088.偶然と確率
「おにぃ~、ちょっといい~?」
「ん~?」
若葉がウチにやってきたその日の夜。
帰ってきた時は色々とあり、お風呂も夕食も辛うじてだがどうにかなったフリータイム。
さて今日も日課のゲームでもするかとPCを立ち上げたところでコンコンとノックの後に雪の声が聞こえてきた。
どうしたのだろうと椅子を回転させれば扉から現れたのは雪一人。若葉は……いなさそうだ。
「どうした?課題でわからないとこあったのか?」
「いや、私にわからないところがおにぃにわかるハズもないし、それだったら若葉さんに聞くんだけど……」
ジト目を向けてくる我が妹に兄である俺は思わず怯む。
ねぇ雪さんや、なんか辛辣すぎないかい?
兄としての威厳はどこいった。でも確かに教えを請われたところでわからないのは事実なのだから口に出すことは叶わない。
「そうじゃなくって今日来た理由は……髪乾かして!おにぃ!」
「…………はっ?」
しかし俺の予想とは反して出た答えに思わず呆けた声がでてしまった。
雪の格好は寝巻き姿。そして髪も乾かしていないのか湿気っているのは一目で理解できる。
しかしなんで今わざわざそれを……?
「ダメなのおにぃ?」
「ダメっていうか、雪が小6以来だろ。何の気の迷いだ?」
「気の迷いって酷いなぁもう。あたしはおにぃと親睦を深めようと思ってるだけなのにぃ」
俺が最後に雪の髪を乾かしたのは小6の時。
あの時は随分と甘えたい盛りだった。けれどそれも雪が中学に上がるタイミングですっかりしなくなり、自立心が芽生えたのだと思っていたのだがどうして今になって。
けれど俺の疑問とは対象的に雪はどんどん髪を乾かす準備を始めていく。
ベッドの上の荷物を退け、持ってきたドライヤーをセットして行儀よくベッドの縁に座り、「まだー?」と急かしてくる。
……まぁ、今日から若葉も来たし退行でもしたのだろうか。
そうでなくとも受験生だ。俺と違って多大なるストレスに晒されているのだから甘えたくなる日もくるだろう。そう結論付けた俺は立ち上がって急かす雪に近づいてく。
「可愛い可愛い妹の大切な髪なんだから、丁寧にね!」
「はいはい。可愛くない妹の可愛くないワガママだな」
「ちょっと~! それどういうこ――――わぷっ!」
ベッドに登ってドライヤーを受け取った俺はこれ以上文句言われる前にスイッチオン。
ブォォォとけたたましい音のなる温風をモロに喰らった雪は言葉が中断されてからは頬を膨らませながらも大人しく前を向いて髪を預けてくれた。
ベッドの縁に座る雪と、その背後に正座し髪を梳かす俺。
サラサラとした黒い髪を梳かしながら当時のことを思い出す。
あの時は雪も泣き虫で、雷のたびに泣いていたんだったな。枕持って半泣きで俺の部屋に来たことが何度もあったっけ。
それがこうもふてぶてしくお節介になってしまって……。
指の間をスルスルと抜ける髪が通りながら湿り気を飛ばしていると、少しだけ顔を動かした雪が目の端で俺を捉えてくる。
「ねぇおにぃ」
「なんだ?」
「おにぃってまだ同じ委員会の人のことが好きなの?」
「…………まぁ、な」
何を当然のことを―――――
そう思って返事をしようと思ったが、思考にノイズが走って返事に幾許かの時間が空いてしまった。
そのノイズは何だったのだろう。手を動かしながら考えていても答えは出ない。
一方雪は「ふぅん」と納得してから視線を前に戻してしまう。
「ところでさ、昨日の若葉さんとのデートは楽しかった?」
「昨日のか? まぁ、うん。かなり楽しかったよ。最後のアレみたいなサプライズがなければもっとね」
「あははっ。咲良さんはあたしもビックリしたよ~。おにぃが出てってすぐ来たから狙ったんじゃないかって思ったんだし」
