076.苛立ちと変化
「母も外出中ですみません。こちら粗茶ですが……」
「あらお気遣いなく。ありがとうございます」
いつも俺たちが食事をするリビングのテーブル。その一角にコトリと湯気の立つお茶を置く。
遠慮しつつも快く受け取ってくれるのはつい先程街中で出会った母さんを目的にやってきたという女性。
室内だというのにサングラスも帽子も外さず不自然だと思うが、それを指摘することもなく再びキッチンに戻り来客用のカステラに包丁の刃を通す。
若葉との買い物中に女性と出会い、思ったよりも早く帰宅した俺達だったが、家の中はまるでもぬけの殻のように静まり返っていた。
いや、玄関に雪お気に入りの靴があったことからおそらく部屋に籠もって勉強をしているのだろう。
女性にとって目当ては母さん、雪は関係ないことから知らせることすらせずに母さんが帰ってくるまで来客の対応をする。
ちなみに母さんへメッセージを送ったところ案の定買い物中だったらしく、10分15分かかるらしい。それくらいなら俺一人でもどうにかなるだろうと皿に並べ終えたカステラを手に持つ。
「カステラも切りましたけど、アレルギーなど大丈夫ですか?」
「まぁ、いいの? もちろん大丈夫よ。ありがたくいただくわね」
優雅……気品……。
正確になんて評すれば分からないが俺とは立場の違うようなオーラを発している気がする。
お茶やお菓子を置くにも妙に緊張しつつも対応をし、次はと消灯しているテレビの方へ視線を向けた。
「ほら、若葉も食べるか?」
「うん……。ありがとね、陽紀君」
テレビの方へ近づくと、そう言って弱々しく笑うのはさっきまで一緒に元気よく遊んでいた若葉が恐る恐る皿を受け取った。
しかし人が変わったかのように大人しく、そして顔を伏せる彼女を憂慮する。
女性に会ってから若葉は変だ。元気さは鳴りを潜めたし会話さえしようとしない。
今だって距離を離すようにテレビ近くのソファーで身体を丸めてるし。
これは恐怖や不安………というより緊張?
何の根拠も無いのだが若葉は緊張している、そう思えた。
「お母様からはなにか連絡あったかしら?」
「あ、はい。遅くとも15分くらいで帰るようです」
「そう。ならそれまでゆっくり寛がせてもらおうかしら」
そう言って女性は優雅にお茶をすする。
室内でサングラスなのによく手元が見えるななんて見当違いな関心を抱きつつ、俺も女性の座る反対側へと腰を下ろす。
すると待ってました、と言わんばかりに手にしていたお茶を音を立てて置き、こちらに向けられる視線がキランと光ったような気がした。
「ねぇ、えっと……陽紀君でいいかしら?」
「俺ですか? はい。芦刈 陽紀です」
「その感じだと……陽紀君は高校生?」
「高校一年になります」
「いいわねぇ高校生。私ロクに通って来なかったから羨ましいわ。どう?学校楽しい?」
「まぁ……はい」
楽しいか楽しくないかでいえば、7割くらいは楽しくない。
でも残り3割は楽しい。例えば昨日の文化祭とか委員会活動とか名取さんと話したりする時とか。
トータルでは楽しいといえるだろう。なんだかんだ楽しくなくても評価損になるほどじゃないしな。
「私が通ってた学校では五大桜に負けないくらい大きな桜があってね、そこで告白して付き合ったカップルは一生結ばれるって言われてて、桜目当てに受験する人もいたほどだったのよ」
「は、はぁ……。そうなんですか……」
「そこに私も呼び出されてよく告白されてきたんだけど、ずっと幼なじみの男の子が好きだったから断っててね、あんまりにも告白してこないものだから最終的に引っ張り出して私から告白を――――って、いやね。私の話ばっかり。おばさんの話なんて若い子は興味無いでしょうに」
当時のことを懐かしそうに語る彼女はとても楽しげに思えた。
よっぽど高校時代が楽しかったのだろう。俺もそう懐かしく語れる日がくるのだろうか。
それにおばさんだなんて、まだ10年も経っていないでしょう。
「いえいえ全然。それで告白は上手くいったんです?」
「もちろんよ。その人とはコッソリ付き合って、最終的に結婚して娘も生んだわ。あの子は元気でやってるのかしら……」
「一緒に暮らしてないんです?」
「えぇ、色々あってね……」
まぁ、そこに関しては家庭の事情。深く首を突っ込むわけにはいかないだろう。
でも最短18で生んだにしてもまだ10を越えたかどうか。それで離されるのは酷な話だ。
その話に俺も釣られて感傷的な気分になっていると、彼女はふと思い立ったかのように身体を捻り背後へ目を向ける。
視線の先にいるのは会話に入ることもなく、隅で小さくなっている若葉の姿。
「ところで若葉……だったかしら?あなたはこっちへ来ないの?」
