116.二段構え


 アイドルとして日本にその名を知らしめた少女、若葉。

 そしてその親である女優の咲良さん。そこ更に上は調査不足で俺も知らないが、芸能一家と言っても過言ではないと思う。

 そんな彼女が住まう家はなんとかネーゼとか付く高級住宅街にある立派なお宅だった。

 外観からしてわかる防犯意識がしっかりした家。内部は普通のお宅のようにシンプルなものだったが所々にある装飾品はどれも高そうなオーラを放っており、触れるどころか事故を恐れて近づくことすら恐れ多い家だった。


 廊下部分での比較しかできないが、絵など装飾に力を入れた麻由加さんの家と、合理性・利便性を求めた若葉の家。

 どちらもそれぞれ特色のあるも立派すぎる家に一般庶民である俺はただただ圧倒されていた。


 そしてまだある。圧倒されたのはそれだけじゃない。


「なに………これ………」

「………………」


 リビングへと繋がる扉前で一瞬若葉に待たされ、「いいよー」との呼び声に扉を開けた俺はその場で固まってしまった。


 部屋や家に入る前に突然やってきた客人を待たせることなんてよくある。そういう時は大抵片付けが必要だからだ。

 そこは豪邸でも変わりないんだなと思いつつ待っていたが、呼び声に安安と扉を開ければ部屋の中央に置かれてある大きなソファーの上で彼女が土下座していたのだ。


 そんなの固まらない分けないだろう。

 突然の意味も脈絡もわからない行動。もはや豪邸の驚きやら全部吹き飛んでその行動の真意に頭を働かせていると、とあるひとつの可能性に行き当たる。

 正座の体勢から身体を丸め、頭を下げる体勢。そして常々感じていた犬っぽさ。これは――――


「――――あ、伏せか!」

「なんでそうなるの!?」


 それはまさに頭の悪い俺でもたどり着けた奇跡の回答。

 しかし間髪入れずに彼女自身からツッコまれて撃墜されてしまった。


 でもなぁ……こうして近づいて顎下に手を持ってくと目を細めてくれるし……。


「むふ~。 そこそこ。陽紀君の手あったか~い」

「忍ばせてたカイロが役に立ってるからな。それで、なんで土下座なんてしてたんだ?」


 顔を上げた彼女に促されるままソファーに腰を下ろすと、彼女はコテンと俺に寄りかかってきた。

 さっきは伏せなどとボケも入れたりしたが、何故土下座なんてしていたのだろう。

 目の前には真っ暗になったテレビ。反射して映し出された俺たちの姿が画面に映っている。


「その、ね。本当は私が勝手に東京までついてきたこと怒ってるのかなって思って。さっきも何か言いかけてたし……」

「……なんだ。そのこと。 言いかけたのは大したことじゃないよ。ついてくる姿がワンコっぽいなって思っただけだし」

「ホントにホント?」

「あぁ。むしろ若葉こそイヤじゃないか? ワンコとか言われたりして」

「全然?私だってそう思ってたし! ワンワンッ!ってね!」


 そっと手を上げてみると呼応するようにポスンと彼女も指先を丸めてお手をしてくる姿に思わず笑みが漏れる。

 その手だ。これからもその手で包丁を使ってくれれば俺としても不安は無いんだけどな……。今は関係ないので口に出すことはしないが。


 お手をしたりあごをしたり促してくる若葉に対応しながら俺は今一度部屋を見渡す。

 前方の大きなテレビに後方の整った庭。さすがは若葉の家と言うわけだ。スケールが違う。


「……いい家だな。場所にも驚いたし広さもウチと大違い」

「私は陽紀君の家も大好きなんだけどな。雪ちゃんやお母さんがいて暖かくて。この家だって、麻由加ちゃんの言葉を借りれば『両親のもので私は何も成していない』って感じだし」

「それもそうだが、若葉だってアイドルとして頑張ってただろ」


 確かにその文言は正しいのだが、若葉はちゃんと仕事をして稼ぎを得ている立場だ。何も成していないなんてことはない。

 トップ女優である母に負けるのは仕方のないことだが、それでも若葉はアイドルとして一時代を築いてきた。それは間違いなく彼女自身の功績と言って間違いないだろう。


 高そうな物が並んでいるリビングから若葉へ。フラフラと揺れている視線の最終地点にたどり着いた時にはニヤ~と笑っている若葉が目に入り、少し冷や汗が出てしまう。


「な、何その顔は?」

「ん~ん。ようやく陽紀君も私の魅力に気づいてくれたのかな~って。ど~お?そんな頑張ってきたアイドルを独占するのは?」

「べ、別に俺が言ってきたのは一般論だっ! たしかにまぁ……独占できるのは嬉しいけど……」


 そのにやりとした口元から出たのはなんともまぁ自画自賛だった。

 でも確かに頑張ってきた彼女がウチに来てくれて家に泊まり、そしてこの家にまで正体してくれるのは嬉しい。嬉しさや恥ずかしさ。色々な感情がごちゃまぜになりながら彼女をみると絵に書いたようなポカン顔が俺を待っていた。


「―――――」

「な、なんだよ……」

「えっと、まさかホントに陽紀君が嬉しいって言ってくれるとは思わなくって……。ホントに陽紀君?セツナあたりが黒魔法で化けてるんじゃないよね?」

「……うっせ」


 残念ながらここはゲームではなく現実だ。そんな黒魔法使えるはずもない。

 しかし自分でも失言だったかもしれない。今かなり顔が熱い。

 この話題は今はダメだ。もっと違う話題にしなければ。普通の世間話みたいなそういう…………


「そ、それよりさっきの土下座は驚いたよ。待っててって言うから掃除でもするかと思ったのに」

「えっ!? あ~……うん!そうだね!!」


 …………あれ?


