117.雪降り槍降り


「――――嫌な予感がして珍しく早く帰ってくれば珍しい靴があり、何してるのですか貴女は…………」

「あ、ママ。お帰り~」


 柔らかなソファーにいつの間にか流れていたジャズ系の音楽。

 そして窓から差し込んでくる暖かな光につられてうつらうつらと夢の世界と現実世界の狭間を旅していると、突然そんな声が聞こえてきた俺の身体は大きく震えた。


 急いで状況を把握するために辺りを見渡すとそこは見知らぬ部屋。

 無機質かつ生活する上で無駄な物が無いながらも質は良い、まさに整理整頓されきった良家の一室であり、扉近くには見覚えのある顔があった。

 セミロングの金青の髪。足元まであるロングコートを見事に着こなした彼女はまさに"大人の女性"を体現したような凛々しい人物。

 彼女こそ、以前一度だけお会いしたことのある大女優、足立 咲良さんだった。


 本名、水瀬 咲良さん。その名の通り若葉の母親。

 そんな日本を代表すると言っても過言ではない彼女が目覚めた瞬間目の前に現れたことに驚き、俺は思わず勢いよく立ち上がる。


「す、すみません!お邪魔してます!!」

「――――ヒャァッ!!」

「………? あれ、若葉?何して……?」


 そんな俺の行動。思い切り立ち上がった瞬間、足元でそんな短い悲鳴が聞こえてきた。

 何事かと目をやれば若葉が何故か地面にへばりつく感じでうつ伏せになっている。


「………ホントに何してんの?」

「む~! 陽紀君が突然立つもんだから落っこちちゃったの!!」

「え、そうだったのか? ゴメン」


 そういえばウトウトする前そんな感じだった気がする。

 抱きついてくるから引き剥がそうとしたけど諦めたんだっけ。あぁ、段々と思い出してきた。


「落っこちちゃった、じゃありません。寝ている陽紀君にへばりつきながら胸元に顔を押し付けて、変態行為をしていたのですからバチが当たったのです」

「ヴッ!!」


 無慈悲な真実に若葉からダメージを負うようなくぐもった声が。

 何してるかと思えばそんな変態行為を…………あれ?それ最近の若葉いつもやってない?これはいつも通りって捉えていいの?変態って言うべきなの?


「で、でもでも!陽紀君嫌がってないしこれまで何度もやってきてるし!!」

「だからといって内心どう思われてるかわからないでしょう。もしかしたら取り返しのつかないくらい嫌われてるかもしれませんよ?」

「うっ……うわ~んっ! ママがいじめる~!!」

「よしよし…………」


 言葉には言葉で対抗していた若葉だったが、完膚なきまでに滅多打ちにされてしまい最終的には俺にまたも抱きついてきた。

 咲良さん強し。「また……」と言って呆れられているが甘えてくる姿見ると頭撫でてしまう俺も悪いのかもしれない。


「えと、俺は嫌と思ってないので、そのくらいにしておいてもらえると……」

「陽紀君は優しいのですね。どうです?若葉をそちらの家にあげますので、私の家の子になりませんか?」

「それはちょっと……」


 つまりは子供のトレード。それは……うん。雪が阿鼻叫喚地獄に陥りそうだな。

 でもこの家の子だったら色々不自由しなさそうだなぁ、なんて。


「えっ!?私が陽紀君の家の子になるの!?なるなる!!」

「その場合陽紀君はウチの子になるので、何があろうと若葉にはあげませんけどね」

「うわ~んっ!!」


 見事な追撃。

 さすが母親。娘のウィークポイントをわかってらっしゃる。

 泣きつきながらのタックルに押された俺はそのままソファーに座り込む。若葉もやられるのわかってるんだから対抗しなきゃいいのに。


「あの……咲良さん…………」

「シッ……!」

「っ!!」


 冗談も一段落し、俺と咲良さんと向かい合う。

 俺が彼女を見て真っ先に思い出したのは以前ウチに来た日のことだ。

 春になったら東京まで来いという件。その件について問いかけようとしたがすかさず彼女が自らの口元に人差し指を持ってきたことで俺も言葉をせき止める。


「…………」

「…………」


 互いに無言で。チラリと彼女の視線は若葉の方へ。

 なるほど。若葉の前ではしたくないわけね。おそらく若葉本人には内容がバレてしまっているが、それを教えるのは俺としても気が引ける。今回のところは話題に挙げない方向ということでいこう。


