080.新しい道


「え~っと……じゃあ若葉の件、母さんは既に知ってて決定事項だったと」

「もちろん。むしろお母さんが提案したもの。『娘さんがアパート追い出されるならウチで預かりますよ』って」

「…………はぁ」


 本日の来客、咲良さんの口から飛び出したあり得ない提案。

 若葉の一ヶ月滞在の件について詳細を母さんから聞いた俺は一人大きなため息をついた。



 若葉の母、咲良さんが見かねたアパートのセキュリティ問題。

 俺も不安に思っていた問題を解決するために彼女が打ち出したのは、アパートの建て替えだった。

 当然のことながら建て替えをするならば住民は一時退去しなきゃならない。つまり自動的に唯一の住民である若葉は退去する予定だった。

 それを若葉から社長、社長から咲良さん経由で俺たち一家の存在を知り、挨拶に来たところで小話に出たところ、母さんが『宿を探すなら是非ウチで』と言い出したのだ。

 隣で聞いていた雪によると最初は咲良さんも断っていたが押し切られてしまったらしい。


 そんなのでいいのだろうか。仮にもアイドルがどこぞの男子高校生の家に住んでると知られれば大事だろう。

 ひとつ屋根の下で男女が暮らす。両者の親が了承してしまっていいのだろうか。

 その旨を問いかけたところ、『間違いが起こったら起こったで責任取りなさいよ』とは母さんの談。『若葉が了承するのであれば私から言うことはございません』と咲良さんの談。適当すぎないか。


 いや、1つ裏返せば信頼しているとも取れるだろう。

 俺たちが一緒に暮らしても問題にはならないと。そう思って隣の若葉をチラリと見る。


「一緒かぁ……!一緒だったらいっぱいお話できるしゲームもできるなぁ……。あ、待って!もしかして一緒だったらあんな間違いやこんな間違いも!?むふふ……」


 …………ダメそうだ。不安しか無い。


 なにやら一人思いを馳せて妄想の世界に旅立っている若葉は頼れそうも無い。

 つまり孤立無援。多数決でもムリだし今最も家に付いての権力を握っているのは母さんだ。つまり俺が何を言おうとみっともないワガママにしかならない。


「わかった。俺も協力する」

「よかった! 陽紀ならそう言ってもらえると思ってたわ!」


 嬉しそうに手を合わせて喜ぶ母さんを見て、心の内でため息をふたたびつく。もともと孤立無援で決定事項だったじゃないか。

 これで俺が拒否るなら家出しか道が残されてなかったのによくいう。


「話はまとまったようですね」

「はい。咲良さん、娘さんをお預かりしますね」

「こちらこそ、娘をよろしくお願いします。……若葉」

「なぁに?」


 気持ちが固まるのをまっていくれていた咲良さんは俺たちに向かって一礼した後、若葉を呼んだ。

 さすがと言うかなんというか……今日ばっかりは若葉もすごく切り替えが早い。さっきまでトリップしてたのに呼びかけに一瞬で応じたぞ。


「若葉は今日のところは戻って、明日のために荷物を纏めておきなさい」

「あ、うん!わかった!」

「それなら雪も若葉ちゃんについていってあげなさい。部屋の片付け手伝ってくれる?」

「りょー! 若葉さん、行きましょ!」

「うん! またね!陽紀君!!」

「あ、あぁ……また……」


 咲良さんと母さん、2人の呼びかけに応じた娘2人はそれぞれ頷き合ってあっというまにに部屋を出ていってしまった。


 人って楽しみなものが目の前にあって上機嫌になると、驚くほど聞き分けもフットワークも良くなるものだ。

 まさに風のようなスピードで足早に家を出ていく2人組。


 2人が消えてリビングに残るは三人。

 さて、あとは大人同士で積もる話もあるだろうし、俺は部屋に戻って――――


「それでは俺も、ここいらで失礼しま―――」

「陽紀、アンタはここに残りなさい」

「―――えっ?俺も?」

「そうよ。ここからが本番なんだから」


 どうせここからは俺の出番は無いだろうと、そして若葉が泊まりに来るから片付けやらなんやらも兼ねて頭を冷やそうと席を立った途端、即座に母さんの一言で止められてしまった。


