079.過去の密約


 ――――時は少し遡り、10月の終盤に差し掛かった頃。

 夕方5時を少し過ぎ、少女は一人店が立ち並ぶ道を歩いている。


 薄手のセーターに膝丈ほどのスカート、暖をとる兼下着が見えるのを抑止するためのタイツなど、女の子らしい服を着用した彼女。

 帽子を深く被り、サングラスをかけてその身が何者かを防ぎながら歩く。それもこれもパニックを防ぐため。人目を惹き、ここに居ると知られれば大変なことになると重々承知しているが故に着用した、平穏な生活を守るためのすべだ。

 少女は最寄り駅近くの商業エリア、その一角にある建物を見上げ、階段を上り、扉を開ける。


「いらっしゃいませ……あら、こんにちは」


 扉を開けるとそんな声が少女にかけられた。

 奥から歩いてくるのはエプロンを身にまとった女性。ここの従業員。

 薄暗い空間と落ち着くジャズの音楽を奏でながら同じ服を身にまとった女性たちが歩くそこは、少女お気に入りの喫茶店。

 この街に来て教えてもらった、一つ一つが個室となり他の客の目が気にならない貴重な店だ。


 少女がこの店に来た目的を従業員に告げると、女性は事情を把握していたのか分かっていたかのように奥へと誘導していった。

 各個室の扉を傍目にズンズン奥に進む2人。やがて従業員の足は止まり、最奥のボックス席の扉を指し示した。

 女性はコンコンと扉をノックし、中から返事が返ってくると入るよう促してくる。


「あっ!若葉さん! 待ってましたよ~!」


 部屋に入るやいなや、そんな明るい声が辺りを照らした。

 少女――――若葉が入った途端顔を上げ、パァッと笑いかけたのは目的の相手である雪。

 机に広げられているのはノートと教科書。そして着用している服は白いシャツに紺の襟、水色のタイといった彼女の通う学校のセーラー服だった。


「ゴメンね、待った?」

「いえっ! 課題やっていたので全然!」


 どうやら先に待っていた雪は学校の課題をやっていたようだ。

 広げていたノートや教科書を纏めている姿を後目に、ここまでくればもう安全だと、雪の向かいに座った若葉も身を隠すために付けていたサングラスと帽子を外して金青の髪と翠の瞳を露わにする。


「今日も疲れた~。 店員さん、オレンジジュースとホットサンドお願いします」

「あ、私もグレープフルーツおかわりで!」

「かしこまりました」


 身を隠す姿は不審者一歩手前。その拘束を解いた今は元大人気アイドル、彼女は水瀬 若葉その人。

 政令指定都市でありながら東京から見たら田舎と評する者も数多いこの街。そんな有名人を目の当たりにした従業員だったが、何一つ動じることなく一礼して去っていく。

 この店は教えてもらった人物……雪のお気に入りの店であると同時に若葉も愛用している店である。

 その流れで利用している内早くに正体が発覚し、今となっては従業員も慣れたもの。その代わりというわけでも無いのだが、店の隅には若葉のサイン入り色紙がひっそりと置かれていた。


