086.誰にも否定されたくない心


「ふたりともごめんなさい。少しいいかしら?」

「はい?」


 中間テストを越え期末テストをも超え、夏真っ盛りとなった7月のとある日。

 私たちはいつものように図書室で委員会のお仕事をしていると、別室に続く後方の扉から出てきた先生から声をかけてきました。

 彼女こそ図書委員を監督する立場にいる図書室担当の先生。そして同時に話すようになってきた芦刈君の担任でもあります。


「どうされましたか?」

「いえね、2人にちょっとしたお仕事を頼みたくて」

「お仕事……?」


 先生からの用事は新たなお仕事のようでした。

 しかし委員会に属している以上なんらおかしいことではありません。これまでだって普段の仕事以外にちょっとした荷物持ちだったり整理だったりの雑用を任されてきたのですから、今回もそれに類するものでしょう。

 しかし今回は何か違うような雰囲気を感じ取って、思わず聞き返してしまいます。


「えぇ。ほら、今本棚の空きが目立つじゃない?これは水曜日に予め掃いておいたものなのよ」

「………えぇ、そうですね」


 先生の言葉に私も奥に目をやると、図書室の命である本棚が目には入りました。いつも詰め詰めだった本棚に今は空きが目立ちます。

 生徒たちが借りていった本ももちろんあるでしょうが、それだけではなかったみたいです。


「それでほら、今って夏休みでしょう? 数年に一度、こういうお休みのタイミングで人気の無い本なんかは入れ替えちゃってるのよ」

「……そういうものなんですね」

「そういうものなのよ」


 私の後ろで話を聞いていた芦刈君が納得したように頷くと先生も笑顔で返してくれます。


 今日は夏休み。期末テストも越えて終業式を終え、ようやくやってきた長休みです。

 1ヶ月以上に及ぶ長い長い連休。しかし図書委員にはそうは問屋がおろしません。

 毎週決まった曜日にカウンターで本の貸し借りを対応する図書委員には夏休みなどあってないようなものなのです。

 お盆などはさすがに休日が発生しますが、そうでない日は学校も開いており、同時に図書室も解放されているため私達委員も出動する必要があります。

 だから図書委員とは通常、隣の芦刈君が落ち込むほど人気のない委員となっています。


 けれどさすがは夏休み。今日は生徒が少ないどころか0人です。

 毎年生徒の流れを見てきた先生だからこそ、本を入れ替えるタイミングは熟知しているのでしょう。


「それで先生、お仕事って私たちは何をすればいいのでしょうか?」

「そのことなんだけどね、裏の部屋に新しく入れる本は準備してあるから、あなた達には本棚に入れてほしいのよ。……こっち来て」


 そう言って手招きする先生に従ってついていくと、普段先生が詰める別室には本が詰められていると思しきダンボールが幾つもありました。

 数にして10前後といったところでしょうか。確かにこの量を先生がやるには難しそうです。


「収納場所を記したラベル貼りは木曜日の子たちに手伝ってもらって終わってるわ。だからあなた達には本棚に入れておいて欲しいの。私がやろうとしたけど届きそうもないし、何よりこれから会議でねぇ……」


