078.一ヶ月の旅路


「街に行く途中、コンビニで出したものです。これがなにか知ってますよね?」


 咲良さんが見せてきたのは幾つかのA4用紙だった。

 その言葉のとおり何の変哲もないただの紙。表彰状のような厚紙だったり高級な和紙みたいな特徴なんてない、コンビニでただ刷っただけの紙。

 強いて言うならモノクロでなくカラー印刷だってことだろう。俺も若葉も机の上でスライドしてくるそれを上から覗き込む。


「これって…………」

「うん……。ねぇママ、これがどうかしたの?」


 そこに描かれていたのはただの写真。

 スマホで撮ってそのまま印刷しただけの風景写真だった。

 誰か写ってるかと思って隅々まで見てしまったがそれも見当たらない。単に建物が写っているだけ。

 確かに見覚えがある風景。だがこれが一体なんなのかと若葉は思わず問い返す。


「ここがどこだかわかりますね?」

「うん。今の私の家だよ」


 そこに映し出されているのは若葉の現住所だった。

 俺も見覚えあるし若葉本人が認めるから間違いない。


「はい。 でしたらこちらは? 恵那さんの許可も貰って入室しました」

「そんな勝手に……。でも、私の部屋だね」


 続いて咲良さんが紙をめくって見せたのはその内部、彼女の部屋。

 たしか現状会社の持ち物なんだっけか。勝手に入るのはどうかとも思ったが母親なのだし仕方ないか。


「随分とゴミが溜まってますね。掃除はしているのですか?」

「もちろんしてるよ! ここのは明日ゴミ捨ての日に持ってく用に置いてるだけなんだから!」

「ベッドの上も。パジャマ脱ぎっぱなし」

「うっ…………」


 写真の内装の一部分。キッチンの隅には溜めたであろうゴミ袋が幾つか。

 若葉……ほんの少し前に掃除しに行ったのにまた溜めちゃったのか。ゴミも夜出せるのに……。

 それとベッドに脱ぎ散らかしている可愛らしいパジャマが数セットころがってるのは……うん、見なかったことにしよう。


「と、とにかく!これがどうかしたの!? 一人暮らしだってちゃんとしてるよ!!」

「色々と言いたいところはございますが……まぁいいでしょう。思ったよりゴミは少なかったですし、気になるところは掃除しましたし」

「でしょう!私だってやればできるんだから…………って、掃除!? ママ!掃除ってどこまで!?」

「掃除ですか?それはもちろん、ゴミ捨てにパジャマの洗濯。それにベッドの下まで全部です」

「っ――――!!」


 おぉ、それはなんとも優しいお母さんだ。

 ウチの母さんなんて掃除機はかけてくれるけど片付けとかは一切してくれないからね。

 俺はあまり汚くしないからマシだけど雪が酷い。放っておいたらグッズ引っ張り出して雪自身が埋もれてる。


 俺から見たら嬉しいだけだが、けれど若葉にとってはまた違うようだ。

 息を呑んだ彼女は目を開き写真をひったくって穴が空くほど凝視しだす。

 なんだ?なんかマズイのか?そういや俺たちが掃除した時はベッドの下まで気が回らなかったな。そもそもそっちは雪の領分で任せきりだったし。


「べ、ベッドの下はボックスが……小物入れてただけだけど……」

「……カラーケースの裏。もう一つのケース」

「はうっ……!!」


 その言葉に若葉は何か心当たりがあったようだ。

 若葉の握る拳に力が入り、自然と近くにあった紙にシワができる。

 けれどそれを気にしていられないほどの衝撃を彼女は受けているようだった。


「マ、ママ……。ソレ・・は……どうしたの?」

「はい。もちろん取り出して机の上に並べておきましたよ」

「あぁぁぁ!!机の上!? なんでっ!?それだけはダメだよ!反則だよ!」


 ここに来て初めて若葉の心の叫びが部屋に響き渡る。

 そんなに叫ぶほど!?そんな大事なものをなんでベッドに…………あれ?



 なぜかわからないけど既視感がある。

 俺のベッドの下はカラ。何も物を置いてないから理解しようもないハズなのに。

 もう一度言っていた咲良さんの言葉を頭の中で繰り返す。

 掃除。ベッドの下。机の上―――――あっ。



 ちょっとまって!!

 咲良さん!それは反則ですよ!具体的な中身は知らないけど、ソレ・・を表に出すのは反則だ!!