 適当に話題を切り替えたつもりなんだけど、なんだか様子がおかしいぞ?

 何がとは具体的にいうのは難しいが、とにかく挙動不審。視線があからさまに慌ただしく動いて言葉だって詰まりまくりだ。

 これは何かがある。何も根拠なんてないが彼女はなにか突かれたらマズイものを抱えている。そんな気がした。


「若葉、何か隠してない?」

「そそそ……そんなことないよ!! ナンノコトカナ!?」


 俺が疑うなんて露にも思っていなかったのか、身振り手振りで慌てて否定する様は明らかに怪しい所業。

 それはほとんど自白しているようなもの。ジッと隣の若葉を見つめていると、苦笑いから焦りへ、焦りから脱力へと見事な表情の変異を見せてくれる。


「………えっとね、さっき謝ったこと、ホントのこと言うけど怒らない?」

「もう今さらだろ。黙って東京まで来て何を遠慮することがあるんだ?」

「だ、だよね……そうだよね……アハハ……」


 もはやその言葉はなにかあると言っているのと同義だった。

 今更何を迷うことがある。その程度で怒るほど器の狭い俺じゃないし、薄い付き合いでもない。


「えっとまずね……さっき灯火ちゃんと話してたことなんだけど、私も起きてて聞いちゃってたの」

「古鷹さんって、戻ってきた理由のことか?」

「うん……」


 あぁ、ね。別にそれを聞かれていたこと程度なんてこと無い。

 古鷹さんには後で言う必要があるかもだがだからといって怒られるなんてことは無いだろう。

 何をそんなに怯え………ってあれ?そういえば無理やり記憶を封印してたけど最後、たしか見過ごせない出来事がたしか………


「もしかして若葉、最後のことも……」

「うん。それが本題。陽紀君が最後灯火ちゃんとキスしちゃってたけど、実は私も過去にやっちゃってたんだ」

「まじか…………あの時のも見られ―――――なんだって?」


 まさか見られていたのか―――そう思ったけれど彼女はもう一段畳み掛けてきて思わず一瞬理解の範疇外に置いてかれる。

 過去に……なんだって?


「その……陽紀君が風邪引いて寝込んじゃってた日、移してくれればいいなって理由と無防備な姿が可愛すぎて、思わず…………」

「――――――」


 そこから先はもはや言う必要がなかった。

 自らの唇に手を当てて目をそらしながらポッと頬を染める姿を見て俺はなんてことかとサッと体中の熱が引いていく。


 俺のファーストキスはついさっきだと思っていた。

 けれどまさかあの時にはもう初めてが若葉に取られていただなんて……しかも寝ている時にだと!?


「まさか……あの時にはもう……」

「うん……。ごめんねっ!」


 そんな可愛く謝られたって俺は……俺は……!!

 しかし先程怒らないと言った手前グッと湧き上がる感情を押さえつける。


 怒ってる訳ではない。失望したわけでもない。

 ただ驚きと恥ずかしさと信じられなさが合わさって意味の分からない感情になっているのだ。

 さっきの一件でさえボロボロだったのに畳み掛けてくる情報。グッと堪えて顔をあげるといつの間にか若葉は目を閉じながら迫ってきていて、判断の遅れた俺は頬に触れる柔らかな感触を許してしまう。


「えへへ……やっぱり起きてる間だとここが精一杯かな。灯火ちゃんはすごいなぁ。 ごめんね、陽紀君は麻由加ちゃんが好きってわかってるけど抑えきれないの。触れていたいし触れられたい。だから……ごめんね」

「若葉…………」


 もしかしたら彼女の心も混乱の真っ只中なのかもしれない。

 腕をつかんで顔を伏せる様はまさに縋っているようにも思えた。

 明るい彼女の暗い側面。麻由加さんに告白する時頭をよぎった顔と全く違う様子に、俺は思わずその小さな頭に手を乗せていく。


「……陽紀君?」

「その……なんだ。まさかキス、されてたとは思いもしなかったけど、過ぎたことだし気にすんな。若葉はやりたい事を宣言してみんなを引っ張る。それがいつもの明るいアスルだろ? だから俺はアスルと……その……結婚しようと思ったんだ」


 目を合わせること無くぶっきらぼうに。キザなことを言っている自覚から言い捨てるように告げたはいいがふと気になってチラリと若葉を見る。

 すると理解しできていなかったのかパチクリとしていた彼女が一気にパァッと明るくなって再び俺に抱きついてくる。


「も~!! 陽紀君ったら落として上げるのがうますぎるよ~!大好きっ!麻由加ちゃんには絶対渡さないっ!」

「ちょっ……!抱きついて良いとは言ってない!あくまで結婚はゲームの話だから!!離れっ……若葉っ!待てっ!!」

「えへへ~! や~だも~んっ!!」


 本日二度目の抱きつき。

 今度は手すりという障害も無くただただまっすぐに外見を気にすること無く抱きついてくる彼女を引き剥がそうと試みてもうまくいかない。

 諦めてしまった俺は嬉しはずかしの状態ながら彼女が満足いくまで頭を撫で始めるのであった。








 キス……キスかぁ…………。

 みんなホイホイするだなんて、東京の人ってすごいんだなぁ…………。



 ―――――などと、陽紀は一人考えながら大きなため息をつく。

 彼女たちがそんな軽い気持ちでやったわけではないとは全く知らずに。

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