「お疲れ様です。若葉さん」

「雪ちゃんも学校お疲れ様。今まで何の課題を………平方根かぁ。懐かしいなぁ」

「数学は数こなさなきゃいけませんから。もう気づけば11月になりそうですし……」


 きっと雪も少なからず受験へのプレッシャーを感じ取っているのだろう。

 まだ1年、まだ半年と悠長に構えていたらすぐに残り1ヶ月しか無いだの、あと1週間だの騒ぐことになる。

 そうなってからでは遅いのだ。それが分かってるからこそ雪も早くから頑張っているのだろうと若葉も理解する。


「雪ちゃんなら合格できるよ!大丈夫!」

「そうですか? えへへ、若葉さんに言ってもらえると嬉しいです……」

「こんなに頑張ってるんだもん。なんだったら受験当日はグラウンドから歌って応援だってしてあげるし!」

「それはやめてください! 絶対集中できなくなっちゃうんで!」


 グラウンドでのゲリラライブ。そんな事したらいたるところからグラウンドに人が集まって受験どころじゃなくなるだろう。

 もちろん若葉も本気ではない。けれど雪なら合格できるだろうという思いは間違いなく本物である。


 そんなこんなで冗談を交えながら話していると不意に扉がノックされてさっきの従業員が再び顔を出す。

 手にしていたのは2人が注文した品。もちろん若葉の姿に驚くことなくチラリと目配せだけにとどめた女性は一礼して去っていった。



「………さて。そろそろ本題にはいろっか」


 ちょっとした雑談も一段落し、従業員を見送ってオレンジジュースを口につけた若葉は切り替えるように言葉を発する。

 それはさっきまでの談笑と違い真面目な口調。若葉も笑ってはいるが瞳の奥には真剣さも含まれていて、空気も僅かながら緊張が混じる。


「雪ちゃん、私をここに呼んだってことはそういうことでいいんだよね?」

「…………はい」


 勉強道具を片し、同じくジュースに口をつけた雪も姿勢を正して真っ直ぐ若葉を見る。

 かつては憧れ。人生最大の推しだった少女。それが今目の前にいるが圧倒されることなく真っ直ぐその姿を捉える。


「私が頼んだもの……できたの?」

「はい……。これです」


 少し緊張が混じる雪だったが、若葉の促しによってテーブル上に出したのは1つの冊子のようなものだった。

 サイズ的にはティッシュ箱より少し大きい程度。しかし厚さはそれほどでもなく、2~3センチほどだろう。

 その冊子のようなものを目の前にスライドさせられた若葉は震えた手を添える。


「これが……例の……。見ても、いい?」

「…………はい」


 その問いかけに頷くのを確認した若葉は震えつつも持ち上げ、中身を確認しようと両手を添える。

 ゆっくりと顔を上げれば雪の顔が目の前にあり、再び頷く姿を目に捉えてからは意を決したかのように添える手に力を込めた。


「こっ……これは…………!!」

「どうですか? お気に……召したでしょうか?」

「す……凄いよこれは! 想像以上!もうこれだけで国宝にできるほどだよ!!」


 その中身は若葉にとって何よりも代えがたいものだった。

 1つページを捲れば目を輝かせ、もう1つ捲れば前のめりになり、更に1つ捲れば鼻息が荒くなる。


 まさにアイドルらしからぬ姿。先程の緊張感はどこへいったのやら。

 夢を与えられる立場から夢を貰う立場に。いつかの未来で陽紀の上半身に興奮していたときのような感情の高ぶりを彼女は味わっていた。


「よかったです。……あっ!そこ!そこのページすっごく大変だったんですよ!危うくバレそうになってて……!」

「うんうん!だってこのアングル凄いもん! あぁ……陽紀君の新しい姿がこんなにも…………!」


 もはや目を輝かせるどころか恍惚の表情。

 ウットリとしておよそ人前に出せない表情を浮かべる大人気アイドル。


 彼女が見ていたのは1つのミニアルバムだった。

 写真を現像し、1枚1枚収められた小さなもの。決して収められる枚数は少ないが、それでも若葉にとってかなりの価値を誇る代物だ。


 最初のページに写っていたのはキッチンで立ちながら牛乳を飲む陽紀の写真。その下には眠そうにあくびをする陽紀の写真。

 次のページには薄暗い中撮った陽紀の寝顔。その下にはうんと伸びをしておへそがチラ見えしている陽紀のあられもない姿。

 ―――そして、雪が大変だったと振り返るページは洗面所で上半身だけ脱いだ陽紀の写真だった。


 そう。ここに収められているのは写真。そして被写体はどれも陽紀。

 これは若葉が雪へ秘密裏に交わした約束、陽紀のアルバムだった。

 できれば自然体の、普段通り過ごしている彼の写真が欲しいと告げられた雪は公共良俗に反しない程度で隙を突き、我が兄をフレームに収めていたのだ。

 もちろん本人には無許可で。彼にプライバシーなどありはしないのだ。


「どうでしょう?喜んでもらえると嬉しいのですが……」

「もっちろん!すっごく嬉しいよ! ゴメンね、突然お兄ちゃんの写真をって言い出して」

「いえいえ!おにぃも気づかれたところで気にしませんし!むしろ若葉さんのためって言ったら泣いて喜びますよ!」


 それは仲の良い兄妹だからこその信頼の形だろう。

 実際、たとえバレたところで大した問題にもならないのだが。


「……でもこれ、部屋に放っておくのは危険ですよね。 若葉さんの目標でもある、おにぃ部屋に連れ込んだ時の為隠し場所考えないと不味くないです?」

「そうだねぇ……。どこかいいかなぁ……やっぱりベッドの下かなぁ?」

「鉄板ですね」


 陽紀のことが好きな若葉。彼を落とすための作戦はいくつか立てている。

 その1つが部屋に連れ込むこと。そのまま落ちてくれれば万々歳だがそうは行かないのは若葉もわかっている。だからこそ徐々に、確実に攻めていかねばならないのだ。


 しかしその過程でコレを見られるなんてことはあってはならない。

 だからこそどこに隠そうか画策する。


「もちろん、そのまま置いたらバレちゃいますよ。棚とかでカモフラージュしないと」

「そうだね!カラーボックスとかポチっとかないと!」


 何も知らない人から見れば、隠し場所とか話し合ってだいぶ危ない会話である。事実写真の出どころは危ないのだが。


「こんなに雪ちゃんにはよくしてくれて……何かお礼しなきゃね。雪ちゃん、今欲しい物とかない!?」

「欲しい物ですか? そうですね………私としては将来が不安なゲーマーのおにぃの引き取り手が見つかったことでもう十分お釣りが来ちゃいますので」

「雪ちゃん……!! もうっ!なんていい子なの!絶対私の妹にしちゃう!」

「私も!若葉さんでしたら大歓迎ですよ~!!」


 テーブルを挟んだ共犯同士。

 謎の友情を感じた両者は互いに固く手を握りあって輝かしい目を向け合う。

 それは遠い遠い未来で訪れる"かも"しれない、姉妹のようであった。






 そして11月。文化祭の翌日。

 今回の一件がきっかけで、ベッドの下に隠したアレが母に発見される悲劇が起こってしまうなどとは、今の若葉はまだ知らない。

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