077.早急に取り組むべき問題


 足立あだち 咲良さくら―――――


 その名前は普段朝の忙しい時間帯にテレビをチラ見する程度の俺でも知っている人物だ。

 一言でいえば現在において日本トップクラスの女優。近年見られる歌手だとか声優だとかマルチタスクを求められる時代に対して脇目も振らず女優一本で突き進んできた人物だ。

 もしかしたら単に時代が良かっただけなのかもしれない。けれど芸歴が彼女のそれに箔を付随させていた。


 子役として小学生の頃からあの世界に入っていた人物。20前後でピークを迎え、裏被りを容認せざるを得ないほど出ずっぱりだった生ける伝説。

 40代後半になった今でこそ落ち着いてきているが、映画やドラマに出演すると一斉に彼女の名前を大にして押し出すほどだ。

 彼女の実力は演技だけにとどまらず、50近いのに若すぎるという意味でも話題の人物でもある。


 彼女の活躍と言えば、直近だと去年の朝ドラが有名だろう。

 毎朝平日にやっているドラマ。そのヒロインを親のように昔から見守る役にだったが、物語最後の障害として立ちふさがったオリジナル展開には視聴者も度肝を抜かされてネットにも衝撃が走った。親代わりも同然だった彼女がまさか応援するだけじゃなく壁にまでなってしまうなんて。その時の鬼気迫る表情があまりにも白陵ありすぎた、と。


 主人公の目指すもの何もかもを応援する立場だったにも関わらず、最後に打ち出した夢に対しては応援どころか暗躍してまで邪魔をする役どころ。

 彼女は彼女で強い信念を持っており、同じ夢を抱いて破れてしまった経験からヒロイン対立するようになる、言うなればラスボスだった。

 主人公と彼女の対峙。感情に任せず淡々としながらも次々襲いかかる正論。そして醸し出される威圧感も相まって、ネットでは主人公より彼女を応援する勢力が大きくなるという珍事が発生した。

 その勢いもあってか朝ドラの最終回だけは普段テレビを見ない俺でもリアルタイムで視聴して息を呑んだ覚えがある。


 そんな彼女が、あの女優が今目の前に立っていた。

 凛とした立ち姿がまさしくあのドラマから出てきたようで、思わず俺も圧倒されてしまう。



 彼女が若葉の母というのは俺もネット経由で知っていた。若葉自身から母が今週やってくる予定があったことも覚えている。

 だが若葉が朝からウチに来た以上その日ではないと思っていた。そしてまさか、わざわざ俺のところに挨拶をしに来るだなんて……。


「ゴメンね陽紀君。私はすぐでわかったんだけど言うなって目で言われちゃってさ」

「ううん、それは別にいいんだけど……」


 若葉が言っているのは街で会った時のことだろう。

 あの時変なゆるキャラみたいな鳴き声したなと思っていたが、母を目の前にして驚いたわけか。

 そして即座に知り合いじゃないと否定していたし、暗に喋るなと言っていたのだろう。


「知らなかったの、俺だけですよね。なんでわざわざそんなことを……?」


 一番引っかかったのはそこだ。

 そんな『道を聞いてきた人が実は超有名人だった!!』なんてテレビでよくある一般人の反応企画みたいなものじゃないはずだ。

 単に悪戯とかドッキリ目的か?そんなのイチ学生の俺のリアクションなんて全く面白くないだろうに。


 けれど目の前の女性……咲良さんはなんてこと無いようにコップを傾けながら答える。


「そのことでしたら1つしかありません。娘の想い人がどんな人が気になったからです。娘に言わせなかったのも、私の正体を知っていたら意味ありませんので」

「えっ!?ちょっとママ!! 私、コッチに越したとは言ったけど好きな人の事なんて一言も…………!!」

「そちらについては人づてに聞きました。それに若葉、あなたは殆ど家出同然でウチを出たじゃありませんか。私もお父さんも駆け落ちしたんだと思ってましたよ」


 家出同然!?

 若葉……確かに急だなって思ったけど、身内にまでそんないきなりだったの……?


