096.覚悟の崩壊


 鍵がかかっているはずの、開け扉を開け放った先。

 青い空の下に彼女は座っていた。


 そこは以前2人で食事をした場所。

 喧騒から離れて二人きりの甘酸っぱい時間を過ごした所と同じ場所で、彼女は小さく膝を抱えて座っていた。


 扉を開ける音であちらも気づいたのだろう。

 遠目からで断定はできないがひどく思い詰めている彼女と目が合っている。 

 俺はそこかしこから聞こえてくる朝の授業のチャイムを断ち切るように扉を閉め、ゆっくりと彼女に近づいていく。



 きっと……彼女は全てを気づいてしまったのだろう。

 まるで星と星を結ぶ星座のように全てのハテナを合致させたであろう彼女に向かって足を動かす。

 昨日、彼女と2人でカフェに行った時は俺だけ気づいて誤魔化してしまった。けれど今日はもう誤魔化すことはない。

 彼女と向き合い、そして全てを伝えよう。そう決心して正面までたどり着く。


「探したよ。隣座っていい?」

「…………」


 返答こそなかったものの頭が小さく縦に動いたのを確認して隣へと腰を下ろす。

 喧騒にまみれた校内と違って世界に二人きりかと錯覚するような静かな屋上。冬だからかどこも窓は締め切っており、外へ音が漏れ出すこともなくシンとした空気を形成していく。

 さて、どこから切り出そうか。さっさと本題に入るべきか、軽い雑談でも交えてみるか……


「あの………」


 そんなことを考えていたら、俺よりも早く彼女が小さく声を上げてくれた。

 膝を抱えながらもこちらを見上げ、俺と目が合うとスッと視線を下に向ける。


「陽紀くんは……セリアさん……なのですか?」

「…………うん」


 彼女からの言葉は開口一番直球で本題に入ることだった。

 俺がセリア。それは朝家の前で発覚したこと。たった二文字の肯定を耳にした彼女は「そうですか……」とまた静寂に戻っていってしまう。


「麻由加……さんは、リンネルさんなんだよね?」

「……はい」


 やはりか。

 これまでのやり取りでほとんどわかっていたことではあったが、いざ実際確定したことで俺の心臓はドクンと一度大きく高鳴った。

 俺、陽紀と麻由加さん。セリアとリンネル。偶然が重なって知らぬ内に知り合っていた俺達はようやく互いを認識し、肩を並べ座り合う。

 これが初対面同士なら何ら問題ないだろう。しかし同じ高校の知り合いで恋愛感情まで絡んでくるのだ。

 つくづく恋愛というものは面倒なものだと思う。ネットでも恋愛絡みで色々と問題が起こるのを目にするし、嫌だと辟易したことさえある。しかしいざ実際に目の当たりにするとそんな考えなどどこかへ行ってしまう。厄介なことに恋愛というものは理屈ではなく感情なのだ。


