082.コーヒーの味


「いらっしゃいませー!何名様ですかぁ~?」


 ガラス張りの扉を開けた途端、ドアに取り付けられた鈴に反応した人物が明るい声で近づいてくる。

 この店指定のものと思しきカッターシャツにエプロンと、シック目な制服に身を包んだ女性が俺たちの前にたどり着く。隣の彼女が「2人で」と告げると快く店の奥へと先導していく。


 道中ポツポツと見えるのは俺たちと同じ目的でやってきたであろう人達。

 その年齢層はかなり若めで、ウチとは違う学校の制服や大学生と思しき人々が大半だった。

 男子と女子の二人組、女子同士のグループなど、比率的には圧倒的に女性が多いだろう。壁側が全面ガラス張りで真っ白な机と椅子、そして女子大や高校などから最もアクセスの良いこの街ではよくある光景だった。


「こちらになりま~す! 注文がお決まりでしたらそちらのボタンを押してください!」


 先導してくれている人が丁度空いていた店最奥の席を示されるのを見て、俺と隣の彼女は従うように席に着く。

 開放感たっぷりの建物の隅席。二人がけのテーブルで向かい合わせに座った俺は何気なく窓から外を眺めた。


「随分と……オシャレなお店だね」

「はい。私も那由多と街を歩いている時に見つけて気になっていたのです。落ち着いた店内で素敵だなって」


 何気なく出た言葉に正面の彼女……名取さんが見つけた経緯を教えてくれた。



 今日は文化祭を終えてから初めての学校の日。

 昼休みに色々と悩みに苛まれる俺を見かねてか、名取さんが提案したのは文化祭の時の約束、一緒にデザートを食べに行くことだった。

 まだ数日しか経っていないのに色々とありすぎたせいか随分と昔のことのように思える文化祭。その時は休日に、と言っていたがその日の学校を終えた放課後に俺たちは揃ってこの店へと足を運んでいた。


 たどり着いたのは普段遊びに行く街とは別の繁華街。

 学校からも遠く家からも遠い、中学生の頃好奇心で行ったきり二度と来ることがなくなった街である。


 来なくなった理由は至極単純。色々物価が高すぎるからだ。

 この街の周りにあるのは高級住宅街やタワマン、お嬢様学校にお金持ちが通うような学校。

 つまりはそれに引っ張られてこの街の物価が普段の街とは違うのだ。それを中学の頃知って以来二度と来ないとおもっていたが、まさか立ち入と時がやってくるとは。


 もちろん物価が高いのはこのカフェも例外ではない。別の店だが通りがかりにチラリと見えた値段なんかも2倍以上高かった。

 正直、俺なんかがこの店に来ていいのだろうか。2つあるメニュー表のうち1つを取ると、目に飛び込んでくるは4桁の数字たち。

 凄い……街が変わるとこうも値段も変わってくるというのか。ウチ近くの喫茶店なんてワンコインあればコーヒー飲み放題でお釣りもくるのに。


「芦刈くん、決まりましたか?」

「いや、まだ……。ちょっと面食らっちゃって………」


 さすがにこんな高い品々を簡単に決められないよ。

 手持ちはあるとはいえ俺の昼代何日分にもなるんだし、慎重に選ばないと。


「好きなものを選んでかまわないのですよ。私が誘ったわけですし、今日はお支払いしますので」

「えっ!? そうはいかないよ!俺だってこう……自分で払うから!」

「いえ、ダメです! 芦刈君にはいつもお世話に……お泊りの時もお世話になりましたし借りを返させてください!」

「クッ……!」


 あの時の借りと言われれば確かに弱い。

 そして同時にあの日見たメイド服姿を思い出してしまう。

 今は普通の制服姿。なんら不思議な格好でもない。けれど思い出した記憶が補完するようにその制服の上に重なるよう胸が大きく開いた彼女の姿を思い出してしまい、思わず視線を下げて目を逸らす。


「なので今日のところはお任せください!お願いします!」

「わっ、分かった! 今日はお願いするから、席座って……」


 そんな、小さい机何だから手をついて前のめりにならないで!

 俺の馬鹿な癖に妄想力だけは高い脳が制服の上にあの格好を投影しちゃってるんだから!今刺激的な体勢はダメっ!!


