081.約束の提案
「…………はぁ」
人々の声が騒がしく、活況に行き交うこの空間。
少し離れた位置では続々とやってくる人が行儀よく列を成していて、一人ひとり処理が終わって机の並べられたこちら側の席が順次埋まってく。
入り口に置かれた機械にお金を入れて、出てきた券を持って列に並ぶ。受付に手にしていた券を渡して暫く待つと、列の先頭にたどり着く頃には自分が選択した食事が出てくるという簡単なシステム。
ここは食堂。学校の食堂だ。
味はそこそこだが安くて量もありコスパがいい。貧乏学生の懐に優しいこの食堂で一人、購入したうどんをつつく。
コスパの良いラインナップの中でもトップクラスに安いうどん。それを一本チュルチュルとすすりながら1つため息をついた。
視線を上げれば今も活気に満ちている食堂。
その全体を見渡せるここ、角にあたる最奥の隅はいかにも後付けのようで椅子も机も他のものより簡易であり、移動距離が長い隅ということも相まって生徒たちには人気がない。
しかし故に、だからこそこうして物思いにふけるにはうってつけだ。朝コンビニに行くのを忘れていた俺は一人寂しくうどんを食べながら物思いに耽る。
「はぁ」
いくら考えても考えても、答えの出ない疑問にため息しか出ない。
これからどうするか。どうすべきか。未来など全く見通せないし、過去に戻ることもできない。
この世界がゲームならば少し失敗すればリセットボタンで済む話だが現実はそうもいかない。
たった一度の人生なのだ。つまり選択するのも一度だけ。あぁ、どこぞのタヌキ……もとい猫型ロボットがいたらよかったのに。たしか選んだ選択肢をルート別に見れる、一種の未来予知道具があったはず。それが欲しい。
そんなありもしない想像上の道具に縋っていると、ふと頭上から影が刺したかと思えばそんな声が聞こえてきた。
「どうされましたか?そんなに溜息ついてしまって」
「……名取さん」
顔を上げればお盆を手にした名取さんが心配そうにこちらを見つめていた。
いつの間にやら俺を見つけ近づいてきてくれたのだろう。俺も思考を一時停止して彼女と目を合わす。
「こちら、座ってもよろしいですか?」
「うん。 よく俺を見つけられたね」
「教室に立ち寄ったのですが見当たらず、それなら食堂の……芦刈君ならきっと隅っこに居ると思ってましたので」
「予想が当たってよかったです」と、クスクスと笑う彼女を見て俺もつい笑顔が溢れる。
なんとまぁ。よく俺を理解してくれていることで。
好きな相手が探しに来てくれて、あまつさえ行きそうな場所を理解してくれている事実に嬉しくなる。
彼女が置いたお盆の上には、すぐそこで並び買ったのであろう豆腐ハンバーグ定食が。
肉肉しくもなくバランスの良い、少なくとも俺のうどんよりも遥かに健康的なそのメニューは彼女らしさも感じられた。
「それで、どうされたのですか?随分と落ち込んで……悩んで?おられるようでしたけど。 文化祭も終わって寂しく……もしかして、学校の誰かにいじめられてるとか……?」
「ううん、そんなことないよ。 イジメとかは全く」
さすがにイジメとかはないと、慌てて首を振って否定する。
いくら俺がゲームに8割意識を持っていかれてるとしても、学校ではそこそこ上手く立ち回れているつもりだ。
少なくとも見える範囲でのイジメは無いと断言できる。
名取さんも自分の心配事が外れた安堵からか、「そうですか……」とホッとしたように肩を撫で下ろす。
…………あ、でも今日の体育中、別クラスのサッカー部次期エースにすっごい睨まれてたんだよね。アレなんだったんだろ。
「でしたら何かお悩みでしょうか?解決できるかはわかりませんが、聞くくらいなら私でもできますよ?」
「そうだね……」
悩みというものは根本的な解決ができずとも人に聞いてもらうだけで随分と心持ちが変わってくる。
それは俺も同感だ。これまでの人生そうやって気が楽になった経験も数多い。
しかし今俺が悩んでいること、これは彼女に相談することができない。
悩みとは昨日やってきた咲良さんからの言葉。4月から東京に来ないかという提案。
最後、見送り際に告げられたのはまだ暫く誰にも言わないでほしいとのことだった。
これを知っているのは咲良さんに母さん、俺と顔の知らぬ社長の4人だけ。若葉は勢いのまま行動するタイプで彼女に知られたら真っ先に行くと言い、俺が冷静に考えられないだろうからと年明けまでの箝口令が敷かれてしまった。