「……それで陽紀さん、本日はどうなされたのです?わざわざ東京まで来るだなんて珍しい」

「は、はい。少し仲間に……ゲームの友人と会ってまして。その用事が終わったので若葉さんの案内でお邪魔させてもらってました。勝手にすみません」

「陽紀君でしたらいつでも大歓迎なのでお気になさらず。 ……ところで陽紀君、これからの予定は決まっているのですか?」

「これからですか? 特に決まってませんが、適当にお土産買って日が落ちる前に新幹線にでも乗ろうかと……」

「えっ!? 今日もう帰っちゃうの!?」


 そりゃあ、居たところで特にすることも無いしなぁ。

 ホテルを取ろうにもお金が高い。そしていざ観光といっても正直どこ見て回ったらいいかさっぱりだ。

 本当に行きたいところは予算の問題があるし、それだったらさっさと帰って日曜ゆっくり英気を養うのもいいだろう。


「もしかして、明日何か用事でも?」

「いえ、それは全然。寝るくらいしか」

「そうでしたか。でしたらウチに泊まっていきませんか?」

「……ここに、ですか?」

「!! そうだよ陽紀君!それが良いよっ!!」


 若葉、ステイ。

 顔のすぐ近くで目を輝かせるものだからそっと肩を持って隣に移動させる。


 しかしこの家にか……。良いのか?いろいろと。

 主に許可。父親とか父親とか父親とか。ひとつしかない?知らない。


「お父さんは今夜都合のいい………オホン、残念ながら不在なので、家には私しか居ないのです。でしたら陽紀君が居たほうが私としても話し相手が出来て嬉しいのです」

「あれ?ねぇママ、私もカウントされてるんだよね?」

「あら、若葉もウチに泊まるのでしたか? てっきり一人で帰るのかと」

「も~!! 私だって泊まるよ~!陽紀君がいるとこ私あり!だよ!!」


 それ、ちゃんと俺のプライベート確保されてるよね?

 なんて冗談は聞き流しつつ今一度考える。明日は休み。今夜泊まればゆっくり観光の情報収集もすることができる。

 何より大きいのがホテル代が浮くということだ。それは確かに、魅力的な提案かもしれない。


 なぁに、いくら水瀬 若葉危険因子がいるといっても母親の咲良さんもいるんだ。変なことにはならないだろ。


「咲良さんがいいのであれば是非お願いしたいです」

「勿論。むしろ私の方からお願いしている程ですので。 そうと決まれば、今日の夕食の準備をしなければいけませんね」

「咲良さんが作るのですか?お手伝いさんナシで?」


 荷物やコートを降ろしながら動き出す咲良さんに俺は思わず問いかけてみる。

 咲良さんの手料理!?まさかの!?


 こんな豪邸に住んでいるものだからお手伝いさんの一人や二人雇っているものかと思っていた。

 しかし同時にしばらくリビングにいて物音どころか気配すら無いことも気になっていた。

 俺個人としてはお手伝いさんという存在が自体あり得ないが、麻由加さんの家に居たことを考えると若葉の家にいるのも当たり前かと思っていた。


「ウチはそういうの雇ってないの。ママが身内以外を家に入れることを嫌っててね。だから家事とかは全部パパママがやってるんだ」

「だからか…………」


 ようやく立ち直ったのか若葉の補足に俺はようやく納得する。

 そして同時に、若葉も家で練習すればいいのにという言葉も頑張って飲み込んだ。


「あ、ママ待って! 私もお料理手伝うっ!!」

「――――!?!? っ………!!」

「はれ……?ママ……?」


 荷物を降ろし身軽になった咲良さんがキッチンと思しき部屋の奥に行くのを見守っていると、隣に居た若葉も手伝うと言って声をかける。

 …………が、それを聞いた咲良さんは大きく身震いしたかと思いきや血相を変えて俺の背後にある窓まで走っていって勢いよくレースカーテンを開く。


 突然なに!?洗濯物かなにか!?


「槍は……降ってないみたいですね」

「………もしかしてママ、私が料理するのがありえないって思ってる?」


 ……なるほど。そりゃ咲良さんも驚くよね。


 どうやら咲良さんは料理を作ると言い出した若葉の言動があり得ないものだと感じ取ったようだ。

 以前包丁を天高く掲げてから振り落とす姿を見た覚えもあるから、その驚きようもわかる気がする。


 それにしても槍て。つられて天を見上げたけど残念ながら快晴だった。


「いえ、決してそんな事はありません。明日の天気は……晴れ。明日も槍の予報は無いみたいですね」

「も~! 絶対思ってる~!! お料理するんでしょ!早くいくよっ!!」


 若葉ははスマホで天気予報を確認しだす咲良さんの背中を押して今度こそキッチンへと向かっていく。


 それは若葉と咲良さんの初めて見る親子らしい姿。

 芸能人家族と言っても結局のところ何も変わらないのだなと、2人の後ろ姿を見て笑みが溢れるのであった。

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