114.眠りの世界と夢のような世界


「すみません、ただいま戻り……………って、何やってるの……陽紀さん?」

「あぁ……お帰り……古鷹さん。 助けて……」


 社長さんに言われて本日の呼び出し主である古鷹さんが仕事に戻っておおよそ1時間半。

 思ったよりも早く彼女は事務所へと舞い戻ってきてくれた。


 バタバタと駆ける音も隠そうとせず駆け込んでくる彼女の姿。階段を上がってきたのか駅からここまで走ってきたのかは知らないが、その姿は大きく肩で息をしていた。

 そんな彼女が未だ応接室の椅子に座っている俺たちを見て肩に掛けていた鞄を落とす。


 それもそのはず。俺の膝の上では若葉がすやすやと気持ちよさそうに眠りこけているのだ。

 器用に一人用の椅子内で丸まりながら肘掛けの部分に頭を乗せ、若干俺の腹部に顔を埋めるように寝る少女は若葉。


 社長さんから話を聞いてからの1時間ちょっと、見事お菓子を膝の上で平らげた彼女は、血糖値が上がったのかそのまま膝の上で丸まってしまった。

 何をするかと思えばあっという間に穏やかな寝息を立てて眠る若葉の出来上がり。社長さんを呼ぼうにももうこのフロアには居らず、誰にも助けを呼べなくなった俺は30分以上この謎の状態をキープし続けていた。


「起こさないの?」

「うん、起こそうと思ったんだけどね……軽く揺すっても起きないし無理やりってのもどうかと思って」


 当然、俺も寝ている若葉を起こそうと試みた。

 声を掛けても意味なかったし軽く揺すっても無駄な行為だった。

 もういっそ力任せに立ち上がって彼女を椅子から落とすという手も取ろうとさえ考えたのだが、そこでふと数日前の夜を思い出したのだ。

 若葉が俺の家に居候し始めた初日、彼女は夜遅くまで起きて勉強をしていた。俺に追いついたということは早い時間の新幹線に乗ってきたのだろう。普段夜遅くまで起きているのに無理な早起きをしたのかもしれない。新幹線で幾ばくか時間はあったものの十分な睡眠時間にはならなかったのだろう。


 そう考えると起こすという気が失せてしまい、気づけば古鷹さんを待つことに徹していた。

 近づいてきた古鷹さんも軽く声をかけるも起きる気配を無いことを確認すると早々に諦めて机を挟んだ向こう側に座って笑みを見せる。


「やっぱり優しいんだね、陽紀さんは」

「そんなことないよ。若葉……いや、アスルは毎日遊んできた仲間だから大変さもわかってるつもりだしな」

「そう、だね。でも、その理屈だと私も仲間ってことになるよね? もし私がセリアの膝の上で寝ちゃったらそっとしてくれる?」

「その時は…………さぁ。わからんな」

「ふふっ。なにそれ」


 若葉はもう小動物感って認識だからいいのだが、ファルケだとすると……どうだろう。

 そう考えたところで少し顔が暑くなったのを感じて俺は目を逸らした。

 一方彼女はクスリと笑って少し腰を浮かせながら若葉を覗き込んだ。そこには穏やかな顔で寝息を立てている若葉が目に入る。


「……随分と気持ちよく寝ちゃってるね」

「そうだな」

「知ってた?若葉さんって当時私達の前じゃ絶対寝なかったんだよ。空き時間もずっと勉強とかしててこんな隙一切見せなかったんだ」

「そうなのか?」


 彼女の口から思い出すかのように語られるのは昔の若葉。

 隙を一切見せない……?むしろ俺からすると隙だらけで紙の貼られてない障子のようなんだが。


「うん。さっき社長も言ってたけどあんまり冗談言う子じゃなかったの。さっきのようなステージ上の"若葉"じゃなくって、レッスンにも勉強にもストイックで"鬼"のようだったんだから」


