111.心の決壊
時は少し過去に遡り、おおよそ1時間前。
親公認・恋に走る乙女こと若葉はオフィス街を走り回っていた。
ここは自分が所属する事務所の最寄り駅周り。
彼女にとっては庭と言っても差し支えないがそれでも人ひとりを探すことには非常に苦心していた。
「陽紀くぅん……どこいったの~?」
人通りの少ない路地を一人歩きながら少女は小さく呟く。
(見えない)尻尾はしなしなに。耳は折りたたまれて不安げに歩みを進める。
それは親とはぐれた子供のような、主を見失ったワンコのような雰囲気を纏っていた。
無理もない。土曜のオフィス街といってもここは東京に住まう大多数の人が利用する山手線の一エリア。
平日と比べると少ないものの、それでも沢山の人が行き来している。僅か一瞬の隙をついた失踪のタイミングは最も人の多い駅前での出来事なのだから、その中で目当ての人物を見つけるのは砂漠に埋もれた砂金を探すほどの難しさだった。
「せっかくリスクを背負ってまで来たのにこのまま見つからないのかなぁ……。GPSアプリ、コッソリ入れておけばよかったぁ……」
そう落胆するも口から出るのは物騒な言葉。
若葉としても相手が望まない限り本気で入れようとは思わないのだが、それでもこういう時には欲しいとさえ思う。
でもせっかく東京までやってきたのに会えず終いだったらこれからどうしよう。
居るかどうかわからないけど家に帰ってゆっくりしていこうかな。そう考えながら更に奥の角へ曲がると、背後に何者かの気配を感じ取った。
「…………」
「…………」
後ろに、付かず離れずの位置に誰かがいる。
アイドルとして毎日人の目に晒されてプライベートでも警戒してきた経験から、彼女はそういった視線には人一倍敏感だった。
背後にいるのが誰か、男か女かどうかすらわからない。けれど確実に誰かいる。
自然と若葉の動かす足は早くなる。右へ、左へ。そのまた左へ。
何度曲がれど背後の人物が離れることはない。これは確実に………つけられている。
若葉の変装は完璧だが、それでも様々な人のいる東京。身内以外はわからないと思っていたが嗅覚が人並み外れた人もいたのだろう。
これが記者とかだったら面倒くさい。そうでなくともナンパ目的とかだったら更に面倒くさい。
一刻も早く大通りに出て人に紛れるため早く足を動かして道を突き進む。
事務所から少し離れたとはいえまだここは庭の範囲内。この角を曲がって真っ直ぐ走ればすぐにでも大通りに―――――
「……ウソっ!?工事!?」
――――しかし、事はそう簡単に進まなかった。
曲がって走ればすぐに大通りにたどり着けるというルート。しかしその大事な直線が工事によって塞がれてしまっていた。
さすがに庭といえど工事なんて把握していない。ここ1ヶ月以上東京から離れていたからなおさらだ。
若葉は急いで振り返り大通りとは反対側に走ろうとするも時既に遅し。
曲がり角からすぐ側に迫ってきていることを証明する足音が聞こえてきた。
若葉は自然と臨戦態勢を取る。
ここには剣と盾は存在しない。もしあれば開幕『ホーリーチャージ』で接近した上『バッシュ』でスタンさせて逃げるのだが、現実はそううまくいかない。
ならばタックルしてでも逃げられるようにとキッと曲がり角を睨みつける。
「―――まったく、こんなところで見かけるとは思わなかったよ。 ……でも、ようやく追いつけた」
「っ…………」
もしかしたらつけられているのは若葉の勘違いで、人すらいないかただの通行人という可能性に賭けてみたがすぐさまそれは崩れ去った。
影から聞こえるのは若葉を若葉だと確信している者の声。どうすることもできなくなった若葉は深くかぶったフードの先を指で摘み、更に下げてみせる。
「もう、来るなら来るって言いなよ。それとも、事務所に人が居ない土曜日に来たってことはサプライズか何か企んでた?」
「あれ?その声って………」
しかし、そんな最大級の警戒の只中二度目の声を耳にすると、ようやく警戒が徒労に終わると予感させた。
一体どんな人が現れるのか。警戒心を最大にして相手の出方を伺っていると、なお影からかけられる声に聞き覚えがあることにようやく気が付く。
軽い口調で告げる女性の声。そしてそのこのヒールの音は…………。
「やっ、一ヶ月ぶり! 元気だった?愛しの彼とはうまくやれてる?」
「――――――はぁ」
角から見えないように声をかけ、焦らしに焦らした末ようやく姿を現したのは若葉もよく知る人物であった。
スーツにフラットヒール、そして茶色の髪に同色の瞳。笑顔で手を振る様はまさに彼女らが所属する事務所の社長、神鳥 恵那だった。
若葉はその姿を認識すると同時に大きなため息を吐く。
それは安堵と、やはり見つかってしまったという落胆からだった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
時は戻って現在。
社長に見つかってしまった若葉は恵那と一緒に事務所へ足を踏み入れていた。
目的の彼が見つからないのなら仕方ない。なら一度休憩も兼ねて事務所に顔を出すのがいいだろうという判断から。
しかし、幸か不幸かその判断は大当たりを引いてしまった。