「―――!! えっ……いや……私は…………」
「いいじゃない。一緒にお話しましょう?」
「…………はい」
その呼びかけにより一瞬大きく肩を震わせる若葉。
戸惑い、緊張した彼女は女性の言葉に否定する材料を持っていなかったらしく、断りかけたものの押し負けて腰を浮かす。
彼女が座るは俺の隣、女性と向かい合うような形。何を抱えているのか少しだけ俺を盾にするように椅子を近づけ影に隠れた。
3人中2人が室内にも関わらずサングラスと帽子をかけるという不審者集団。
場所が場所なら通報されていてもおかしくない。けれど片方は身内、片方は母の客ということの上、若葉の事情も知っている俺は何も指摘できずにいた。
心なしか張り詰めたように緊張した空間に俺も身震いをする。
若葉の不調の原因はおそらく目の前の女性。けれどその正体がわからない。母さんならなにか知っているだろうか。
…………でも、あれだけ明るかった若葉がこうも緊張するんだ。
初めて見る姿。サングラス越しにも関わらず決して女性と目を合わせようとせず外を向くのはなにか事情があってのことだろう。
もしかしたら冤罪かもしれない。もしかしたら合理的な理由があるかもしれない。
けれど若葉にそんな思いさせるのはなんか―――――――気に入らない。
「あの、若葉と知り合いなんです?」
「いいえ、全く。その子のことは全然知らないわ」
笑みを崩さず一蹴するように返答する女性。
余裕そうに、なんともなさそうに。若葉を対称的に笑う姿を見て俺も心のうちになにかが溜まっていく。
「本当です?」
「えぇ、本当よ」
「でも、それだったらこいつがこんな表情をするのはおかしいです。なにか……知ってるんじゃないですか?」
「…………」
目は口ほどによく語る。
彼女の目はサングラスのせいで見ることはできない。口元は一切変わらぬまま口角が上がっていた。
もしかしたら2人の関係、何も知らない俺自身が勝手に苛立っていたのかもしれない。
未だに何も言葉を発しようとしない若葉。その様子をチラリと見て、心配すら向けない女性へフラストレーションが溜まった俺は固く拳を握りしめ次の言葉を発しようとしたその時―――ガチャリと扉が開いて一人の人物が姿を現した。
「ココアココア……あっリビングあったか~い」
「雪……」
「あ、おにぃ帰ってたの?おかえり~」
廊下は寒かったのだろう。リビングに入ると同時に開放されたような表情を浮かべるのは2階で勉強していたであろう雪だった。
俺の姿を捉えた雪は即座に同じテーブルで顔つき合わせている2人の人物も認識する。
「あ、
「えぇ、お陰様で」
2人の来客の内、雪が真っ先に反応したのは見知らぬ女性の方だった。
咲良さん……?それがこの人の名前?なんで雪が名前を知ってたんだ……?
「雪、この人のこと知ってるのか?」
「知ってるもなにも…………分からないの?おにぃ」
「いや……」
「まったくもう、無知は罪だよ!おにぃ!」
そんな事言われたってわかるものか。
再び彼女に目を向けるもやっぱりわからない。そもそもサングラス帽子を付けられちゃわかりそうがないだろ。
というかなんで2人は顔見知りみたいなやり取りしてんだ?今日雪はずっと家に居たはずだし、どこで知り合った?
そんな目を向けると雪は1つの可能性に行き当たったのか恐る恐る女性に問いかける。
「あ~……咲良さん、もしかして何一つ教えてなかったりします?」
「えぇ。この子の反応が面白くって。 ごめんなさいね。ふふっ」
「だからでしたか~。でも、若葉さんも居るのになんで……」
「それについては、私からお伝えするわ」
まさに予想が当たったかのように息を吐く雪が再び疑問を呈するも、それを制したのは咲良さんという女性だった。
彼女は居住まいを正して俺と向き直り、1つ咳払いをする。
「ごめんなさい陽紀君。あなたの反応が面白くて2つ、ウソをつきました」
「ウソ……?」
「えぇ。1つは既に一度この家へご挨拶に伺っており、雪さんとお母さんとは顔見知りということ。それと――――」
そこで彼女は1つ言葉を区切った。
今まで身につけていた帽子を取り、サングラスを外す。
帽子を外して飛び出すは見覚えのある金青の髪。今まで隠されていたセミロングの髪の毛が帽子から舞い降りて肩にかかる。
そしてサングラスの奥に見えるのは優しげな翠の瞳だった。それは、隣に座る彼女と同じもの。
同時に俺も目を丸くした。
その顔にはほとんどの人は知っている、あの女優の…………。
「初めまして陽紀君。私の芸名は
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