第2章

106.夢と目的


「はるきくんっ!!」

「なぁに?――――ちゃん?」

「えっとねぇ……あのねぇ…………わたしねぇ、おっきくなったらはるきくんとけっこんする!!」


 それは、朧気な世界だった。

 妙に世界に色はなく、背景も曖昧でなおかつそれに違和感すら感じない。


 この人物の名前は何だっただろうか。

 確実に聞いたはずなのに覚えがない、スッポリと記憶から抜け落ちた感覚だ。

 それに真正面でその姿を捉えているはずなのに顔が見えない。輪郭だけがボンヤリと浮かんでいて、しかし表情だけはしっかりと読み取れる。


「あらまぁ、――――ちゃんは陽紀くんのことが大好きなのねぇ」

「うんっ!!」


 そんな俺たちの会話を聞いていたのか、背の高い人物が加わってきて眼の前の人物は大きく頷く。

 背が高い………いいや、違う。俺たちが小さいのだ。新たに加わった人物は前かがみになってなお視線が高く、俺たちを見て笑顔を浮かべる。

 この人は知っている。先生だ。名前はすっかり忘れたが、優しくて一人ひとりを大切にしていたということは覚えている。


「はるきくん………けっこん、してくれる?」

「………けっこんって?」


 不意に、唐突に、突然に。

 全く予想だにしない言葉が出てきたが、俺は『結婚』という言葉に心当たりが無く聞き返してしまった。

 それは俺の意思と反して行われた行為。俺は告白された人物が自分だと理解しているが、ただ見ているだけで何も干渉することが出来ない。


「陽紀くん、結婚っていうのはねぇ……好きな人同士が一緒になることなのよ?」

「一緒にって?」

「そうねぇ……陽紀くんのパパとママみたいになるの。前にお見かけしたけどすっごく仲良さそうだったわね。2人みたいになることよ」


 俺の素朴な質問に先生は丁寧に答えてくれた。


 「好き」

 その言葉自体はわかるが理解はない。実感もない。けれどパパとママみたいになる。それに自分たちを当て嵌めて考えると歓迎できるものだった。


「うん、いいよ」

「ホント!?」


 深く考えないインスピレーションでの返事。

 しかし告白してきた人物は目を輝かせていた。

 信じられないといった様子で聞き返してくる姿に俺は「うん」と頷いてみせる。


「やったっ! やったよせんせい!」

「そうねぇ。よかったわねぇ」

「うん!!」


 その子にとってはすごく嬉しそうだが、一方俺はまだピンと来ていないのか不思議そうな顔だ。

 先生とその子、二人して見合っていたがすぐこちらに視線を向けて俺の手を取ってみせる。


「はるきくん、やくそくだよ!ゼッタイだからね!!」

「うん。わかった。やくそくだね」

「やくそく!!ゆびきり!!」


 俺たちは互いに小指を出し合って絡ませる。

 まったくわからない俺に満足げなその子。互いにミスマッチさえ起こしてしまっているその約束は、笑顔で。そして修羅場の入り口さえ知らずに結ばれた。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



