115.突撃!
家がある町と比べて天と地とさえ言えるほど人の密度が違う東京。
右を見ても左を見ても、前も後ろも人で溢れている中を俺はゆっくり歩いてく。
自分で自覚する程度には歩くペースは早いほうなのだがここまで多いと周りに合わせざるをえない。
普段よりゆったりしたペースで人混みをすり抜けることなく真っ直ぐ進む。その行動に意識など存在しない。
人は歩く時、わざわざ特定の部位の筋肉を意識しながら動かすような意識設計をしていない。ほぼ無意識下での動作だ。
しかし今はそれ以上に無意識の割合を多く割いて足を動かす。ただ前にスペースができたら進む。そう単純すぎる命令を与えられたロボットのようにボーっと歩いていると、不意に前に進む身体が突然後ろに引っ張られた。
「陽紀君っ!!」
「…………若葉?」
振り返れば目の前に見える若葉の顔。なにやら血相を変えているようだった。
「どうしちゃったの?信号、赤だよ?」
どうやら引っ張られた原因は彼女に腕を引っ張られたからのようだ。
ようやくフワフワと漂っていた意識を浮上させて心配そうな顔をする彼女の視線の先を見れば眼の前の信号はとっくに赤を指し示していた。
突如として左右へ横切っていく様々な車たち。そこでようやく俺は事故りかけていたことを認識する。
「スマン、ちょっとボーっとしてたみたいだ」
「ボーッとって、さっきも色々あったし本当に大丈夫?」
再度心配される彼女に俺は苦笑いでしか返せない。
さっき。それはファルケが去って俺たちも事務所を後にしようとしたところ。
まず二台あるうちのエレベーターを待っていたところ、到着のベルに合わせて乗ろうとしたら逆側のドアが開いて閉じた扉に顔面をぶつけたので一件。
次に扉の僅かな段差に躓いて地面に手をついてしまったので二件。
最後に、ついでではあるが手を洗おうとしたところ想像以上に水が勢いよく出て服を濡らしたことで三件だ。
不運といえばそれまでのこと。最後のなんてただの事故ではあるのだが信号の件も相まって隣を歩く若葉もただ事ではないと察したようだ。
その目には確信にも似た何かを感じる。
「もしかして……私が勝手についてきちゃったのを怒ってるとか?」
「それは……驚きはしたけど怒ってないぞ。むしろ……」
「むしろ?」
「………なんでもない」
むしろ、ワンコなのだからついてくるなんてのはよくよく考えたら十二分にあったこと。
なんて言いたくなったがすんでのところで止めておいた。そんな事言ってしまえば怒られそうだから。
「じゃあ、私と一緒じゃつまんない? やっぱり麻由加ちゃんや、さっきの灯火ちゃんと一緒のほうが良かった?」
「そんなことも無い。誰と一緒でも楽しめ……いや、麻由加さんは確かに。一緒だったらまた違ったかも……」
「もー!そこは私と一緒が一番って言うところじゃないの~!?」
少し寂しそうな顔をする彼女に冗談交じりで返答すると若葉はさっきと一転してムー!と頬を膨らませて反応してくる。
でもそれは一瞬のこと。すぐにまた心配そうな顔に戻ってポケットに入れていた俺の手を引っ張りながら自らの手で包み込んだ。
「でも、本当に平気?つらいとか痛いとか無い?」
「大丈夫だって。ちょっと考え事してただけ」
「むぅ…………」
笑顔を作って大丈夫だと言ってみせるもその顔はなんだか不満そう。
手を握る力はどんどん強くなっていき離すどころか絶対に緩めないという意思すら感じる。
「……きてっ!」
「えっ!? でももう信号が……!」
「いいのっ!こっち!!」
そんな彼女の膨らむ頬を見ていると、何を考えたのかもうじき信号は青になるというのに来た道を戻るように手を引っ張り始めた。
グイグイと有無を言わさぬ雰囲気。人を器用に避けながらもほとんど力技で塊を抜け車の行き交う道路に目を配る。
「まさかまた事務所に戻るのか!?」
「ううん、そうじゃなくって…………いたっ!ヘイタクシー!!」
先程通った道を逆走するように事務所に向かっていった彼女だったが、その道中ようやく目当ての物を見つけたようで大きく手を上げてその存在をアピールする。