つまり一ヶ月少し一人で考えろということである。もちろん、名取さんに言ってしまえば巡り巡って若葉の耳に入る可能性があるから彼女に言うこともできない。
なら今の彼女からの質問、どう答えるべきか…………
「……ちょっとね。進路どうしよかなって」
「進路ですか……まだ2年生にもなってないのに随分と早いですね。海外に行く予定でもあるのですか?」
「それはないよ。行くとしても県外……かな」
本当はもう半年先に迫っているが口にすることはしない。
県外の進路……それが今の俺たちにとって最も当てはめやすい事柄だろう。
「そうですか……難しい問題ですね。私としては数少ない友人が離れていってしまうのは寂しいですが」
「名取さんは県内に進むの?」
「いえ、まだどことも考えられておりません。ですが県外ですと会うのが難しいところも出てくるでしょう」
「そうだね……」
そうだよな。もしも2人とも東京に進んだとしても端から端まで遠いし、県外に出るとなると途端に忙しくなるだろう。
俺も好きな人と離れたくないし、遠距離恋愛も避けたい。
…………あれ。
そういえば俺、名取さんのことが好きなんだよな。
……うん、間違いない。彼女のことは恋愛的な意味でも間違いなく好きだ。
じゃあなんでここまで悩んでいるのだろう。
名取さんの事が好きならば若葉のことなんて知ったことかと提案を蹴って地元にしがみつく、もしくは彼女を追いかけるというのに。
―――なのに、何故か俺の中でいつの間にか若葉の存在が大きくなっていることも感じる。
少なくともあの提案を本気で悩むくらいには。俺は名取さんのことが好きなハズなのに、何故。
「―――君、芦刈君」
「……えっ? あぁ、どうしたの?」
自らの中でいつしか生まれた矛盾する心。
何故かでかでかと居座っているその感情に気づき考えていると、名取さんが俺のことを呼んでいることに気がついた。
平静を保ちながら顔を上げると彼女は一瞬だけ口を固く噤み、笑みを浮かべる。
「……いえ。随分と思い悩んでいるようでしたので。進路について、私にはどうすることもできませんが何でも相談してくださいね。できる限りではお助けします」
「ありがと。そう言ってもらえて心強いよ」
本当に心強い。
そのまま名取さんにも東京に来てもらったらどれほど良いことだろうか。
もちろんそんな事したら関係性が複雑になるから言わないけど。
「はい。その代わり、決まったら是非私にもお教えくださいね? 秘密にしたまま卒業なんて、私イヤですよ?」
「あはは……。もちろん」
優しい微笑みで繰り出される冗談に俺は苦笑いで返事をする。
卒業、か。
思い悩んでいる道の片方はこの学校での卒業じゃなくなるんだけどな。
普段ならそばにいるだけで嬉しい彼女。しかし今は……今だけは俺の心が複雑怪奇に渦巻いているせいか少し気まずささえも感じている。
いろいろな話を彼女としたい。でも一人で考え事もしたい。相反する思考がどこからともなくやってきて俺を襲う。
そんな思考をかき消すように目の前のことへ集中、手元のうどんを啜ろうと箸を動かしたが、掬う箸に麺はなくただネギだけが残っているだけ。
いつの間にかうどんも食べきってしまったらしい。仕方ないと器を持ち、その場から離れようとする。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ。名取さんもごゆっくり――――」
「そ、そのっ! 芦刈君!!」
「――――?」
器を手にして席を立ち、そのまま食堂を後にしようと彼女の横をすれ違ったところで背後から呼ぶ声がかかり思わず振り返った。
食事もそのままに立ち上がった彼女は力強い目でこちらを見つめている。
どうしたのだろうか。さっさと戻ろうとしたのが気に障ったのかもしれない。
彼女に嫌われるのはあってはならないこと。俺は冷や汗を垂らしながら次の言葉を待つ。
「そのっ……約束っ……!」
「約束?」
「約束……!お休みの日に2人でデザートを食べに行く約束……。今日、放課後、一緒にいきま
それは彼女からの驚くべきであり喜ばしい提案。
しかし最後の最後で噛んでしまって全て台無しとなってしまった。
自らも自覚しているらしく口元を抑えながら頬を染めて目をそらす名取さん。
天然そうでないのか。大事な場面でやってしまい恥ずかしそうにする彼女を見て、俺も少し心の荷が軽くなるのを感じていた。
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