105.解き放たれた暴走


「ね~え~」

「…………」

「ねえってば~」

「…………」


 カタカタカタカタ…………。

 そんな音を鳴らしながら俺は目の前の光る画面をジッと見つめていた。


 慣れた指さばきでキーボードを叩きながら画面に表示される文字を目で追いながら次に打つべき文章を考える。


 それは今日サボった学校から提示された課題。

 題目は『金利上げの良し悪しについて』。友人からそんな題目を言われた時はどうしようかと思ったが適当に自分なりにも調べて纏めるしか無いだろうということで一心不乱に文章を構築していく。

 これが正解かどうかなんてわからない。むしろ本質的にはそれを調べてどう思うかなのだから不正解もないだろう。俺はひたすら画面を見つめてキーボードの叩きつける速度を早め………早めていく。


「陽紀く~ん。かまって~」

「っ……! …………」


 頭上からそんなむくれた声が聞こえてくるが返事をすること無くひたすら画面へ。

 そのうちユラユラと身体が揺れ視界も左右に動き出すがそれでもなんとか集中していようとグッとこらえる。


 えっと、次に打つ文章はなんだっけ。たしか「80年代初頭にはアメリカが極度の利上げを行った影響で円高・・になり、それが理由の一つとなって日本はバブルに――――」っと……。


「あ、陽紀君。そこ円高じゃなくて円安だよ」

「え?でもグラフは上にいってるし250まで上がってるから円高じゃ……」


 揺れるのもそこそこに、ふと頭上から伸びてくる指の先とともに言われた指摘に俺は首を傾げる。

 あれ、間違ったか?これで合ってると思うんだが……。


「そこがやっかいでね……。分母がドルだから上に行けば行くほど円は弱くなっちゃうの。だから円安」

「…………おぉ」


 なんだか理解度半分だが、頭上からの声に従って俺も間違えた部分を修正していく。

 しかし直している間にも俺の視界は右へ左へフラフラと。とりあえず最低限のところまで書ききった俺はこれまで叩いていた指の動きを止めさせる。


「あ、もう終わった? それじゃあ次は私と――――」

「なぁ、若葉」

「なぁに?陽紀君」


 文章のキリが良いところで区切りソフトを閉じて前に伸びたところで掛けられる声に俺はようやく返事をする。


「若葉はずっと頭の上でなにやってるんだ?」

「何って……陽紀君がお勉強しててかまってくれないからずっとアピールしてたんだよっ!」


 まるで音符マークが出そうな声が頭上から降り注ぎ俺は気づかれないようそっとため息をついた。


 普段どおり椅子に座ってパソコンへ向かい課題をこなす俺。

 そんな俺の上にずっと引っ付いていたのは若葉だった。

 彼女は俺の頭に顎を乗せ、首元に手を回して下手すればヘッドロックをしようかというような体勢。首元にある肘をグッと曲げれば窒息一直線だ。

 もちろん彼女にそんな危害を加えるつもりがないのはわかっている。あちらの真意としては俺の頭に抱きついているというのが一番近いかもしれない。

 ピッタリ身体をくっつけて、息遣いで髪が揺れるほどの密着感。気づいているのか気づいていないのか知らないが、上半身が後頭部に接触しているため、彼女の柔らかなあれの感触がしっかりと伝わってきて非常に集中し辛かった。