「駆け落ちだなんてそんな……!私たちはそういうのじゃ…………!!」

「じゃあ、陽紀君は好きではない。そういうことでいいのですね?」

「うぅ~~~~!!」


 2人の会話はもはや圧倒だった。

 若葉が何を言おうと意味をなさず、最終的に涙目になりながら俺に助けを求めてしまう始末。

 これが2人の……水瀬家の姿なのか。


「あの……。足立……咲良さん」

「はい? 咲良で構いませんよ」

「ありがとうございます。咲良さん、若葉……さんが越してきた場所は聞いていたのです」

「えぇ。殆ど事後報告という形でしたけどね。 アイドル休止した直後家出みたいに飛び出して、後日連絡よこしたと思ったら引っ越したとか言ってくる不肖の娘です」


 えぇ……。若葉さん、もっと連絡とか相談とか、会話しようよ。見た感じ仲悪いっていうのでもなさそうだしさ。


「でもママ……その時撮影で何日も家に居なかったし……」

「電話でもなんでもあるでしょう? お父さん、若葉が帰ってこないって心配しすぎて恵那さんへ深夜2時に電話したのですから」

「社長に……!? ……ごめんなさい」


 その恵那さん……という方が社長さんなのだろうか。

 珍しくシュンとなって反省する若葉。いつも元気な彼女でも親の前では型なしというものだろうか。


「……まぁ、あなたも一人の社会人。大抵のことは自分で決めるとはいえ、まだ子供なのだから報告もしてください」

「うん……」

「しかし若葉。 駆け落ちじゃないのならアイドル休止したうえに越してまで一緒にいるこの方は、一体何者なのです?」

「それは…………」


 彼女には珍しい控えめな目が俺に向けられる。

 それは何の問いかけだろう。俺から言ってもいいが親子の会話にあまり口を出しすぎるのもいかがなものか。そう考えて何も答えられずにいると、先に視線を外した若葉が一瞬視線を迷わせ、咲良さんに向き直った。


「陽紀君は……まだ一方通行だけど……私の好きな人、です」


 嘘偽りのない彼女の言葉。ここで結婚したと言われるかと思ったが、とりあえず問題ないことにホッとする。

 でも何ていうか……改まって言われると俺も恥ずかしい。


「……わかりました。つまり陽紀君といずれ結婚したい。そういうことですね」

「えぇ!? い、いや……確かにいずれそういうふうになれたらな~……なんて思う時はあるけど、そんな予定は全く……」

「そうなのですか? 陽紀君」

「俺!? あ、はい……まぁ……」


 若葉の言葉を黙って聞いた咲良さんが受け流すように俺へと問いかけを回し、思わず視線を逸して顔が熱くなる。

 一方の若葉も顔が真っ赤だ。2人揃ってゆでダコ状態。これ、なんの辱め?


 2人揃ってゆでダコ状態。それを咲良さんが腕を組んで黙って見るという不可思議な状態が続くと思いきや、咲良さんは腕を解いて息をはく。


「……分かりました。あらかた聞いていた話と一緒なのでそちらについてはこれ以上追求しないこととします」

「聞いていたの!?誰に!?」

「誰って、ここの家のお母様に決まってるじゃないですか。雪さんと交えて聞いた内容と相違無いので理解はいたします」


 雪……!話していたのか!!だったらさっきまでの流れは一体……!?

 俺の秘密は……俺に秘密は無いというの!?

 いつの間にか居なくなってるし!逃げやがったな!!


「しかし今はそれよりも早く、早急に対応すべき事案があるはずです」

「さっきゅーに……?ママ、そんなのあったっけ?」

「えぇ。まずはこれを見てください」


 まるでさっきのことは前座だというように。

 どうでもいいと一蹴する彼女に俺は驚かされっぱなしだ。

 娘の家出も休職も恋も何も言わず、ただ確かめるだけに留める彼女。我が家とは大違いだ。

 そんなカルチャーショックに見舞われながら咲良さんを見ると、彼女はバッグを漁ってひとつのクリアファイルを取り出した。

 俺たちはそこに描かれているA4サイズの紙をそれぞれ覗き込む―――――。

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