「ありがとうございます。お値段なんて気にせず、なんでも頼んでくださいね」

「そ、それじゃあコーヒーと……モンブランを」

「分かりました。店員さんお呼びしますね」


 控えめに、恐る恐ると言った様子でメニューを広げて指を示すと、彼女は早々にボタンを押して店員さんにオーダーを伝える。

 コーヒーはどこでも鉄板だが、ケーキは高すぎるものではないものを選んだつもりだ。それでも普段俺が食べるケーキより何段も高いものではあるのだが。


「芦刈くん、最近ゲームのお話を聞いてませんでしたが、何されているのです?」

「えっ?ゲーム?」

「はい。文化祭準備などがあって委員会も行けない日がありましたから。最近どうなのかと思いまして」


 オーダーを終え、店員さんを見送った彼女がいの一番に聞いてきたのはゲームのことだった。

 思わぬ問いかけについ聞き返してしまったが確かに。文化祭で委員会活動も止まってたっけ。それでなくとも色々あって彼女とゲームの話は随分とお預けだった。


 ――――でも、これは丁度いいのかもしれない。俺も彼女にゲームについて聞きたいことがあった。


「最近か……そういえばアフリマンを倒してから新しい人が入って、その人の育成が中心かな。」

「新しい方、ですか。腕は上手そうなのですか?」

「結構筋ある方だと思うよ。盾職なんだけどね、ウチの盾の人に教えてもらいながら頑張ってるよ」

「そうですか。それはよかったです」


 チラリと見ればにこやかに返事をする名取さんの姿が見える。


 これは……シロか?

 セツナが那由多さん。これは本人も認めた真実だ。

 ならセツナのお姉さんであるリンネルさんは何者なのだろうと、俺はずっと考えていた。

 もしかしたらリンネルさんは今目の前にいる名取さん、その可能性ばかり行き着いてずっとモヤモヤしていたのだ。


 そう思ってチラリと暗に自分に関係しそうなことを喋ってみたものの、名取さんに表立った反応は全く無い。

 これは彼女じゃなかったか……?もしや予想通り彼女にお姉さんがいて、その人がリンネルさんか?


「ちなみにその人は……。 その人は男性なんです?」

「まぁ、タブンね。ボイチャは男声だけどボイスチェンジャー使ってる可能性があるから」

「そ、そうですよね。ゲームではあんまりそういった話することはよくありませんから聞くわけにもいきませんものね!」


 はて、突然不思議なことを聞くものだ。

 別に中身がどっちでもそんなの関係な…………いや、アスルにセツナにリンネルさんと女性だらけって自覚すると大変だわ。

 何も変わってないはずなのに心持ちが大変。ファルケまだ帰ってこないの?


「おまたせいたしました。ご注文のコーヒーとモンブラン、カフェオレとミルフィーユでございます」


 まだ帰って来ぬ仲間を案じながらお冷を口にしていると、店員さんが歩いてきて注文された物をテーブルに並べてくれた。

 カフェオレとミルフィーユは彼女のだ。コトンと置かれるコーヒーからはらしい芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。

 うん、なかなか良いコーヒーのようだ。香りからして違う。


 初めての見せながら嗅ぎ慣れた香り。

 コーヒーという万国共通の飲み物の香りを楽しんでいるとようやくこの街に来て感じていた緊張感が緩んできた。

 段々と抜けていく肩の力。心もリラックスを覚えていて先程の会話を少し思い出すと、同時に聞きたいことが思わず口から出てきてしまった。


「そういえば……名取さんってお姉さんはいるの?」

「へっ?お姉さん、ですか?」


 それは、俺の心の緩みから出てきた無意識の問いかけ。

 全く脈絡も関係ない問いかけに彼女も一瞬戸惑うのをみて、俺もまさか聞くとは思わなかった問いかけに今更ながら焦ってくる。


「あぁいや、なんでも無い。つい気になっただけだから答えなくても――――」

「私に姉はいませんよ?」

「――――いない、の?」


 慌てて答えなくていいと先程の問いかけを撤回しようとしたが、彼女はそれよりも早く答えを出してくれた。

 そして出た答えは『いない』ということ。その答えの意味はつまり…リンネルさんの正体は……


「私は妹の那由多と2人だけです。それがどうかなさいましたか?」

「う、ううん……全然……なんでもない……。ありがと……」

「いえ。さ、ケーキ食べましょ?」

「う、うん…………」


 何とか持ち上げるコーヒーカップがカタカタと震え。波紋が水面をとめどなく動いてく。

 考えていた……が、考えないようにしていた1つの答え。それがいま示されて、口につけたコーヒーの味が全くわからなくなっていた。

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