『まもなく終点、東京です。中央線―――――』


「んぁ…………?」


 心地よいリズムの音楽と無機質な女性のアナウンスによって俺はゆっくりと目を開ける。

 窓から見える瞬く間に過ぎ去っていく景色、バタバタと動き出す人々の気配、繰り返し主張するかのように流れている電光掲示板。

 そのどれもをボーっと眺めてながらポケットのスマホを取り出して画面を見る。ディスプレイに表示されるのは今日の予定、『東京行き』の簡潔な言葉たち。

 それだけを見て俺はまだ寝ぼけている頭から現実へと、ゆっくりとだが意識を立ち上げ始める。


 今日は週末の土曜日だ。そして約束の日だ。

 数日前の夜ファルケに頼みたいことがあるから東京に来て欲しいと言われた俺は、母の許可もしっかり得て始発の新幹線チケットを取得した。

 そしていざ当日の朝。眠い目を擦りながら乗車したはいいが早速夢の世界へと旅立ってしまった……と、思う。


 ボケボケした目で窓から外を見れば高速で動く景色がとめどなく動いていく。

 さっきなんの夢を見ていたっけ……なんだか懐かしいような気が……早くも忘れてしまった。


 正直一回瞬きしたら東京に着いていた感覚。あっという間だ。

 新幹線の旅なんてあったもんじゃない。前日新幹線で買うお弁当調べたりお土産調べたりで夜更かししちゃったからな……それが効いたかも。


 久しぶりの、そして初めての一人旅。しかし早速眠りこけるという失態を犯してしまった。もっと有意義に時間を使おうと思ったのに。

 しかし過ぎてしまったものは仕方ない。アフリマンだって何度ミスしたけれど、そう割り切らないとやっていられなかった。

 惜しいことは確かだが今日は始まったばかり。ゲームで培ってきた精神論を活かして俺も他の乗客同様荷物を持って立ち上がり出口へ向かっていく。初めて会う最後の仲間、ファルケとの出会いを心待ちにしながら―――――



 ……しかしお弁当を買い忘れた手前、どうしてもお腹すいた俺は一旦乗り換えの道から方向転換し、朝食探しの旅へ出かけるのであった。



 ◇◇◇◇◇



「むっふっふ……陽紀君はなぁんにも気づいて無さそうだね~」


 そんな4割寝ぼけている陽紀の後方にて、少女は一人ほくそ笑みながら後ろ姿を見守る。

 黒いコートに大きなサングラス、そしてマスクという冬でないと確実に通報されているであろう格好に身を包んだ少女は、順調に計画が進んでいることに満足げな笑みを浮かべている。


 彼女は若葉。元アイドルで、今は親公認ストーカーと成り果てた少女。

 陽紀の知らぬ間に陽紀の両親と結託した彼女は、ターゲットの数席後方の座席を取り、ずっとその姿を見守っていた。

 同じく新幹線では寝ていたが、ようやく動き出したその姿を見て彼女もバレないよう動き出す。若葉がここにいるのはある理由のため。


「ファルケって男の子だよね……?それだったらいいけど女の子だったら………」


 それは危機感。

 麻由加でさえ精一杯な彼女にとって陽紀を狙う新たなライバルが登場するのは看過できない出来事だった。


 あの夜お互いに告白をし、両思いとわかりあった麻由加と陽紀の関係性に危機感を覚えたのだ。

 あの日は突然のPvPでよくわからなかったが、後々考えてみると非常に憂慮すべきことは火を見るより明らかである。

 いつ2人が付き合うかわからない。もしそうなった場合、自分は自分でいられるだろうか。

 今はまだ同じ屋根の下で過ごすというアドバンテージがある。けれど彼の心が向いていなければ意味がない。

 だから若葉には振り向いてもらうため、その努力と行動も惜しまないと一層決意して、それを陽紀の母も理解したのだ。


 だから故に尾行をする。ファルケの正体は何者か。男の子ならまだいい。けれど女の子なら……また身の振り方を考えなければならない。

 更に別目的としては、彼の身の安全を守ること。沢山の人が行き交う東京。そんな中で彼がナンパされないとも限らない。だから守ってあげなければ。


 だから若葉はここへ来た。愛する夫(断言)を身の危険から守るためにと心の中で言い張って。

 ちなみに若葉は"3人目"の存在をまだ知らない。麻由加に気を取られて妹の那由多も狙っていることに気づいていないのだ。


 これは彼女の事務所すら知らないこと。だからこそ身バレにはより一層の注意を払わなければならない。

 

「……ってやばっ!早く行かないと見失っちゃう!!」


 陽紀にバレないのは絶対だが、他の人にもバレないように。

 そう考えつつ今の格好の最終確認をしているといつの間にか扉に近づいた陽紀が人混みに紛れて居ることに気がついた。

 人に紛れるということは自分の姿がバレにくくなるが、逆にこちらから向こうの姿もわかりにくくなる。

 だから絶対に見失ってはいけない。そう危惧した彼女も慌てて荷物を纏めだす。


「大丈夫だよ、陽紀君!何があっても私が守ってあげるからっ!!」


 若葉は決意新たにして一歩を踏み出す。


 それはお姉さんとしての大切な使命。





 ――――――決してワンコキャラとしての忠誠心などではない。

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