093.揺れる心と気にすること


 突然の提案で始まった麻由加さんとのお高いカフェ訪問、ファルケによる東京進出依頼、目覚めた先にある若葉との会話という濃密な1日を越え、次目覚めた俺を待っていたのは、ドラゴンが飛び交う全く知らない世界――――ではなく普通に俺の部屋だった。

 飛び交っているのはドラゴンではなくスズメ、気持ちの良い夢の世界から現実へ引っ張り上げるのは心地よい太陽の光だった。

 きっとカーテンが最後まで締め切られていなかったのだろう。隙間から差し込む光によって強制的に眠りの世界から脱することになった俺は枕元のスマホを漁って時刻を見ると、普段起きる時間より30分も早いことを確認する。


 夜の30分と朝の30分。その価値は同じようで全く違う。

 夜の30分は適当にゲームでもネットサーフィンでもしていれば一瞬で浪費する時間だが、朝の30分はそれだけあれば準備もできるし更に惰眠を貪ることだってできる。

 つまり朝の時間はそれだけ貴重ということだ。このままスマホを放り投げて再び夢の世界へダイブするのも大いにアリだったが、妙に目覚めの良いタイミングで寝れば30分後改めて起きる時辛くなるのは過去の経験から学んでいる。

 最終的に、せっかく起きたのだし堪忍して身体を起こすことに決めた。早起きは何文かの徳っていうしな。




「……ぁよ~」


 普段より30分早い起床。それでも家はとっくに目覚めているようだった。

 リビングから聞こえてくるテレビの音とキッチンで調理をする音。それらをBGMにトイレやら洗顔やらを済まして向かうと、いつも……と少し違う光景が目に映った。


「ねぇ雪ちゃん、このお味噌汁もいい感じだけど、もっと奇を狙ってソースとか入れてみたらどうかな?」

「だめですよ若葉さん!お味噌にソースってどういうことですか!?変なアレンジ加えないでください!」

「え~、でもだって、レシピ通りってありきたりとか言われない?もっとこう……驚きを加えたいっていうかさ……、マニュアル人間になるなって言われてるし……」

「料理はライブじゃないんですよ! マニュアルから外れることはまず最低限としてマニュアルができてから言う事なんです!!」


 どうやらキッチンでは二人の少女が言い争いをしているようだった。

 一人は我が妹の雪、普段から料理を作っているから全く不安のない人員。そしてもう一人が昨日からウチに泊まることとなった若葉。

 今日の朝ごはんは二人で作っているようだ。言い争いの中身が随分と不穏で嫌な汗が流れるけど、雪も止めてるし母さんは優雅に紅茶を飲んでるし大丈夫……だよね?


「む~。美味しくなると思うんだけどなぁ……」

「私はいくらでも作り直せるんで全然良いのですけど……マニュアル通りに"すら"作れないっておにぃに知られたら……幻滅されちゃうかもですよ?」

「――――!! お……お味噌汁にソースはよくないね!まずはマニュアル通りに作らなきゃだね、雪ちゃん!」


 雪の口から俺の名を聞いてビクンと身体を大きく揺らした若葉はさっきと一転。まさしく自分が言っていたことなど無かったかのようにソースを慌てて元の場所に戻していた。

 そして雪が自らの背中でグッと握る拳。……段々若葉の操縦方法学んできてない?