「陽紀君はいつから知っていたのですか?」

「……一昨日からで、確信したのは昨日。麻由加さんに他の姉妹がいないって聞いて」

「だから様子、おかしかったのですね」

「うん……」


 聡い彼女はそれだけを聞いて昨日の俺の様子がおかしかった理由を特定できたようだ。

 その通り、俺は彼女の正体を知ったからこそ悩んでいた。まぁそれだけではないのだが、それは今の問題ではない。


「私がリンネルだとしったということはもう、知っちゃってるんですよね?」

「まだ絶対ってわけじゃないけど、もしかしたらって感じで」

「そうですか……」


 主語のない会話。

 それでも彼女が何を指しているかは十分読み取れた。

 知っているというのは彼女の好きな人が誰かということ。


 俺の答えになってるかわからない返答を耳にした彼女は更にうつむいて膝を抱えたかと思えば、勢いをつけて腰を浮かせ、俺の正面に移動して向き合うようにしゃがんでみせる。


「まさかセリアさんが陽紀くんだなんて思わなかったです。せっかくレベル上がったところをサプライズで登場して一緒に遊びましょうって言いたかったんですよ?」


 それはさっきまでの落ち込み、緊張とは打って変わった笑顔。

 まるで子供と視線を合わせる母親が如く、逆に俺を慰めるように座る視線を合わせて笑って見せるその顔は、全てを受け入れているような気さえした。

 言外に「心配しないで」と告げているような笑顔を見た俺もつられて頬に緩さが増していく。


「ゴメン。俺も知らなくってさ。セツナが那由多さんだって知ったのも文化祭の日だったし」

「そうだったのですね。あんなに多くの人がやってるゲームでここまで身内が集まるなんて、凄いです」

「ホントだよ。俺も聞いた時腰抜かすほどだったんだから」


 段々と。彼女の言葉や口調、雰囲気がいつものものと変わらなくなってきて俺の舌も滑るようになっていく。

 よかった。家前で駆け出された時はどうなるかと思ったけど大丈夫そう――――


「そうですよ。まさか知らないうちに好きな人とゲームしていただなんて、これはもう偶然ではなく運命ですよ」

「えっ―――――」


 自然と。笑顔を浮かべながら告げられる言葉に俺は言葉を失ってしまった。

 彼女は今なんて言った。好き……だって?


 そんな呆気に取られることを予想していたのか彼女は柔和な笑みのまま立ち上がって俺に手を伸ばす。

 まさに誘導されるがままにその手を取って立ち上がり、向き合った彼女はきゅっと握りしめた手を胸元に持っていって優しく告げた。


「はい。私は陽紀くんのことが好きです」

「――――」


 サラリとなんともないように告げられるその言葉。

 それはここに来る直前に決心した俺から言おうとした言葉。

 しかし先を越された上に言われた衝撃というものが想像以上に凄まじく、これまで考えてきたこと全てを一瞬で吹き飛ばしてしまった。

 嬉しい。幸せだ。俺もだ。そんな感情ばかりが頭の中を席巻するが言葉に、口にだすことができずにいる。


「だから陽紀くん、私と付き合っていただけませんか?」


 そんな俺を察してか知らずか、握った手を解いてもう一度こちらに差し出してきた。

 好きだった女の子からの告白。全てにおいて優先すべき事柄。俺は差し出された手を握り返すべく手を伸ばそうとする。


「俺……は……」

「……陽紀くん?」


 けれど震えるその手は彼女の手を握ることなく途中で止まり、虚空を切ってしまった。

 目が見えなくなった訳では無い。距離感がわからなくなったわけでもない。ただ俺も好きだと語りかけようとしたところでノイズが走るように脳内にまた別の女の子が姿を現すのだ。


 そんな彼女こそ最近突然こちらにやってきて散々距離を詰めてこようとする女の子、若葉。

 家の近くに居を構えた後はいつの間にか内で暮らすこととなって、ついには東京まで連れて行かれようとする子。


 麻由加さんが好きなら東京行きなんて蹴飛ばしてしまえばいい。けれど一蹴できなかったのはこの短期間で驚くほど彼女の存在が大きくなってしまっていたのだ。

 それは念願であった告白に割り込んでくるくらい。俺が麻由加さんのことを好きな気持ちは本物だ。けれどその手を取ることが何故かできない。


 覚悟が……思いが足りなかったというのか。ついさっき向き合うと、答えを出すと覚悟を決めたはずなのにいざ直面すると口が、手が動かなくなってしまう。

 それはまるで自分の身体ではないかのよう。自らも理解できないその行動に、眉間にシワを寄せ震える手を必死に動かそうとしていると、その姿を見かねてか麻由加さんは差し出していた手を更に伸ばして俺の手の甲にそっと重ねてきた。


「陽紀くんの気持ちはよくわかりました。私を好きだと思ってくれるその気持も、すごく嬉しいです」

「麻由加さん……」


 以心伝心。まるで全てを理解してくれたかのごとく震える手を包み俺の胸元に戻してくれる彼女は微笑だった。

 包まれたことでこれまで震えていた手が止まっていることを確認した彼女はクルリと身体を翻してさっきまでと同じように座ってみせ、俺にも座るようポンポンと隣を叩き、促されるまま腰を下ろす。


「麻由加さん、俺……」

「"今"はいいんです。それよりまだなにか抱えている事があるんじゃないですか? 私が隠していたことは全てお伝えしました。次は陽紀くんの番です。私が聞いていいことであればお話してくださいませんか?」


 彼女のそれは全てを赦してくれるような聖母の輝き。

 隣に座った俺に肩を触れさせるよう近づきこちらを向いた彼女はとても美しいものだった。

 俺はまるで懺悔をするよう、これまで抱えてきたことをポツリ、またポツリと彼女に告げていく――――

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