相手は多くの人がお世話になっているであろうタクシー。その一台が脇へつけて扉を開けると彼女は迷いなくそこへ乗り込んでいく。
「さ、陽紀君も早くっ!」
「…………それ、どこに行く予定の?」
「大丈夫大丈夫! 取って食ったりなんかしないから!ほら、早く!」
「…………ウス」
突然の行動にさっきと打って変わって明るい彼女。
なんだか危険なニオイしかしないがあのまま駅に行ったところで特別することもない。
俺はとても、かなり、非常に嫌な予感を抑えつつ彼女の隣へと車に乗り込むのであった。
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―――――――――――
―――――――
「とう……ちゃーーくっ!!」
「………………」
その快適な車の旅は、僅か10分ほどで早くも終わりを告げた。
若葉がかざしたスマホを見て無言で走り出す運転手さん。俺の手をニギニギしながら遊ぶ若葉。くすぐったいのを耐えながら無言で外の景色を眺めている俺。
そんな三人の静かな空間を越えた次の場所は、住宅街だった。
……いや、ここをただの住宅街と評するのもどうかと思うが。
ここは英語名に無理やり変えるとプラチナになる、とある地名。そのとある家の前で車は俺たちを降ろして走り去ってしまった。
目の前には周りの家の2倍ほどある横幅の敷地。ガレージと思われる大きな扉があり、その横には厳重な格子状門がある普通の。…………いや、この場所という特性も相まって普通と呼ぶのは不適切だろう。立派な家があった。
ここは日本でも有数の、遠くに住む俺でも名前くらいは聞いたことがある高級住宅街。高級住宅街に足を踏み入れるのはこれで2度目だが、あそこともまた別の空気感も感じられた。
俺もタクシーでの10分間で幾分か冷静さを取り戻すことができた。
そんな中、タクシーを見送った若葉は勝手知ったるようにその門へと手をかける。
「若葉待った」
「うん? どうしたの?陽紀君」
「その家?は……一体何なんだ?」
「何って…………私の家だけど」
恐る恐る。
まるで檻から逃げ出したライオンに語りかけるように問いかける俺に対して彼女は不思議そうな顔で当たり前のようにそう答える。
「――――帰る」
「えぇっ!? 待って待って!ちょっと待ってよ!!なんでいきなりそうなるの!?」
なんでそうならないと思ったの!?
いやね、まさかとは思ったのよ。どこか食事でもするのかという救いに縋りはしたけどまさかの家!!
そりゃ逃げるに決まってるじゃん!取って食ったりしないって言ったのに!若葉のうそつき!!
「だって逃げるだろ!カフェとか落ち着ける場所かなって思ったらまさかの家だなんて!」
「ここも落ち着けるよ!コーヒーもご飯だって出すし!」
「落ち着けるかっ!」
「むぅ~! そんな事言っていいの?」
「…………な、なにを……」
今すぐ逃げようとどこに行けばいいかわからないなりに突き進もうとしている俺に、服を引っ張って必死に抑え込む若葉。
一進一退の攻防。そんな中、彼女のニヤリとした顔つきに俺は冷や汗がひとつ流れる。
「もし陽紀君がどこか行っちゃったら、私大泣きするよ?週刊誌来ちゃうよ?記者会見しちゃうよ?全部包み隠さず話しちゃうよ?」
「グッ…………!」
それは……それはズルい!
その言葉は諸刃の剣。彼女もリスクを負うが、俺もSNS拡散的な意味でリスクがとんでもないことになる。
バレた日には言葉のナイフどころか物理のナイフで滅多刺しだろう。それは是非ともゲーム内に留めて頂きたいが。
「ほら陽紀君、はいろはいろ!いっぱいもてなしちゃう!」
「変なことするなよ!?絶対にするなよ!?」
「は~いっ!!」
必死に最後の抵抗をする俺に楽しげに背中を押す若葉。
彼女のお宅訪問は、行く側も招く側も、いつだって突然だった。
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