112.うっかりさん
「えぇ!?本当に灯火ちゃんがファルケなの!?」
すぐ下から、そんな驚きの声が聞こえてくる。
声の主はもちろんファルケの正体を知らなかった少女、若葉。彼女は驚きに満ちながら俺から視線をずらして隣の彼女へと向けていく。
「は、はい。私もまさかあのアスルの正体が若葉さんだなんて思いもよりませんでした……」
一方隣の古鷹さんも若葉には劣るものの知らなかった情報のようで驚いているようだった。
シリアスモードが崩れた若葉が俺に突撃してからしばらく。
もはや真剣な駆け引きなどすることもできなくなった若葉と古鷹さんは互いに腹を割って話すことにした。
議題はもちろん先程俺が知ったこと、結婚の約束とファルケについて。すべてを知った若葉が何より驚いたのはファルケのことだった。
何より驚いたのはファルケが古鷹さんという事実。
共に長い時間アフリマン討伐という目標に向かって突き進み、年単位で一緒に遊んできた大切な仲間。
それなのに互いに見知っていて同じアイドルグループのメンバーという驚きは、直前まで恐れていた血みどろ同グループ同士の修羅場劇をギリギリで回避したものだった。
一歩間違えれば転落の薄氷の上。心臓バックバクながらも俺はその会話の流れに乗ることが唯一の道だと感じ取った。
そして説明後。
「私もだよ~!普段あんまり喋ってくれないから全然人となりがわからなくって、まさかこんな近くにいるだなんて~!」
「す、すみません。あんまり話すと口調とかで身バレするかと思いまして。 ……ですけど若葉さん、ちょっと」
「? なぁに?」
そんな修羅場待ったなしの状況とは一転した和気あいあいとした雰囲気だったが、古鷹さんはなにやら物申すと言った様子で恐る恐る語りかける。
少し……いや、非常に言い辛そうに。そして遠慮しがちに。
「その……いつまで陽紀さんに抱きついているのです?」
「ほぇ?」
――――そう。これこそが若葉の声が下から聞こえる原因。
彼女は突撃してからずっと古鷹さんの話を俺に抱きつきながら聞いていたのだ。
座っている俺に若葉が腕を回し、ちょうど心臓の鼓動を聞くかのように胸元にギュッと。
そんな体勢で聞いているものだから古鷹さんも気になっていたのだろう。しかし当の若葉はキョトンとし、少し身体を離して俺と目を合わせたと思えば再び同じように抱きついてくる。
「だって、陽紀君は私の大切なお婿さんなんだもん!」
「おむこっ!?」
「今はもう1つ屋根の下で一緒だし、ちょっと前にはこの厚着した服の下にある胸板にも直接触れて…………」
「―――――!!」
「ちょっ……若葉!?」
な、何突然言い出すんだ!?
確かに間違ってはないけど!彼女は俺の家に居候してるし、文化祭の時雨に濡れて裸見られたけれどっ!!
「も、もしかして陽紀さんは、若葉さんともう………」
「い、いや。違うんだよ古鷹さん。これは若葉の冗談で――」
「そんなっ! 私はこんなに陽紀君のこと好きって言ってるのに、あの日のことは遊びだったの!?」
あの日ってどの日だ!?
若葉さんはコトの重大さわかってるんですかね!?休止中とはいえ立派な大人気アイドル、そんな彼女を傷物にしたと知られちゃ俺お天道様の下歩けなくなるよ!?
「古鷹さん、これはちがくってね!俺と若葉はそういうのは一切――――」
「で、でも本心は違うよね!?陽紀さんは若葉さんみたいな言っても離れない人じゃなくって適度な距離感を保つ私のほうが……!」
「―――はぁ」
なにやら不可思議なことを言いながら俺の肩に手を添えて見上げてくる古鷹さんを見て、俺は1つ大きなため息を吐いた。
下を見れば大人気元アイドル。隣を見れば躍進中のアイドルと両手に花まっしぐらだが、同時にそちらは茨の道だ。
綺麗な花には棘があるとはこのことか。この場合、どちらを取ってもファンという棘に刺される悲惨な未来しか見えやしない。
「……ところで灯火ちゃん。1つ聞きたいことがあったんだけど」
「はい? なんでしょう?」
この修羅場一歩手前の状況をどうしようか考えていると、ふと若葉が軌道修正するかのように言葉を切り出した。
抱きつくのをやめて俺の腿へ肘をついた彼女は真っ直ぐ古鷹さんを見上げてくる。
切り替え早いな。いや、さっきのは冗談だと考えればこれが普通か。
「やっぱり灯火ちゃんも陽紀君のことが好きなの?」
「――はい。もちろんです。陽紀くんのことは好きですよ?」
軽い流れで聞いてきた、重い質問。
聞かれた古鷹さん自身もその緩急に驚いてはいたが、ほとんど即答に近い形で回答を示した。
なんら恥ずかしがることなく至って自然体に語る口調は当たり前のことのよう。その様子に問うた若葉自身が驚きの顔を浮かべる。
「そっ……そっかぁ。灯火ちゃんも好きなんだね~! いやぁ、陽紀君ってばモテモテだなぁ~!」
「そうですね。私も陽紀くんが若葉さんと婚約していることは知りませんでした。でも未成年ですから結婚はまだでしょうし、私にもチャンスは――――」
「いや古鷹さん、何言ってるの。俺と若葉は婚約もしてないよ?」
「―――あれ?」
突然この子は何を言い出すのさ。即答で好きだって言われて驚いてたから反応遅れたじゃないか。
婚約などという荒唐無稽な単語を否定すると首をかしげる古鷹さん。もしかして、さっきの冗談真に受けてる?