 若葉のワンコみたいな性格……正しくは雰囲気か。それは俺から見ればステージ上の水瀬 若葉と全く同じだ。

 裏表のない素直な子。それが俺が感じた彼女への印象。しかし仲間から見ればその姿こそ珍しいものらしかった。


「……どっちが素なんだ?」

「今、何じゃないかな? 当時は若葉さんも毎日頑張ってて息苦しそうだったもん。今は肩の力が抜けて、楽しそうだったから」

「そっか……」


 その言葉を受けて俺は何故かホッとして、無防備な彼女の目に掛かった前髪をそっと分ける。

 その際「んっ……」と声が漏れて起きたかと思ったが気のせいだったようだ。彼女は変わらず寝息を立てている。


「あ~あっ。羨ましいなぁ若葉さん……アスルは。セリアと結婚もできた上にリアルでも一緒にいられて」

「ファルケ……」

「ねぇセリア、もし私がアフリマン倒す前に結婚してって言ってたら結婚してくれてた?」


 古鷹さんはさっき若葉と再会した直後に、若葉が今どこにいるのか聞いている。もちろんゲーム内で結婚している情報はとうの昔から。

 その上で聞いてくるのはもしもの話。姿勢正しく向かいに座り真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。


 もし……もしアフリマンを倒す前にファルケからか……


「それは……わからないな。断ってたかもだし、もしかしたら了承してたかもしれない」

「そっかぁ……。やっぱり優しいね、陽紀さんは」


 優しい、か?

 単に決められない、優柔不断なだけなようにも思えるが。

 以前の麻由加さんの一件、あの時の俺も何も決められなかった。せっかく好きと言ってくれたのに、俺からも好きと伝えたのに。


 何も進んでいない。もしかしたら振り出しに戻ったのかもしれない。そんな自分が何よりも嫌いだった。


「でも、なんでみんな結婚システムにこだわるんだ? ゲームはゲーム、リアルはリアルだろう?」


 アスルもセツナも、そしてファルケもどうしてそこまでゲームの結婚にこだわるのだろう。

 リアルでするわけではないのに、結婚したところでゲームを引退すればそこまでなのに。

 しかし彼女は笑顔で言う。「そんなの簡単」と。当たり前のように。


「たとえゲームでも、それが出会いのキッカケになれば大切にしたいものだよ。それにたかがゲームでも、特別に見てほしい、ずっと一緒に遊んでいたいって好きな相手ならなおのこと、当たり前の感情だからね」

「……そうなのか?」

「うん。そうなの」


 そう笑顔で言う彼女に俺は小さく頷くことしかできなかった。

 だからみんなゲームでも結婚の話題を……。嬉しくもあるが恥ずかしくもなる。それはつまり俺のことを特別に思っているという証左だから。

 なんだかみんなから好きだと再び言われているような気がして嬉しく思っていると、ふと何処かからリズミカルな電子音が聞こえてくる。


「あ、ごめんね。私のスマホ。メッセージが届いたみたい」


 そう簡単に告げた通り発生源は古鷹さんのスマホ。

 彼女はポケットから取り出して画面を見つめていると「……ふぅん」となにか納得したように頷いてみせる。


「社長からのメッセージだったんだけど、私が出ていってる間に昔話聞いちゃったみたいだね」

「辞めた理由のことだったら。……うん。ゴメン」


 そして内容といえば先程社長さんと交わした会話の内容のことだった。

 何故古鷹さんがアイドルを辞めることになったのか。それを本人が居ないところできいた罪悪感で俺は思わず顔を伏せる。


「ううん!責めてるわけじゃないの! どうせ私じゃうまく言えなかっただろうし話していいって言ったの私だし。 それで、陽紀さんはどう思った?」

「どうって、大変だったんだろうなって」

「そうだね……特にこの1年間は大変だったよ……。もしかして、早く親亡くした私に同情してる?」

「まぁ、すこし」


 本当はかなりだが、そこはボカして伝える。しかし彼女はそれを見抜いているだろう。少し笑みがこぼれた彼女は「心配しないで」という言葉と共に「ありがとう」と小さく呟いた。