そっか。あの人は俺たちが出ていったすぐ後に来たのか。
アパートのセキュリティは俺も気になってはいたが、まさかウチに泊まることになるとはな。考えてすらいなかった。
「ま、あたしとしては嬉しいけどね。憧れのミナワンとお泊りだなんてファンがいくらお金積んでもできることじゃないし」
「そりゃ雪はそうだろうな」
「おにぃもだよ!ゲームであのミナワンと結婚とかどんな確率?脅したんじゃないよね?」
脅すわけ。
むしろどうやって特定やらなんやらしたというのだ。
俺だってその時はアフリマン討伐に精一杯だったんだ。それでいざ倒したら結婚の申込みされて家にまで突撃されて……懐かしいな。まだ数ヶ月程度なのに。
「あ~あ、おにぃがどんどん遠くになってく気がするなぁ……」
「ばかいえ。俺はどんなときでも変わらないゲーマーだっての」
「それ誇らしげに言う事? ……でも、そうだね。おにぃが変わらないならあたしも変わらないでいてあげようかな」
コテン、と雪が倒れ込むようにこちらに身体を預けたと思ったら顔だけ上げて俺と目を合わせてくる。
視線を交わしてニッと笑った雪はその反動で飛び上がるようにベッドから飛び降りてクルンと半回転させ身体をこちらに向けてみせた。
「変わらないのはいいことでもあるが……そんなので将来大丈夫か?」
「大丈夫だもん! その時は若葉さんがあたしのこと貰ってくれるし!」
それでいいのか雪と若葉よ。
手を腰にあててふんぞり返りながら言い放つ冗談を右から左へ。
そのまま髪はもう十分だと判断した俺はドライヤーを返そうとしたところ、雪はストップのポーズを見せながら首を横に振ってみせた。
「なんだ、ドライヤーいらないのか?」
「ん~ん。物事には順番ってものがあるからね」
「順番…………? なんか嫌な予感がするんだが」
「ふっふっふ。なんでしょ~?」
ドライヤーを突き返した雪はそのままニヤッと嫌な笑みを浮かべたまま部屋の外へ。
その笑みはもうアレなんだよな。企みすぎてもう嫌な予感しかしない。
「若葉さん、見てましたよね! おにぃにはこうやって甘えるんですよ!」
「うん!バッチリ見てたよ雪ちゃん! 私も頑張るね!!」
…………やっぱり。
一瞬外に出た雪だったが次戻ってくる時にはその手に若葉の手が握られていた。
1人出ていって2人になって帰ってくる我が妹。連れてこられた若葉も寝巻きかつ髪はしっとり湿り気がある。これはもう火を見るより明らかだ。
「それじゃあおにぃ、次は若葉さんの髪も乾かしてあげて!」
「やっぱりそうなるか……雪、お前が乾かせばいいだろ」
「それだと意味ないじゃん! おにぃにやってもらってこそ意味があるの!」
何の意味だよ。
そう心のなかで突っ込んでいる合間にも若葉は俺のベッドに腰を下ろし背中を向けてくる。
もう乾かしてもらう準備は万端だ。
「陽紀君、お願いね?」
「いや、俺はやるとは一言も――――」
「あ~あ、陽紀君にやってもらわないと風邪引いちゃうな~。そうなったら丸一日陽紀君に看病してもらわないとダメかもなぁ~」
うっわ!脅しにかかってきた!
確かにこのまま濡れた髪を放置していたら冬近くということもあって風邪引く可能性大だろう。
そうなると俺が看病を……ドライヤーと看病、どちらがいいか天秤にかけたらそりゃあ……
「……雪以外にやったことないから、文句言うなよ」
「うん!言わないからお願いします!」
諦めた俺と目を輝かせる若葉。
そしてドライヤーのスイッチを付けた途端、「おにぃのツンデレ~」なる言葉が聞こえてきたから最大風量で顔面にアタックしておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます