに出てきた彼女の言葉に俺も詰まってしまった。


 今彼女が抱えている根幹はそれが占めているのだろう。

 ファーストキスなのだから特別なものに。たしかに俺もその気持はよく分かる。でも……うん…………。


「麻由加さん……」

「陽紀くん……?どうしたんですか?そんな真剣な顔をして……」

「麻由加さんに今、どうしても伝えておかなきゃならないことがあるんだ」

「…………はい」


 彼女の想いは伝わった。ならば俺も言わなければならない。

 しかし言うにはどうしても緊張して顔がこわばってしまう。グッと堪えながら真剣な顔をして麻由加さんと向き合うと彼女も戸惑いつつも次第に俺へと視線を交わしてくれる。


「……わかりました。覚悟は出来てます。なんでも……言ってください」


 彼女も深呼吸して覚悟を決めてくれた。

 さぁ言わなきゃ……。言わずに黙っていたらどんどん事態が悪化してしまう。だから今のうちに…………!


「――――ゴメン!俺、初めてじゃなかったんだ!」

「……はい。わかりました。こんな私に失望するのも仕方な――――初めてじゃない……!?もしかして陽紀君、もう経験を…………!?」

「えっ?」


 それは力任せに右ストレートでぶっ飛ばされること覚悟の告白。

 しかし彼女の口から出たのは理解が思わぬ方向へ吹き飛んだ不可思議な返答だった。


 経験……経験……もしかしてそっちの意味!?

 最初は意味分かんなくて呆けた声を出してしまったが、どういう意味とも取れる予想の乱立に変な空気が間に流れる。


「えと……だから……。キスの話だけど、ゴメン、俺、ファーストキスじゃ無かったって話で……」

「そう、なんですか?よかったぁ。 ………ではなく!私に失望したって怒るところじゃなかったのですか?」

「そんな事するわけっ!ずっと言ってるから!心は変わってないって!」


 どうやら俺たちの間に認識のズレが発生していたよう。

 よかったって、まさか彼女は本当にそっち方面の予想を……?いや、聞くのはよそう。あとが怖い。


 俺の必死の説得が功を奏したのか彼女は「そうなんですね……」と理解したように息をつき、そして恐る恐るといった様子で問いかけてくる。


「若葉さん……ですか?」

「うん……」

「やっぱり……」

「でも事故みたいなものだからね!今日みたいに、寝てる時にいつの間にかって感じでっ!」


 そう、アレは事故みたいなものだ!丸々今日の麻由加さんへのブーメランになるけどそれはそれ、これはこれ。


「それでも私は二人目……それをカウントしないにしても、陽紀くんにとってはやっぱり大切なものでは……!」

「…………いや」

「えっ…………」


 彼女の続けざまに畳み掛けてくる言葉に俺はスッと視線を逸らす。

 二人目……うん……二人目ね…………。


「二人目ですら、ない……?」

「……うん。実は東京行った時に、ファルケに不意を突かれて……」

「―――――」


 それは記憶に新しい2日前のこと。

 東京に着いた途端ファルケに連れ去られ、あまつさえキスまでされてしまった。

 もはやキスのバーゲンセールとまで思われただろう。その事実を目の当たりにした彼女は目を丸くしたままフリーズしている。


「い……いいい……いいんです……わ、私だって寝てる時にキスして同じ立場ですし……心の奥底ではファーストキス同士とか思ってなんか……悔しい気持ちなんて……全然…………」

「麻由加さん!?心の声ダダ漏れだよ!?それにここ道端!!」


 ガクンと。文字通り膝から崩れ落ちた麻由加さんは地面に手を付きそのまま放心状態へ。

 その様子はまさしくマラソン中に松本さんから発せられたデマによって崩れた俺のよう。

 そんな俺達の間には先程のシリアス・・・・な雰囲気は何一つなく、シリアル・・・・な雰囲気を伴って彼女に駆け寄るのであった。

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