「よしっ! それじゃああとはご飯が炊けるのを待つだけだから、あたしたちもソファーでゆっくり……って、おにぃってばもう起きてたんだ」

「陽紀君!? おはよう陽紀君!みてみて!今日は雪ちゃんと一緒に朝ごはん作ったの!!」


 料理が一段落したであろう雪が振り返ったところで、いつも通りの反応。けれど過敏に反応したのは若葉であった。

 彼女は俺を視認するとあっという間にキッチンの狭い通路を通り抜け急ブレーキをかけつつ俺の正面までたどり着く。

 そしてまるで凄いでしょ!と言いたげな瞳が見え、自己主張が激しい見えない耳としっぽが目に浮かぶ。アレンジとか色々不穏な響きはあったがやはり2人で作っていたのか。


「おはよう。洗面所までいい匂いが届いてたし凄いな」

「うん! おはよう!!」

「…………?」


 普通に返事を返したつもりだったが、彼女は俺の前から一向に退こうとしない。それどころか目を輝かせながら背伸びまでして何かを待っているようだ。

 これは……まさか…………


「えと、頑張ったな。若葉」

「えへへ~! うん!頑張った!!」


 まさかと思って恐る恐る手を伸ばして彼女の頭に乗せてみると、笑顔がフニャンと蕩けた後に母さんのいるソファーへと向かっていく。

 やっぱりそれが正解だったようだ。若葉ってやはり雪よりも妹ぽ……なんでもない。


「おにぃも朝からイチャイチャだね~。見てるコッチが熱くなってくるよ」

「雪……。俺は全然、そんなつもりは無いんだが」

「そうかな~。今日も料理教えてって言って頑張ってくれてるしいいお嫁さんじゃん。もういっそ若葉さんに決めるっていう選択肢は?」

「………………」


 母さんと若葉が話す一方、扉近くで立ち尽くす俺に近づいてきたのは雪。

 まるで若葉をプッシュするようにこちらを覗き込んできていたが無言をもってその返事をしていると、「そっか」と納得したように俺から視線を外してみせる。


「お兄ちゃんも随分心揺られて悩まされてるのがわかったよ」

「…………うっせ」


 互いにテレビへ視線を向けた会話。きっとその声はソファーに届くことなく消え去っていることだろう。

 そんなの、俺がよく分かってる。悩んでいることくらい。


「ま、あたしとしてはおにぃが幸せならなんだっていいけどね。まだご飯炊けるまで時間あるし、コーヒーでも淹れる?」

「あぁ、頼む」

「りょうか~い」


 朝の時間が無い時にわざわざコーヒー豆から淹れるのは非常に手間だ。そんな時のためにお湯でドリップするだけのインスタントコーヒーも俺は準備している。

 これならば雪でも問題なく用意することができる。実際にキッチンに戻った雪はコーヒー棚から1つ取り出してお湯を注ぎ、足早に美味しいコーヒーを差し出してくれた。


「サンキュ。今日は随分気前がいいな」

「そりゃあそうでしょ。若葉さんと一緒に朝ごはん作れたんだから、棚ぼたとはいえおにぃにもちょっとくらい感謝するよ」

「そうかい」


 随分と気まぐれなツンデレさんだことで。

 コーヒーも……インスタントとはいえ俺が選んだものだからやっぱり美味い。


「そういやおにぃ、聞いたよ週末のこと。東京行くんだって?」

「……もうか。母さんはなんて」

「別になにも。おにぃもいい年だし好きにすればって感じ。学校はサボるなだってさ」


 それはよかった。

 不意に思い出したように言われるから内心ビックリしたが、母さんからもなんともないようで一安心だ。

 しかし雪からはまだなにかあるようで、ニヤニヤとこちらの様子を伺いつつ……


「私アレがいいな」

「なにが?」

「お土産だよぉ。前に朝のテレビでやってたプリンの詰め合わせでいいよ」

「アレ5,6千するやつだろ。んなもん買えるか。普通にラングドシャでいいな?」

「え~!飽きたよそれ~!」


 テレビでやってたプリンって一個1000円近い超高級プリンじゃないか。

 そんなの買う余裕あるなら俺が買って全部食べてるわ。

 しかし代わりの物を提示したはいいが雪には不評みたいだ。美味しいのに、ラングドシャ。


『ここで紹介するのは以前も特集した"ロワゾブルー"!! 新生してからの楽曲となりメッセージも届いてます!!』

「「「!!」」」


 ――――そんな賑やかな明るいリビングに、テレビから一石が投じられた。

 全員、ほとんど反射だったのだろう。話をしている和やかな空気に一瞬だけ別の空気が入り込み、全員の意識がテレビへ吸い寄せられる。

 そこから流れるは聞き覚えのない"ロワゾブルー"の楽曲とそのメンバーの写真。

 若葉が休止して以降度々見るようになった人物だ。日本名ながらあ日本人離れ・・・・・した容姿を持つ、たったひとりで頑張っているメンバー。

 この番組では少し前にも見た彼女。二人が気にするが故につい、俺も新たなグループの動向が気になってしまう。


 今日紹介するのは以前発表した曲のカップリング曲がCMに起用されることになったニュースだった。

 映像として流れるCMの映像とそれに合わせて流れる曲、そして彼女の写真。

 俺から見れば順調に活躍しているとしか思えなかった。しかし若葉も雪も、その表情から読み取れるものはなく、読み取れないからこそ大手を振って喜んでいるとも思えない。


「雪、まだこのグループに対する印象は変わらないか?」

「そりゃあちょっとしか経ってないからね。でもあたしたちにはどうすることもできないし、ご飯食べよ!もうそろそろ鳴る頃だよ!」


 そんな雪の切り替えを待っていたかのごとく、炊飯器から鳴る炊き上げの合図。

 朝ごはんの合図を耳にした若葉も俺の横を通り過ぎて雪とともにキッチンへ戻っていく。


 気づけばテレビはとっくに"ロワゾブルー"の話題を通り過ぎて全く別の話題に移っていた。

 確かに、俺には全く関係しないことだろう。若葉も関与していないんだ。俺がどうこう言っても気にしても何の意味もない。


 そう結論付けてからは行動も早く、2人に遅れるもキッチンに向かってともに朝ごはんの準備をする。

 若葉の作ってくれた食事は基本に忠実で、普通に美味しい朝ごはんとなった。

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