「いいじゃないですか誰が入るわけでもない。それとも、物が散らかった部屋に誰か招き入れるとでも?」

「それはぁ…………」


 チラリと言葉に詰まった若葉が俺の方を向く。

 思い出されるのは先日の掃除のこと。あの時ガッツリ招き入れられたものな。この写真よりひどい惨状を見た覚えがある。


「と、とにかく!この件はもういいの! ソレよりこの写真がどうかしたの!?もしかして私の汚い部屋を陽紀君に見せに来ただけ!?」

「それだけだったらどれほど良かったことでしょう。大事なのは1枚目です」

「これ? これがどうかしたの?」


 まさに力技。流れのできた水路を蹴っ飛ばして方向を変えるような所業。

 無理やり話を軌道修正させるように問うた若葉だったが、即座に差し出された写真に目をパチクリさせた。

 1枚目といえばアパートの外観だ。これがどうかしたのか?


「……セキュリティ」

「えっ……?あっ!」

「土地ごと買ったのは聞いてました。ですがこのセキュリティ状況なんて聞いてません。まだ建て替えの見積もりすら頼んでいないようですし、この一ヶ月何やっていたのです」


 責めるように問いかける咲良さんに若葉は口をモゴモゴと言いよどむ。


 どうやら咲良さんが言いたいのはアパートの状況だった。

 どこからどう見ても建築年数の古い、セキュリティ皆無のアパート。向こうで暮らしている家と比べたら天と地だろう。

 それを指摘するのは当然のことだ。俺も最初にどうにかするって聞いて以降すっかり忘れていた。


「本来は芦刈さんのお母さんへのご挨拶だけの予定でしたが、若葉の暮らすアパートを見て三度見しました。あなたも年頃の娘なのですよ。それにアイドルだってバレたら大変なことです。自己責任と言うのでしたらそれでもかまわないでしょう。ですがもし何かあった時、陽紀君の気持ちを考えたことがありますか?」

「陽紀君の……気持ち……」

「…………」


 まさに正論。言い返しようもない言葉の数々。

 その中の若葉の心を打ったのは最後の言葉だった。


 若葉の揺らめく視線がこちらに向けられるが、俺はキュッと唇を結んで何も言葉を発しない。

 その時なんか考えたくもないが、死ぬほど悲しむだろう。そして一生後悔するだろう。事前に俺から言っておけばとか、武器があるからと安心するのは慢心だとか。


 俺が何も答えないことに数度逡巡する若葉だったが、自ら結論が出たのか一瞬だけ目を伏せて咲良さんを真っ直ぐ見る。


「……うん。私もちょっと浮かれてて何も見えてなかったかも。アパート、なんとかしなきゃね」


 それは自らも大事にするという、決意の現れ。

 自分だけではなく俺の気持ちも考えてくれた彼女の言葉。


 しかし実際問題、なんとかすると言ってもどうするのだろう。

 若葉に何か考えがあるかと思ったが、それより早く咲良さんが答えを示した。


「―――その言葉が聞けてよかったです。私のお願いが無駄にならなくてすみました」

「お願い……? ママ、何かしたの?」

「えぇ。私の知り合いの業者さんに頼みました。早速明後日から着工するので明日中に荷物移動を。そして一ヶ月お世話になるのですからご挨拶も忘れずに」

「…………へ? ママ、なに言ってるの?」


 唐突なスケジューリングに俺はおろか若葉本人でさえ理解できなかったようだ。

 業者?着工?何の話だ?


「アパートの建て替えです。これから一ヶ月工事が始まりますので、若葉にはその間このお家でお世話になるよう、私からお願いしました」

「…………おせわ……に?」

「ええ。ですから、若葉は明日から一ヶ月、この家で暮らしてください。陽紀君も、良いですね?」

「ちょ……ちょっと待ってください!!なんでホテルじゃなくウチに…………ムグゥ!!」

「一ヶ月も!?いいの!?ママ!?」


 彼女のそれは今日一番、いや、出会って一番の輝かしい声だった

 目が飛び出るほど驚く俺を押しのけ、ズイッと前のめりになる若葉。ちなみに背後でずっとにやけている雪。


 いやいや!それはおかしいでしょ!!

 彼女たちは芸能人で成功者。お金は腐るほどあるはずだ。なのに一ヶ月程度ホテルなりマンスリーマンションなりいくらでも手段はあるにも関わらず何故ウチを選ぶ!?

 年頃の男女云々があるだろう!確かに名取姉妹が泊まりに来た日もあったが一晩と一ヶ月はまた話は別だ。

 そもそもそれを母親である咲良さんが推し進めるのか!?いいのそれで!? そして俺の母さんが許さないだろう!


 咲良さんの告げたトンデモ発言。

 後に母さんは語る。遅れて帰ってきた頃には、それぞれが主張を押し付け合うカオスな現場になっていたと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る