074.ビル一棟
祝日ということもあって人通りの多い昼の街。
12月も近づいてきて少しづつ秋の装いから冬の装いへ、そしてほんの僅かではあるがクリスマス商品が頭の切っ先だけ店頭に見え始めた11月のとある日。
俺は何の因果か休止中の大人気アイドルを連れ立って道を歩いていた。
密着までとはいかずとも服の袖部分を小さく摘み、決して離れまいと隣に寄り添って歩く姿は傍から見れば付き合いたてのカップルのよう。
現実には違うのだがしかし引き剥がすこともできない俺は、そう言われるかも知れないリスクを受け入れて何とか恥ずかしさが顔に出ないよう真っ直ぐ前を向いていた。
きっと隣を見れば色々と自覚して顔が真っ赤になることだろう。そうはなるまいと確固たる意志で進行方向へと顔を向ける。
「でっえと~!でっえと~! はっるきくんとデート~!」
「…………」
真剣な眼差しで正面を見据える一方、隣で謎の歌(?)を歌っている彼女は心底楽しそうだ。
元々アイドルとして歌唱も本職の1つだった彼女。謎の歌も無駄に美声で音程もしっかりしており聞き苦しくないが、上手いからこそ恥ずかしい。
バレたらどうすんだとかクラスメイトに見られたらとかそんな考えを抱きつつも指摘することなく目的の場所へと足を動かす。
昨日泊まりにきた名取さん姉妹と入れ替わりでやってきたアスル。
雪の強引な策略に嵌った俺は彼女とクリスマスパーティーの買い出しのため街へ繰り出していた。
渡されたメモ用紙をチラリと覗くと『リース・クラッカー・雪』などクリスマス定番商品が幾つか並んでいる。
一瞬雪って書かれてるの見て妹自らのことを差してるかと心配したよ。アレだよね、綿をほぐして雪みたいにするやつ。
こんなクリスマス一色のラインナップ。まだまだ早すぎる世間には置いてないと思いもしたが雪の狙いはまた別にあったようだ。
それはメモの隅、よっぽど顔に近づけないと読めない小文字で書いてある。
『せっかく好きって言ってくれる人がいるんだから、ゲームでじゃなく現実でもデートしなさい! ファイト!』
……余計なお世話だ。まったく。
確かに休日は基本家に引きこもりな俺。よっぽどな用事がなければ人の多い街なんかに繰り出さないだろう。
でもだからといって、強引とはいえわざわざ策を弄してまで俺を行かせるとは。
「は~るっきくんっ!」
「っ――――!」
渡されたメモをポケットに仕舞い、再び顔を上げたところで突如彼女が回り込むように正面に移動したのを見て思わず息を呑み足を止める。
向かい合う形になった彼女は心底楽しそうな笑顔だ。
口角がずっと上がっておりいつも以上に目もキラキラ輝いている。
「楽しいね!デート!」
「そっ……そうか? まだどこにも行ってないだろ……」
「そうだよ! 楽しいよっ!」
それだけを告げた彼女は元の場所に戻り再び足を動かし始める。
…………まぁ、つまらなそうにされるより楽しくいてくれる方がよっぽどいいか。
冬の風で暑くなった顔を冷やしながら人通りの多い道を歩いているとある店の前で立ち止まる。
そこは雑貨を中心に扱っている店。大きなビルの大半が雑貨という今一番都合がいい店だ。
さすがにまだ11月。都合よくクリスマス用品を扱っているかは分からないが、それでもある程度はここで揃えることができるだろう。
そう思って店へと足を伸ばそうとする……
「……あれ?」
……が、その足が店内に入ることはできなかった。
入る直前、ふと感じた服を引っ張られる感覚。
それに疑問を思いながら振り返ると服を摘みながら動こうとはしない彼女の姿があった。どうやら口元に手を当ててなにか考え事をしているようだ。
「アスル?どうした?この店じゃ不味かったか?」
「いや……。でも、もしかしたら……」
「……アスル?」
俺が問いかけてもブツブツと呟くようで返事がない。
さっきまで楽しげに歌まで歌っていたというのにどうしたのだろう。
「……陽紀君!」
「うん?」
「陽紀君! 私は誰!?」
「…………はっ?」
……はっ?