 イヤってわけじゃないんだけどね。でも色々と緊張とか恥ずかしさというか……。


「あとは面白そうなレポート書いてて気になったのもあるかな? 結構口出ししちゃったけどいい感じの形になったでしょ?」

「…………まぁな」


 けれど集中が途切れるなど悪いところばかりでもなかった。

 普段なら拒絶するところだがそれでも彼女を遠ざけなかったのは、時折降ってくるアドバイスが非常に有益だったのもあったから。

 俺より遥かに勉強ができるだけあって、彼女は経済の分野に関しても詳しく相当助かった。

 そもそも題目からして若葉の提案。俺一人じゃバブルと金利の関係なんて思いつくはずもなく。

 頭上からの声がなければもう2時間くらいは一人で唸っていたことだろう。


「さ、陽紀君! 課題も終わったことだし私と日課である夜のイチャイチャを――――」

「しない」

「―――なんで~!?」


 全部言う前からの否定に彼女は泣きの表情をしてみせるが当たり前だ。いつから日課になってるんだ。

 ベッドに座った彼女は俺の毛布を引きずって顔半分隠しながら目だけを出して訴える。

 そんな顔したってやりません。昼麻由加さんへ好きって言ってそれはないだろう。


 そうだよな……。ついに麻由加さんへ告白しちゃったもんな。

 あぁ……。なんで両思いってわかったのに付き合うのを否定しちゃったんだろ。


 それもこれも全部…………


「………若葉がいたからかぁ」

「えっ?なにか言った? 私がなぁに?」


 ころりころりと表情の変わる若葉。

 今はベッドに手をついてまんまるな目で俺を見つめている状況。


 いつの間にか脳内で大きな存在となっていた若葉。

 日本中の殆どが知っているアイドルで、休止してまでここに来てくれて、まっすぐに好きだと言ってくれる彼女。

 今も犬の『待て』のように手をついて(見えない)しっぽを振りながら俺の動向を見つめていた。

 そんな彼女に近づくように、ベッドの縁へと腰を下ろす。


 今日は色々あって疲れたもんな。だから今日ばかりは普段思っていることを一言ビシッと言っておかないと―――――


「いや。若葉は可愛いなって思っただけだよ」

「ぇっ………………」


 それは、無意識から発した言葉。

 色々ありすぎた一日が故の、最後に課題という縛りから解き放たれた今だからこそ口から出てしまった心。

 何一つ自分が言ったことを理解せず、その言葉が相手に届いたことでポカンとする顔を見て俺もあれ?と疑問が芽生える。


「えっと、スマン若葉。俺さっきなんて言った?」

「―――――だよ」

「え? なんだって?」


 ぽかんとした表情のまま口だけ動かした若葉だったがほとんどが声にならず俺も把握することが出来なかった。

 もう一度聞き直して今度は漏らさないようにしようと少し前かがみになった瞬間、ヌッと俺の頭上に影が落ちる。


「私も……大好きだよ~~!」

「へっ………? なっ!?ちょっ、若葉!?」


 突如として膝立ちになって俺を見下ろした若葉だったが、すぐさま倒れ込むように俺へと抱きついてきて流されるまま倒れ込んでしまった。


 なにやら喜びの境地に立っている若葉と困惑する俺。

 突如として迫ってくる彼女に抵抗なんかできるはずもなく。首に手を回して首を振りながら胸へ埋めてしまっていた。


「スンスンスン……ハァハァ……陽紀君!私もう我慢できない! もういいよね!?」

「いいってなにを!?」

「そりゃあもちろん、アレだよ!!」


 突然暴走した下彼女に困惑してばかりの俺。アレとは……


 アレって……アレか!?

 何の根拠もない漠然とした言葉にまさかと俺は絶句する。

 まさか……まさかこれはアレをしてしまうのか!?


「それじゃあ……いっただっきま~っす!」

「っ――――!!」


 いくら脳内でポーズ画面に移行しようが、手で諌めようが、現実の彼女は待ってなどくれない。


 若葉からストレートに好意を向けられるのはすごく嬉しい。

 でも……でも!今日麻由加さんに告白をしたんだっ!!

 だからいくら嬉しくてもその誘いに乗ることは出来な――――


「わか――――」

「ハムッ!!」

「――――ば?」


 彼女からまっすぐ向けられる好意にグッと堪えながら否定の言葉を述べようとしたその時だった。

 

 未だに目を硬く瞑っていて暗闇の世界の中、襲われたのは腕への圧力だった。

 唇にキスされたことでも服を脱がされたわけでも全くない。ただただゆったりとした袖を捲られた後の感覚だった。

 全く脈絡のない感触。しかしそれ以外は何もなく、俺は恐る恐る目を開いて今この現状を把握しようとする。


「アムアム……ふぁるふぃ君……いふぁくなぁい?」

「若……葉?」


 その言葉はきっと「陽紀君、痛くない?」だろう。

 ようやく目を開いて収めたその景色。まさかの彼女は俺の腕に口を開けて歯で挟んでいた。

 いうなれば噛みつき。しかしそれは痛みはまったくなく甘咬みといったほうが適切だろう。

 まさか思いもよらぬ行動に俺はパチクリ目を丸くする。


「なんで……噛みついてんだ?」

「……ぷはぁ。 マーキング!それと陽紀君を味わいたかったから!」


 味わう(物理)とはいかほどか。


 まさかそこまで若葉が犬ムーヴをするとは。

 噛み終えた腕を見てみればマーキングだけはしっかりとしていたらしく、左手首にはしっかりと歯型が残っている。

 長袖だからいいけど、これ夏だったら大変なことになってたな。消えるのに2~3日かかりそう。


「はい、陽紀君!」

「……それは?」


 そんなしっかり付いて腕を見ていると、今度は若葉が腕をまくってこちらに差し出していた。

 白くて細い、彼女の腕。鍛えているのかそこそこ筋肉もあって引き締まっている理想的な腕だ。


「陽紀君も噛んでいいよ! むしろ噛んで!マーキングして!」

「するか!」

「あたっ!」


 ズイッ!と3段階に分けて迫ってくる彼女に俺は枕を顔に押し当てる。

 落ちてきた枕を抱きながらこちらを睨む彼女を後目に今日イチのため息をつくのであった。

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