069.宣戦布告


「ふふふ………」

「那由多……さん……?」


 日本の大半の人は、そして2人を除いた我が家の全員が寝静まった丑の刻。

 わずかに開いたカーテンから月明かりが差し込み闇に慣れた俺たちに光をもたらしている。

 暖房も付いていない11月。冬至からまだ遠いにしても刻一刻と太陽の高さは下がってきて長袖を着ていても肌寒さを感じる夜の部屋。


 シンと静かになったこの部屋で、俺は一人の少女と顔を突き合わせていた。

 目と鼻の先、僅か20センチ程度の近さで目の前にいるのは妹の友人である那由多さん。

 ここ最近知り合った人物で名取さんの妹。そして来年には後輩になる可能性がある女の子だ。


 名取さんと同じく茶色の髪を持ち、どことなく名取さんと似た箇所を持つ少女。

 そんな彼女が目の横で手をつき、覆いかぶさる形で見下ろしていた。

 それはまさに押し倒すと形容するにふさわしいもの。はらりと落ちた彼女の髪の毛が俺の顔に降りかかる。


「アンタ、ほんっとうにコッチでも変わらないわねぇ」

「変わらない……?」

「そっ。本当……変わらないんだから。ホッとしたわ」


 これまで眉を吊り上げていた彼女だったが、小さく言葉柔らかくなったかと思えば表情にも笑みが戻っていく。

 変わらないとはどういう意味だろうか。

 何度もその言葉を咀嚼しても、どうあがいても答えにたどり着くことができない。


 そして彼女は……本当に那由多さんなのだろうか。

 これまで何度か彼女と会話してきたが、そのどれもが今の彼女と噛み合わない。

 言葉の節々には気の強さが混ざり、つい数分までの様子ともぜんぜん違う。

 一体何が……まさか本当に幽霊にでも取り憑かれたとでもいうのか?


「……なんだか、私が何者かとか全然気づいてないような顔ね」

「那由多さん……だよね?」

「えぇそうよ。私は名取 那由多。大好きな麻由加お姉ちゃんの妹で、雪ちゃんの親友よ」


 フッと髪の毛をかき上げた彼女は自信満々にそう答える。

 幸い幽霊に取り憑かれたとかそういうのではなさそうだ。しかしそれだとなお解せない。何故彼女は突然こんなことを?


「じゃあなんでこんな……まさか那由多さんは痴女なの……?」

「ちょ……!なんでそういう結論になるのよ!?」

「だって、いきなり俺を押し倒して……キ…キ……キスしようとしてたし」


 言ってる自分が恥ずかしくなりつつもついさっきのことを思い出す。

 あれは確実にキスだった。これは自信過剰だとか勘違いとかそういうものではない。狙いを定められていた。

 だったら何故か。それはもう1つしか思いつかない。痴女とかそういう趣味が彼女にあったということだ。


「そんなわけないじゃない!私だってファーストキスで勇気振り絞ったんだから!」

「だったらなおのことどうして……!数度しか会ってない俺を……!?」


 今最も理解できないその行動。

 真正面で気を抜いたらキスが果たされてしまいそうな距離にいる俺達は両者視線を交わしてにらみ合う。

 痴女じゃなかったらなんで!?なんでこんなことを!?