突然何を言い出す。この数分で記憶喪失にでもなったとでも言うのか。
いや、さすがに俺の名前呼んでるしそれはないと……思う。
ならどうしてかと疑問に思うも、とりあえず聞かれたことには一応答えるか。
「そりゃあ、アスルだろ?」
「ううん!そうじゃなくって私の名前!」
「……水瀬さん?」
賑やかとはいえ万が一ということもある。少し小声になって名前を告げるも大きく首を振って否定される。
なんなんだ?その2つでもないとなるともうお手上げだぞ?
「私の名前だよっ!昨日帰り際に呼んでくれた私の名前! 朝から一度も呼んでくれてないよね!?」
「っ…………」
……あぁ、そういうことか。
あの時去り際に告げた彼女の名前。
たしかに敢えて呼んでこなかったという面もある。
昨日何を血迷ったか帰り際に告げた名前。それからどう呼ぼうかひとしきり考えたがずっとアスルというキャラ名に逃げていたことも自覚している。
しかし……わざわざそれを言ってくるとは。俺を恥ずか
「その……だな……」
「うんうん!」
胸の前で拳を握り、目を輝かせて今か今かと待ちわびる彼女。
これで言わなかったら絶対失望されるだろう……勇気を……勇気を出すんだ俺!!
「…………わかば」
「~~~~~!!!」
クッ……!恥ずかしい!!
しかし隣からテコでも動かない意思と輝かしい瞳。そんなの受けたら言わざるを得ないじゃないか!
そっぽを向いてボソリと呟くような呼びかけだったが彼女の何かに触れたのか服を摘んでいた指がいつの間にか腕を握っていて力強く握り………地味に痛い痛い。
「陽紀君!なにか欲しい物ない!? お姉さんがどんなものでも好きなの買ってあげる!」
「えっ!?なんで突然!?」
「いいの! そういう気分なの!!」
突然どうした!?
その名を呼んで身悶えしたと思えば今度は鼻息荒くして迫ってくる。
近い近い!周りもチラチラ見てきてるから!!
「好きな人に名前を呼ばれるのって、こんなに嬉しいんだね…………」
ポツリと。
テンションの高い彼女から溢れるように漏れた言葉でさっきまで感じていた疑問を一掃された。
そっか、そういう……。
でも理由は分かったとしても今俺が欲しい物なんてそんなパッと思いつかない。もう適当に嘘だとわかりやすいものを言ってしまおうか。
「このメモに書かれたヤツ全部」
「そうじゃなくって! 陽紀君自身がほしい物!」
「じゃあ、このビル一棟」
「わかった! ちょっと待っててね、今持ち主さん探してお話してみるから!」
「!?!?」
まってまってまってまって!!
いきなりズンズンと店に入っていこうとする彼女を慌てて引き止める。
いくら彼女でもさすがに一棟買いはできないだろう。しかしその勢いは本当にやってしまいそうだった。こっわ。
「冗談!冗談だから!」
「え~? なら何が欲しいの?」
「……わからん。ちょっと保留にさせて」
いきなりそんなこと言われてもわからんよ。
ついついネットでアスルと話す勢いで適当に答えたが、いざ本当に聞かれると迷うものだ。
「しょうがないなぁ。また考えておいてね!」
「お、おぉ……」
「とりあえず今は頼まれたもの買わなきゃ!」
そう言って一歩前に踏み出した彼女は俺に向かって手を差し出してくる。
それはテンションの上がった彼女なりのお店デートのお誘い。しかし未だに恥ずかしさが抜けきっていない俺が手を取ろうか決めあぐねていると、彼女の腕が伸びてきて柔らかさと暖かさが俺の手を包み込む。
「行こっ!陽紀君!」
小さな手で固く握ったまま俺を引っ張りそのまま店内へと駆け込んでいく。
後ろからチラリと見えた横顔は、とても楽しそうに笑っていた。
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