「大丈夫。私はショックを受ける間もなく受け入れちゃったし、大事なのは昔より今だなんだから!」

「………そっか」

「え~、それだけ~?もっと突っ込んでよ~! 幼稚園の頃の約束は昔だ、とかさぁ~」


 その言葉はボケていたらしく、自らのネタバラシに俺は小さく苦笑する。

 しかし社長さんの言っていたことと差異はない。本当に大きなショックを受けている気配は感じられなかった


「……じゃあ、なおのことどうしてアイドルに戻ろうと思ったの?」

「えっ……?戻った理由?」


 しかしここでふと、気になっていたことが不意に口から漏れ出てしまった。

 問いかけるのは社長さんに先延ばしにされた若葉からの問いかけ。

 彼女の過去は月並みだが大変だろうということは素直に思った。

 そして同時に、何故この世界に戻ってきたのかも気になった。思い出すのは以前の雪たちとの会話。彼女は今活動をしていても辛そうだと雪は言っていた。

 もしかしてこの世界に戻って後悔してるんじゃんないだろうか。


「なんでかぁ……色々あるけど、若葉さんにまた戻ってきてほしいのと、母が安定してきたことが大きいかな。それから…………」

「それから……?」

「それから、なによりアフリマンを倒せたこと。父が亡くなって母に掛かり切りになって、学校にも行けず腐ってた私だけど、こんな私でも何かを成し遂げることができて自信を取り戻せたし、なにより仲間のみんなに顔向けできるような私になりたいって思ったの」


 後悔しているんじゃ、そんな心配さえ生まれかけたが、彼女の言葉は全くの真逆だった。

 後悔なんて一切ない。そう感じさせるような力強い言葉に俺は思わず彼女を見つめてしまう。


「スカウトされて、これまでなんとなくでアイドルを続けてきたけど天辺を目指す気持ちがその時わかった気がしたの。私も仲間に誇れるような人に……特に誘ってくれたセリアに顔向けできるような立派な人になりたいって思ったの」


 俺に、顔向けできるように……。

 彼女の真っ直ぐな心。そして腐っていた心からの立ち直り。

 彼女はどれだけ強いのだろう。一方俺はどれだけ弱いのだろうと突きつけられているような気さえした。


「でも、若葉たちの話だと最近辛そうな顔してるって…………」

「あちゃあ、さすが若葉さん。そこまでお見通しかぁ。 うん。正確にはゲームが出来ないフラストレーションに加えてセリアが陽紀さんって知って、今すぐ会いたいって気持ちを必死に抑えてたの」


 まるで失敗したかのように頭をかいて笑顔で告げるのはまさかの事実だった。

 つまり………それじゃあ頼みたいことがあるから来てくれって、まさか単に会うために………


 薄々感づいていた事実。しかしいざ答え合わせして確定したことに驚いていると、気づけば彼女は正面に来ていて俺と視線を合わせる。

 前かがみになってすぐ目の前にある彼女の琥珀のような瞳。じっと上目遣いで見つめられていると不意にニコッと笑いかけられる。


「やっぱり私は陽紀さんのことが好き。数年後、結婚できる年になったら真っ先に一緒になりたいほど好き。今日はそれが言いたかったから東京まで来てもらったの」

「…………その、だな。ファルケ。 その気持は本当に嬉しいんだけど俺には――――」

「Shhhh......」


 俺には好きな人がいる。


 そう彼女の告白を断ろうとしたものの、その言葉は最後まで紡がれず途中で途切れることとなった。

 口元に手を当ててウインクしながら静寂を求めるファルケ。彼女が俺の膝下に目を向けるのに釣られて下をみると、変わらず眠っている若葉が目に入った。


「陽紀さんにその気が無いことも断ることも知ってるよ。だから私は今度こそ、何があろうと忘れられないようにしてもらうって決めたの」

「忘れられないようって何―――――」


 彼女のそれは、俺が若葉から彼女へ向くため顔を上げた時に起こった。

 たった一瞬の出来事。しかし思惑通り忘れることが絶対にできなくなった、その行動。


「――――――」

「それじゃあまた会おう。 若葉さんにはナイショだよ?」


 口をあんぐり開ける俺を気にすることなく、それだけを告げて出ていくファルケ。

 俺は彼女に、唇を奪われてしまっていた――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る