083.新たな約束


「今日のカフェ、とっても美味しかったですね!」

「そ、そうだね……」


 来る時はまだ日が照っていた太陽も、今となっては青々しい空となった冬の時間。

 俺たちは帰路につくため最寄りの駅へと足を動かしていた。

 夏ならばまだまだ明るく遊べると判断できる時間。しかし高かった太陽もいまはすっかり低くなり、闇に覆われるということで俺たちは寄り道せず家への道を辿っていた。


 隣を歩く名取さんの楽しげな表情とは対称的に、苦笑いで返事をする俺。

 今日彼女が連れて行ってくれたカフェ。それは随分と美味しかった……と思う。


 思うとは、別のことに気を取られていたせいで味が判別できなかったからだ。

 彼女には那由多さんしかいない2人姉妹。それはつまり、セツナの姉であるリンネルさんは彼女という証左にほかならない。

 よくよく考えれば『ちょっと内気で物静かで根暗でオドオドしてるけど、眼鏡はずしたらスッゲー可愛い』とアイツは言っていた。その特徴は那由多さんとも合致する。

 そしてリンネルさんがゲームを始めるにあたってセツナはこう言っていた。


 『もう姉には同じ委員会に好きな人がいる』と――――


 彼女の委員会というのは図書委員である。

 そして名取さん本人も好きな人がいるというのは本人の口から聞いていた。

 それはつまり、彼女は俺のことを………………。


 い、いやいや!まだ分からない!!

 自惚れるな、セリア!!


 図書委員だって男は俺一人じゃないんだ。頼りになる先輩もいるし同級生だっている。

 ……でも、でもセツナはリンネルさんがキャラクターを作った理由についてもこう言っていた。


 『この世界に好きな人がいる。アフリマンを倒したヤツ』とも。


 そこまで特定していけば、自然と相手は絞られていく。

 同じ委員会であのゲームをしている人は知ってる限りではいない。もしやっていてもアフリマンを倒すなんて現役プレイヤーでも限られてくる。

 そこまで考えると、やはり俺の勘違いではなく名取さんは俺のことが好きということに…………?


 考えもしなかったルートからの恋心の特定。

 そのことを考えるたびにドッドッドッと心臓が高鳴っていき手も震えてくる。

 しかしこれは又聞きによる情報の特定。「あの人があなたのこと好きだよ」と第三者から聞いたとしてもそれを真実と呼ぶには些か無理がある。

 人の心は移ろうもの。好きな人が変わる可能性だってある。だから色恋は特に、本人の口から聞いて初めて情報は真実となるのだ。

 そう自身の中で思うようにして高鳴った心を上から抑えつけていく。


「芦刈君……着きましたよ」

「えっ? あっ!そうだね……」


 心のなかで暴れまわる思考を無理やり抑えつけているのに意識を割いていたせいか、気づけば俺たちは駅前へとたどり着いていた。

 やばい、ここまで全く記憶がない。ちゃんと歩けていただろうか。彼女の会話に返事をできていただろうか。

 そんな思いが錯綜するが努めて表情に出さずたどり着いた駅を見上げる。


「私はその……ここからですとバスのほうが近いので……」

「そうなんだ……。じゃあ、ここまでだね」


 目の前には仕事帰り学校帰りと思しき人々が慌ただしく駅から出て入っていく。

 一方彼女が示したのは駅から反対側。バスターミナル。となるとここでお別れか……。

 彼女の提案で始まったカフェ。楽しかったのは間違いなく言える。でも彼女から見たらどうだったのだろうか。そう考えながらどう言葉を切り出そうか考えていると、彼女は控えめに、申し訳無さそうな顔をしながらこちらを覗き込んでくる。


「芦刈君……今日は、楽しかったですか?」

「もちろん。楽しかったよ」

「お昼に悩んでいたこと、少しは楽になりましたか?」

「それは……」


 きっと彼女は昼の俺の様子を心配してくれていたのだろう。

 正直言えば、悪化した。でもそれは誰のせいというわけでもない。

 強いていうならば俺のせい。単に深読みしてああでもないこうでもないと、無意味な想像を働かせて勝手に悩んでいるだけだ。


 思わず言い淀んだ俺を見て彼女も一瞬目を落とす。しかしすぐに顔を上げて振り返り、辺りを見渡し始めた。


「芦刈君、まだお時間は大丈夫です?」

「時間?まぁ、余裕はあるけど」

「よかったです。でしたらそこのベンチで少しお話しませんか?」


 話を切り替えるように先程の問いかけの追求を収めた彼女は後方にあるベンチを指差す。

 それは人々の憩いの場として用意されたであろう石造りのベンチ。俺たちは吸い込まれるようにそちらに足を伸ばすのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――