 図書室を見てくれている先生。

 彼女は定年間近のおばあちゃん先生です。以前お話した際にはお孫さんの話を嬉々として話してくださいました。

 先生は高いところは届きそうもありませんし、もし台座から落ちてしまったら大事です。何より私がそれを見過ごすことなどありえません。


「はい、わかりました。任せてください」

「芦刈くんも、いい?」

「……えぇ、まぁ。誰も借りに来る人いなくて暇してましたし」


 隣で話を聞いていた芦刈君も了承はしてくれましたが前髪を弄くりながらそっぽを向いてしまいました。

 私達の快諾を得た先生は嬉しそうな顔をして、幾つか説明をした後部屋を出ていってしまいます。


 図書室と別室、総じて人は私と彼だけ。私たちは早速新たに発生したクエストである本の片付けに取り掛かり始めました。


 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――


「んしょっと。名取さん、これが最後のダンボールだから」

「ありがとうございます。芦刈君」


 ドンッと低い音を立てて本の詰まったダンボールを芦刈君が運んでくるのを私は中身を一冊一冊本棚に並べながらお礼を言います。

 今日突然始まった本の入れ替え作業、早速取り掛かった私たちは彼がダンボールを運ぶ担当、私はその中身を並べていく担当に分かれて作業していました。

 ダンボールといっても一つ一つは引っ越しに使うような大きいものではなく正方形に近い小さなタイプのもので、男子生徒なら難なく運べる程度の重量となっていました。

 そうして丁寧に本の背表紙を見つつ指定された本棚へ並べていく作業をしていると、彼も私の背を通り過ぎ手にした本を並べていきます。


「…………」

「…………」


 ふたりとも黙っての作業。

 彼と私の関係性は、知り合い以上友達未満といったところです。今だって台に乗って高いところに手を伸ばしている私と、低いところに入れている彼とでは背中合わせになっています。

 中間テスト付近では彼がやっているゲームのお話を聞くようになりましたが、それでもお互い話下手な上まだそれほど仲良くないのです。

 ゲームの話をしてもものの15分20分程度で終わってしまい、それからはまた無言の時が続いていました。


 ダンボールから本を取り出して並べていきます。

 二人して無言の作業が続きます。2人のBGMになるようなものは窓越しから微かに聞こえるセミの鳴き声くらいでしょうか。

 しかし本も読んでいないのに無言というのも何か寂しい。そう思って私はどうにか場を盛り上げようと話題を探します。


「その……芦刈君」

「ん……?」

「アフリマンは……アフリマンの攻略はどんな感じですか?」

「あぁ。今アジ・ダハーカに入って第1の厄災……一番鬼門のところにようやく入ったとこかな。これが終わったらちょっとしたギミックやってクリアってとこ」

「それですと、クリアまでもう間もなくですか?」

「まさか。ギミックが16個もあるしここからが本番だよ」


 互いの顔も見ずに手を動かしながらも彼は苦笑しています。

 きっと本当に彼が挑んでいるのは難しいのでしょう。しかしそれ以上にゲームの話をする彼は楽しそうに思えました。


「仲間もみんなやる気高いし、スケジュールの都合が合えば今年中にはクリアできるかな?」

「みなさん仲がいいのですね」

「そこそこの期間一緒に攻略してるからね。ボイチャ使ってるしバカばかり言い合ってるよ」


 一緒に攻略しているというお仲間さん。

 その3人とずっと一緒にアフリマンに挑んでいるといいます。モチベーションも凄いのに、なにより顔も知らないのにゲームを介して仲良くなれるのが本当にすごいです。


 彼がそんなに楽しそうにするなら……私も…………


「私も少し、触ってみようかな……」

「そう? 名前教えてくれたらレクチャーするよ?」


 それは私のポツリと漏れた言葉。

 完全に心の内でしまっている予定だったのがまさか表に出てしまい、それを耳にした彼が心なしか嬉しそうな顔をします。


「い、いえっ!まだわかりませんっ! ちょっと調べてみようかなって思った程度で……!」

「そう…………」


 ごめんなさい芦刈君……!

 まだ、まだ勇気が出ないのです。誰がやってるか名前も顔も知らない人達の中に飛び込むのも怖いですし、ボイスチャット?というのも相手に何言われるかわからないのも怖いです。