「……そうね。それがわからないとこの先にもいけないものね」

「那由多さん……?」

「えぇと――――あった。ちょっとコレ借りるわよ」


 納得したのか諦めたのか、押し倒していた状態から俺の胸を突いて身体を起こし、馬乗りになった彼女はどこか辺りを見渡したかと思えば目当てのものを手にする。

 それは寝れないからと触ったり放ったりしていたスマホだった。

 けれどスマホにロックをかけるのは今どき常識。解除なんてできないのにどうしてと思っていたら彼女は画面を点灯するだけにとどめ、こちらに見せつけてくる。


「コレ、なんの画像かわかる?」

「そりゃあ俺のだし。ゲームの画像でしょ?『Adrift on Earth』の」


 何を当然のことを聞くんだこの子は。

 俺のスマホで俺が設定したのだし、その画像がどんなものかは当然理解している。

 以前アフリマンを討伐した際にみんなで撮った大切な思い出。強大な山をともに越えた大切な仲間たち。それがどうしたっていうんだ。


 ――――けれど、彼女が俺の言葉を受けて口にしたのは耳を疑うものだった。


「右からセツナ、ファルケ、アルス…………そしてセリア」

「―――!!」


 突如としてその小さな口から飛び出した真実に、俺の目はこれ以上無いほど見開く。


 何故……なんでそれを……。

 雪が言ったから!?いや、雪には友人のことは喋っていない。アスルはわかるだろうが少なくともファルケは知らない。

 じゃあアスルが!?そんなのあり得ない。2人に面識は無いはずだ。

 ならファルケ!?それこそ無いはずだ。彼のリアルは俺も全くわからない。


 ………いやまて。

 俺は彼女に心当たりがあるはずだ。

 豹変したその口調。『アンタ』というその呼び方。つい最近知った、彼女の声――――。


「――――セツナ」

「せいか~い。 ようやく気づいてくれたわね。セリア」


 那由多さんの顔と声で、俺のもう一つの名前を呼ぶ。

 全てわかっているようなその笑顔と口調。俺の腹に腰を降ろして馬乗りになり、ファサッと肩甲骨あたりまで伸びた髪をなびかせる。

 背筋がしっかりと伸びて自身に満ち溢れたその表情。まさか那由多さんがセリアだったなんて……。


「どうして俺のことを……もしかして住所聞いたときにはもう……!?」

「違うわよ。最初はあくまで偶然。最初にこの家へ来た日、スマホを渡した時にこの画像を見て、ね」


 たしかに俺たち4人ならばすぐにこの画像がなんなのか理解できるだろう。

 俺たち4人が揃ってこちらを向き、笑顔を向けている写真。ともにアフリマンを倒した大事な仲間たち。そうそう別人で同じ写真が撮れるとは思えない。

 つまり彼女はあの時点で気づいていたということだ。


 でも、それでもどうして俺のことを……


「セツナ……それでも俺のことを好きな理由には……」

「はぁ……アンタここまで言ってもわからない?」

「っ……!」


 俺の言葉を受けて1つため息をついた彼女はベッドの脇へスマホを放る。

 俺の顔の斜め上へ。ベッドから落下することは無かったものの放おった地点で跳ねるスマホを見ていると、不意に目の端に影を捉えたかと思えば彼女の手が再び目横を通った。

 再度同じ体制になる押し倒される体勢。ビクッと震えながら目をパチクリさせていると、見下ろす彼女はペロリと1つ舌なめずりをする。


「1年よ。1年間ほぼ毎日来る日も来る日もゲームとはいえ一緒にいたの。アンタと一緒にアフリマンまで倒して……。そりゃ恋心の1つでも芽生えるものでしょう?」

「でも……」

「でもじゃないわ。あたしはアンタが好き。それだけの話よ」


 見下ろしながらも真剣な目が俺を捉える。

 嘘偽りない真実の言葉というように。よく見ればいい終えた口がキュッと下唇を噛み、俺の言葉を待っているように見える。


「ありがとう。 でも俺は、名取さんのことが……」

「えぇ。分かってるわ最初から。お姉ちゃんのことが好きなことも。 だからこれは宣戦布告。どうせアスルにも告られたんでしょう?」

「――――!!」


 彼女はどこまで見通しているのだろうか。

 その言葉もまた真実。俺がアスルのことを思い出して大きく身体を震わせるとセツナは「やっぱりね」とだけ答えて身体を起こし、ベッドから飛び終りる。


「アンタのことだもの。お姉ちゃんのことが好きなその気持も、アスルから受け取った告白も、ぜんぶあたしで塗り替えてやるわ。 でも今はここまで。勢いでキスしようとしたけど失敗して結構限界なの。あたしも」

「セツナ…………」

「だからこれからは……覚悟してなさいよね、先輩!」


 それだけを告げ軽く手を掲げた彼女は逃げるように部屋から飛び出していく。


 ようやく身体を起こした俺はそっと唇が触れたであろう頬に手を触れる。


 突然の告白。そして真実。

 俺は結局、その夜は一睡もすることができなかった。

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