社長と一緒に人の気配のする応接室に顔を出せばこれまで散々探していた陽紀の姿を見つけたのだ。
何故こんな所にいるのか、誰がここへ連れてきたのか。そんな疑問が一瞬の内に脳内を駆け巡ったが、向こうにいる人物を見てすぐさま答えを導き出すこともできた。
古鷹 灯火。
同じアイドルの仲間であり今は道を違えている少女。
なんの因果か知らないが、彼女がこの事務所へ連れてきていたのだ。彼にはファルケと合う約束があるのに何故。そんな疑問を持ちながら若葉も応接室のソファーへと腰を降ろしていく。
「えっと……お久しぶりです。若葉さん」
「……うん。といっても一ヶ月くらいだけどね。どう?灯火ちゃんは元気してる?お仕事頑張ってるみたいだけど」
「あ、はい。色々と大変なことも多いですけど、なんとか」
「……そっか」
「はい………」
簡単な挨拶の後、応接室には静寂が訪れる。
どこからか少し圧をも感じる刺激的な空間。そんな雰囲気を察したのか陽紀は戸惑いながら辺りをキョロキョロと見渡している。
今の並びは陽紀と灯火が隣同士になり、若葉が向かい合う形で座っている状況。
社長である恵那は『若いものに任せる』と言って部屋を後にしてしまった。
「それで、陽紀君はどうして私達の事務所に来たの?ただの偶然?」
「えっとだな、駅を降りたところで偶然会った古鷹さんに拉――――誘われてちょっと」
「……へぇ~」
陽紀の話を聞いて灯火へ視線を移す若葉の表情はムッとしたものだった。
なんで誘われることになったのか。"偶然会った"というのは含みを持った言い方だなと思いながらもう一度陽紀へ視線を戻すと、その意図が伝わったのか補足される。
「古鷹さんとはなんというか……昔の知り合いで、駅前で俺を見つけたから声をかけてきたんだ」
「昔の、知り合い? でも雪ちゃんは灯火ちゃんを見ても一言もそんなこと言ってなかったけど………」
「あぁ。なんだか幼稚園の頃一緒になったみたいさ。俺も今日言われるまですっかり忘れていたんだ」
「幼稚園の頃に……」
陽紀はウソが下手だ。
その見抜き方くらい若葉も十分承知している。けれど今の彼は戸惑ってはいるけれどウソをついている気配は見受けられなかった。
同時に横に座っている灯火も首を縦に動かして同意していることから信じる他なかった。
「はい。ちょっとの期間でしたけどあの時は今でも鮮明に思い出せるほど楽しい日々でした」
「――――っ!!」
なんてことのない灯火の言葉。
エピソードトークのちょっとした補足程度の言葉だったが、若葉はそれを見てギュッと机の下で握りしめられている拳を硬く握りしめた。
陽紀の隣に座っている灯火はあろうことか、両手を彼の肩に添えてそっと寄りかかってきたのだ。
その顔は若葉でさえ初めて見る、顔を赤く染め上げた表情。初めて見るが意味はよく知っている。あれは恋をしている顔だ。
即座に灯火の心情を理解した若葉は立ち上がって声を荒らげそうになったところをすんでのところで堪える。今出ていったら陽紀に迷惑をかけるからと。
「それで若葉、非常に言いにくいことがあるんだが……」
「突然どうしたの?陽紀君」
硬く拳を握りしめ、唇さえ噛みそうになったところで、陽紀が口火を切ったことで若葉は笑顔を保って問いかける。
陽紀には仲間に嫉妬する姿なんて見せたくない。お姉さんとして余裕を見せなければとその一心で。
「えっとだな……その……」
「なぁに?そんな言いにくそうな顔をして。もう十分驚いたんだから心配しなくても大丈夫だよっ!」
「そうか……?」
「うん!」
何かを言いたそうにしていた陽紀だったが非常に言いにくそうな表情だ。
もしかして灯火のことが好きという可能性も頭を過ったが、彼は麻由加のことが好きだという事実からその可能性を一蹴する。
それ以外となると……ここにいることとか昔からの知り合いとかでただでさえ驚いたのに、これ以上驚くことなんて――――
「その、古鷹さんがファルケなんだ」
「…………んっ?」
「だから、この子が俺たちの最後の仲間、ファルケなんだ。それと昔知り合ったって言ってたけど結婚の約束してたみたいで………」
「――――――」
――――開いた口が塞がらなかった。
若葉は驚きのあまり一瞬意識を失い、脳がフリーズを起こす。
けれど若葉は頭がいい。すぐさま告げられた言葉を咀嚼し理解する。彼の言葉を完全に把握した若葉は、そのまま無言で立ち上がって陽紀のもとまで歩いていき――――
「―――ダメぇ!!陽紀君は"私の"陽紀君なんだからっ! たとえ灯火ちゃんでも絶対にあげないんだもんっ!!」
理性より先に心が決壊した。
陽紀にギュッと抱きついて自らせき止めていた心が吐露される。
座っている彼の腹部にギュッと抱きつきニオイを堪能し、ちょっとだけ引き締まった身体を全体で触れて味わいながら告げるのは彼女の本心だった。
余裕なんてものはなく、ただ感情のままにひたすらに。
ダダをこねるように抱きつくその姿は、もはやお姉さんとしての威厳なんて一切感じさせないものであった。
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