 もしかしたら自分が下手なせいで怒られるかもしれない。陰口を叩かれるかも知れない。そんな思いが先行してゲームに食指を伸ばすことができないのです。


 ゲームをするにはまだ何か……私の中で勢いに乗れるものがあればいいのですが……。


 しかし今はぬか喜びさせた彼への謝罪が先です。私はおおきく振りかぶって彼の方へと身体を向けます。


「すみません芦刈君! 変な期待させてしまって!さっきのは無意識にでた言葉で―――――あれっ…………?」

「っ――――! 名取さんっ!!」


 それは、私が謝罪しようと大きく振り返ったタイミングでした。

 勢いのままに振り返ったせいで手にしていた本が勢いよく本棚に当たり、衝撃が台座にまで届いたのかガクッと視線が大きく揺れ動きます。

 後から聞いたところによると、昔から同じ木の台座を使っていたせいで足が弱っていたそうです。それが衝撃でポキっと折れたのが原因のようでした。

 四つ足でバランスを取っている椅子のうち、一本が折れたらどうなるかは明白です。運悪く折れた足側に体重を掛けていた私は重力に従い落ちていきます。


 私の目に入るのは真正面。いつも座っているカウンターが今は無人で空っぽになっている光景から段々と上にいって蛍光灯が見えてきます。

 非常にゆっくりに感じる落下シーン。しかし次に待っているのは衝撃だというのはこんな私でも理解していました。ボーっと変わっていく景色を眺めるのはそこそこに、私はすぐに襲ってくるであろう頭や背中の痛みに備えて目をきゅっと瞑ります。


「――――! …………?」


 ――――しかし、いくら待てど痛みを私に襲ってくることはありませんでした。

 たとえ走馬灯を見てるにしてもこれは遅い。何事かと思って目を開ければ、私の眼前は暗闇に覆われていることに気が付きます。


「っ……てて。 大丈夫?名取さん」

「芦刈……君?」


 自身の案じる声に意識を向ければ、その声は私のすぐ上からかかっていることに気が付きました。


 なんでこんなところに彼がいるのだろう?

 そう思ってボーっと眺めていましたが、すぐに自身が置かれている状況に気づいて身体を起こします。


 最初に見えたのは白い布と図書室の床、そして彼の顔でした。

 そこから徐々に顔を上げていくと床から垂直に立っている本棚の一番下の段が視界に収まります。

 あまりにも低い視界。どうやら私は床にうつ伏せで倒れ込んでいるようでした。

 そして何故白い布と彼の顔が見えるかというと、白い布は彼のワイシャツで、そして彼と床が水平になっているのは――――


「っ―――!!す、すみません! 今すぐ退きますのでっ!」

「あっ!焦ったらまた危ないことになるよっ!」

「………すみません」


 どうやら私は彼に馬乗りになるように倒れ込んでいました。

 慌ててその場から脱しようとしたけれど腕を掴まれて止められてしまい、今度こそゆっくりと退いて彼も上半身を起こしてみせます。


「大丈夫?怪我はない?」

「はい……。芦刈君こそ大丈夫です、か? 助けて……くださったのですよ、ね?」

「まぁ、うん。俺も大丈夫。どこも怪我してないよ。立てる?」


 そう言って自らの身体をまさぐった彼は立ち上がってはにかみ笑顔を見せます。

 これまでとは違い、ホッとしたような優しい笑顔。私は立ち上がってからも彼の顔をジッと見つめてしまいます。


「怪我もなさそうでよかった。 さ、片付けの続きしよ?」

「…………はい」


 先に作業を再開させた彼を眺めながら私はボーっと先程の出来事のことを思い出します。

 私が倒れそうになった瞬間彼が助けてくれたのです。それも身を挺して。私に怪我がないようギュッと抱きしめてくれて。

 

 そう思い出すと同時に耳から後頭部にかけて、さっきの感触が残っていることに気が付きました。

 それはきっと、彼が助けてくれた際に私の頭に手を回してくれていたのでしょう。


 自分のことを顧みず助けてくれた。それだけで私は彼の虜になってしまいました。

 単純とでもチョロいと言われても構いません。私にとっては大事な大事な思い出なのです。


 そして私たちは普段どおりの日常を、本棚の整理に戻っていきます。

 しかし表面上は普段どおり過ごしていても、内心はずっと彼のことを考えてることに気づくのは、そう遠いことではありませんでした。

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