 ここからが本番……?どういう意味なのかと咲良さんに目を向ければ首を縦に振る姿が見え、大人しく席に座り直す。


「…………」

「…………?」


 席に座り直し、咲良さんと向き直るも一向に話を切り出す様子が見られない。

 さっきまで若葉が座っていた隣に座り直した母さんの方を向くも、俺の視線を気にかける様子なく前を見据えていた。

 本番だというのに話が始まる気配が無い。少し疑問に思いながらも母さんの指示なのだしもう少し待ってみようと居住まいを正すと、正面の咲良さんがようやくその口を動かし始めた。


「……陽紀君は、若葉がアイドルを休止した理由についてご存知ですか?」

「え?あ、あぁ。まぁ。仕事に意味を見いだせなくなったとか疲れたとか、そんな事言ってましたね」


 あの時の事は忘れない。

 まだ若葉がアスルとして、俺が正体を知らなかった頃。結婚を申し込まれた直後に彼女はそんなことを言っていた。

 日本中の誰もが名前くらいは聞いたことがあると言えるほど名を知らしめた彼女だ。そこに至るまで想像を絶する努力を重ねてきたのだろう。

 だから休止する気持ちも理解できる。


「えぇ。私も思ってました。オーバーワーク過ぎると。このような形で家出するとは思いもしませんでしたが」


 でしょうね。

 俺もまさかウチに突撃してくるなんて思いもしなかったよ。

 今となってはいい思い出だが。


「そこで陽紀君に相談なのですが…………来年3月。1年生から2年生へ上がるタイミングに東京へ来られませんか?」

「…………はい? 東京に、ですか?」


 突然彼女の口から飛び出した突拍子もない提案に思わず聞き返してしまった。


 あれ?俺聞いてた話飛ばしてたっけ?ボタン連打しまくってたっけ?

 東京?なんで俺が? それが若葉の休止となんの関係があるの?


 突然の提案を聞いて泡のようにとめどなくあふれでる疑問の数々。咲良さんはその一つ一つを割るように解説をし始める。


「若葉は私に似ず才能に溢れた子です。歌もダンスもできて世渡りも上手。それに演技も今はまだ荒削りですが、すぐに才能が開花するはずです。そんなあの子が無期限休止するという話を聞いて驚きました。そこまで疲弊しきっていたのかと」


 当時のことを思い出したのか1つ大きなため息をついてみせる。

 しかしそれも束の間。すぐにキッと真剣な表情に戻って真っ直ぐ俺を見据えてみせた。


「ですが才能ある子はどんどん出てくる世界。才能を磨かず放置していればいくら若葉でもすぐに埋もれてしまうでしょう。だから私は一刻も早くあの世界に戻って活動を……いずれ女優の道に進んでほしいのです」


 若葉以上に有名な人物である咲良さん。彼女の本職は女優、だから若葉にそれを期待するのはまた自然なことだろう。

 けれど同時に思う。女優の道は若葉自身が望んだ道なのかとも。


「もちろんこれは勝手な希望。若葉の気持ちも大事にしなければなりません。それに女優としてではなく母として、好きな人が見つかったのなら応援したい気持ちももちろんあります」

「………………」


 好きな人。それは間違いなく俺のことを指しているのだろう。

 まっすぐ向けられた目に応えられるか分からない自信の無さから思わず目を逸らしてしまう。

 けれどそれを気にしない彼女は更に言葉を紡いていった。


「そこで思いついたのが陽紀君、あなたと一緒に東京へ出てくることなのです。きっとあの子もあなたと一緒なら無理はしないでしょう」

「…………」

「仕事に疲れた心ももちろん休んで頂きます。なので4月……その頃になったら若葉と一緒に東京へ来ませんか?」

「だから俺が東京に……。でも学校が……」

「もちろん高校については不備がないよう手配します。若葉との時間も取れるようにいたしましょう」


 咲良さんの繰り広げられる提案に俺は黙って顔を伏せる。

 つまり、彼女は早期に若葉を芸能界に戻したいようだ。そしてゆくゆくは女優業にと。

 しかしオーバーワークの危険性もあり、俺と離れるのが嫌だというのが目にみえているから、まず俺を東京に連れて行きたがっているといったところだろう。


 その言い分は理解できる。最終的に俺たちの意思を尊重できることも。

 しかし今すぐに答えを出すこともできない。


「…………今は提案だけです。答えについてはまた別の機会に」


 きっと、俺が伏せて考え込んだせいで答えが出てくるとは思わなかったのだろう。

 言いたいことを告げた彼女は足早に席を立ち、一礼の後母さんとともにリビングを出ていってしまう。


 今度こそリビングに取り残される俺一人。

 俺は先程の言葉を反芻しながら、与えられた提案について考え続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る