「でも先程、若葉さんは陽紀くんのことをお婿さんだと言って…………」
「そうだよっ!いや~、灯火ちゃんはよくわかってるっ!私と陽紀君は古い古い時代から赤い糸で結ばれ…………ムギュッ!」
「はいはい、若葉は黙ってようね。 古鷹さん、若葉のそれは赤い糸じゃなくって真っ赤なウソだから。若葉は冗談が多いからあんまり真に受けないほうが―――」
「いやぁ、当時は若葉ちゃんが冗談言う事少なかったからねぇ。灯火ちゃんが真に受けるのも仕方ないと思うよ?」
なだめながら告げる俺の言葉にかぶせてきたのは、ここに居なかった第三者の声。
三人同時に顔を向ければ背後の扉にスーツを着た大人の女性、社長さんが立っていた。
「あれ?社長。どこ行ったのかと思ってましたよ」
「コーヒー豆とお菓子が切れかけてたからちょっとね。ほら、淹れ直したから一緒に飲も?キミもコーヒー好きでしょ?」
「あ、はい。ありがとうございます」
若葉の問いに答えた通り、慣れない手付きで運ぶお盆の上にはコーヒーが3つ分とお菓子が乗っていた。
俺、コーヒー好きだって言ったかな?咲良さんとも知り合いだっていうし、彼女か若葉に聞いたのかも。
そうして社長さんは俺と若葉の側に二つ、社長自身の元へ一つ…………あれ?
「あの、すみません。ひとつ数え間違えてませんか?」
「ん? あ~。私もホントはそうしたいんだけどねぇ……灯火ちゃん、何か忘れてないかな?」
「へっ?」
ここにいるのは4人。そしてコーヒーは3つ。明らかにひとつ足りない。
別の飲み物を渡すと思いきやそうともなく、純粋に古鷹さんのもとに飲み物は置かれなかった。忘れものが関係しているというのだろうか。
「お仕事。撮影の最中でしょ? さっき連絡あったよ。『灯火ちゃんが忘れ物取りに事務所戻ったきり連絡すら取れない』って」
「あぁっ!!!」
それは彼女のうっかりミス。どうやら古鷹さんはお仕事の最中だったようだ。
そのまま勢いよく立ち上がり光速で外のデスクを漁ったのち何かの封筒を取り出して見せる。それが忘れ物かな?
「社長連絡ありがとうございます! そして陽紀くんに若葉さん、すみません。お仕事で2時間ほど抜けますね!」
「い、いってらっしゃい……」
「いてら~!」
気づいた彼女はまるで暴風のよう。大急ぎで支度を終えてからはそのままダッシュで事務所を後にしていってしまう。
取り残されたのは俺と若葉、そして社長さん。
未だ腹に抱きついている若葉をそこそこに目の前へ視線を向ければスーツの女性が優雅にコーヒーをすすっていた。
「……さて」
静かな応接室。そんな中、目の前の彼女がひとつ声を発するとピンと張り詰めたような空気が舞い戻ってきた。
穏やかな表情。しかし空気は張り詰めている。そんな彼女をジッと見つめていると、その視線は俺ではなく下の若葉に向けられている事に気づいた。
「さて、若葉ちゃん」
「はい?」
「キミもだろうけど……特に若葉ちゃんには灯火ちゃんのことについて聞きたいことがあるんじゃないかな? 主に本人には聞きづらいことについて」
「………わかってたんですね」
返事は若葉の一度だけの首肯。
彼女もその空気を悟ったか俺の下から離れてそのまま隣の、先程まで古鷹さんが座っていた位置へと腰を下ろす。
「そりゃそうだよ。表向きの理由は言われただろうけど納得いってなさそうだったし」
「当然ですよ。前あった時聞けばよかったって思ってて今日も機会を伺っていたんですから」
若葉の真面目な表情。それは画面越しでは多々見ることがあるが直接だとあまり見ないものだった。
子犬だと評してきたがそれとは全く違う、自分の意思を強く持った姿。彼女は真っ直ぐ社長さんに目を向けて問いかける。
「灯火ちゃんが辞める時に言っていた『ついていけない』って言葉、あれは本当ですか?」
「…………まぁ、本当だね」
「なら、それだけが理由なんですか?」
「うぅん、難しいね。 確かに10割その理由とも言えるけど、そうでもないと言えるかなぁ?」
「…………?」
古鷹さんは一度"ロワゾブルー"を脱退している。それは彼女らのファンなら全員知っていることだ。
しかしその理由までは公表されていない。『ついていけない』という理由も初めて知ったが、若葉もそれしか言われていなかったようだ。
「当時、事態はなかなか深刻でね。目標達成するまで若葉ちゃんに言うなって止められてたんだ。辛い思いをするからって」
「灯火ちゃんが……?」
「うん。でもアイドル休止中の今ならいいかな。 本人にも許可はもらってるし、ちゃんと私から説明するね」
社長さんはそれだけ言ってポンとお菓子を口に放り込む。
そしてすべてを飲み込み俺たちを見た後、優しい瞳と穏やかな口調でこう言った。
「灯火ちゃんが抜けたのはね、あの子のお父さんが事故で亡くなっちゃったことがすべての始まりだったんだ――――」
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