 夕方というのは随分と日が落ちるのが早いものだ。

 カフェから駅に行き、ベンチに座ることにはすっかり暗くなった空。

 さっきまで付ける者と付けない者が半々だった車のライトも今では皆が付けるようになり、吹く風邪も冷たさを帯びた11月の夜入り口。

 俺たちはベンチに座ったまま何も言わず天を仰いでいた。

 徐々に暗くなっていく青。まるで時間を惜しむように、別れの言葉を言うわけでもなく電車のアナウンスをバックに座っていた。


 しかしどんなものにも必ず終わりはやってくる。開口一番口火を切ったのは隣に座る彼女だった。


「私は………楽しかったですよ」


 ポツリと独り言のように呟くのは麻由加さん。

 それは今日の感想。何をしたのか自分でも朧気な放課後だったが彼女はそう言ってくれた。


 そして彼女は俺の返事を待つ間もなく言葉を繋いでく。


「本当は悩みを解決して差し上げたかったのですけど、私では役不足・・・だったようです」

「……そんなこと」

「いえ、芦刈君もなんだか物足りなさそうな顔をしておりましたから。………ですので、もう一つ約束を」


 約束……とは?


「芦刈君、また次の休日にリベンジをしませんか? 今度こそ1日かけて心から楽しいって言わせるようなプランを考えてみせます!」

「―――――」


 彼女のその笑顔に。言葉に。俺は言葉を失ってしまった。

 あぁ、なんて優しいんだろう。自分のことではなく俺を思ってくれている。

 そう感じさせるような笑顔を向けられて、誰が首を横に振れようか。


「どうでしょう?今度の休日、どちらかお時間ありそうですか?」

「うん。うん!もちろんだよ! 俺もまた遊びに行きたい!」

「よかったです。 ―――あっ、でもそれにあたって更にお願いがあるのでした!」

「…………?」


 そんな嬉しい提案を了承すると彼女もふわりと笑顔を見せてくれる。

 しかしふと何かを思い出したようにお願い事を示してくる。


 なんだろう……?今日のレンタル彼女代とか言ってお金請求されたりしないよね?


「えっと……その……?」

「名取さん……?」


 しかし待てど彼女からそのお願いが口から出ることはない。

 なにやら言いよどむ彼女。そんな様子の変化を見て思わず名前を呼ぶと、即座に「それです!」とバネが弾けたように顔を上げ俺を顔を合わせてきた。


「以前のお泊りの時に思ったのです。那由多と一緒にいる時に『名取さん』ですと紛らわしいって。なので……えっと……私のことは『麻由加』ってよんでいただけませんか?」

「ぇっ……いいの?」


 それは彼女からの何より嬉しい申し出だった。

 思いもよらぬ提案。従来の性格故かマイナス方面の想像をしていた俺にとっては寝耳に水で、思わず目をパチクリさせてしまう。


「いいどころか、むしろ私がお願いしている立場なのです。 もちろんイヤでしたら考え直しますが――」

「イヤじゃない!すっごく嬉しいよ! その…………麻由加……さん」

「はい。陽紀くん」


 下の名。そして陽紀くん――――


 次のデートだけでなく呼び方さえも。口にだすのは随分恥ずかしかったがその名を呼び、呼ばれるだけでなんだか胸の奥が暖かくなってくる。


「…………すみません。家へのバスがもう来てしまったようです。 すみませんがこれを逃すと随分待つことになりますので……失礼しますね」

「うん。今日はありがとう。…………麻由加さん」

「はい。こちらこそありがとうございます。 陽紀くん」


 互いに小さく手を振って笑みを向けた彼女は駆け出すようにやってきたバスへと走っていく。

 その笑顔は俺に向けられたもの。バスに乗ってからも向けられるその笑みに、さっきまで感じていた矮小な悩みなんてもうとっくに吹き飛んでしまっていた。

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