068.豹変


 ――――眠れない。


 ただシンプルに、眠れない。


 文化祭があった夜。そして名取さんたちが泊まりに来た夜。

 俺はベッドで横になりながらも、一切眠れる気配がないことに頭を悩ませていた。


 雪の部屋で巻き起こった至福の時からどれだけの時が経過したのだろう。

 仰向けになりながら真っ暗な部屋の天井を見てボーっと考える。

 脳裏に焼き付けた名取さん好きな人のメイドコスプレ姿。もはや今後100年は忘れないであろうあの光景が衝撃的過ぎたのだ。


 目を瞑って、寝れないと悟って、スマホをいじって、目をつむる。

 どれだけ繰り返したかわからない。けれど相当の時間というのは理解できた。

 スマホをいじっている段階で日付は変わった。そこから更に1時間は経過したのは覚えてる。しかし沸き立つ心が落ち着きというものを許さない。


 もう壁向こうから話し声は聞こえない。きっとみんな夢の世界へ旅立ったのだろう。

 俺だけだ。未だに緊張して眠れていないのは。さっさと寝ないと朝を迎えてしまうと危機感を持ち、もう一度目を瞑って今度こそと夢の世界への入り口へチャレンジする。



 コンコン―――――



 一向に眠れない暗闇でそれでもとジッとしていると、ノック音が自室に響き渡った。

 これは壁越しに伝わる音ではない。扉から直接向けられたものだ。何事かとほんの少しだけ目を開いて見ると、返事を待つこともなく扉が動き出して慌てて寝た振りに移行する。


 誰も声を発しない静かな部屋。

 ス、ス、スと。そんな中衣擦れの音が聞こえる。

 ゆっくりではあるが確実に聞こえる何者かが近づく音。今更起きるタイミングを見失った俺は寝た振りを続けながらジッとしていると、ついにベッドのすぐ近くまでその者の気配が近づいていることまでは把握できた。


「…………」


 じぃっと無言で見つめられる感覚。これは誰なのだろう。

 目を開いて相手を確認したいところだが、相手も闇に目が慣れているはず。目を開けたら起きていると気づかれるだろう。

 つまり隣に来られた時点でもう詰んでいたのだ。一体誰が、何のために。


 まさか今になってあのメイド服姿を忘れろと名取さんが俺を排除しに来たのだろうか。

 それとも雪か?ハンマーでも持って記憶の消去に乗り出したのだろうか。

 そうでないとするなら……幽霊!?いやいやいや、ありえな……ありえるな。ただ黙って見つめられるなんて"ぽい"じゃないか。

 もしかしたら気づいていないだけで既に金縛りに遭っているのかもしれない。それはもう………怖すぎる。


 ジッと幽霊に悟られないように黙ってやり過ごす俺。

 しかし痺れを切らしたのか、幽霊はスッと俺の手に触れてきたのだ。


「…………!!」


 それは人と変わらぬ、暖かな手だった。

 手のひらと5本の指の感触。俺の手と重ね合わせるよう上から包まれたその手に意識を集中させていると、ついにその正体が露わになる。


「起きてるの、分かってますよ。お兄さん」

「!!」


 まさか発せられる声。日本語。

 その声で弾かれたように目を見開くと、暗闇に慣れた目は相手の姿を捉える。

 視界に収めたその姿は、間違いなく足が生えていた。手もあり顔もあり、明らかに幽霊ではない人物。


「なんでここに……」

「ちょっとお話、しませんか? お兄さん♪」


 そう言って笑みを見せつけのは、お下げを下ろした茶色い髪の少女。

 雪の友人で今日この家に泊まりに来た名取さんの妹である那由多さんだった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「どうしたの那由多さん。こんな時間に」


 少しだけ開けたカーテンから月明かりが入ってくる。

 僅かながらに明るい、けれど闇に慣れた今ならこれだけで十分といえるこの部屋。

 時刻は深夜1時過ぎでもう2時が近いというところ。そんな時間にも関わらず俺はしっかりと目を開いてとある少女と顔を突き合わせていた。


 その少女こそ本日のお客様の一人、那由多さん。

 雪の友人で、名取さんの妹さん。彼女はベッドの縁の俺と向かい合うように、PC前に置いていた椅子を持ってきて姿勢正しく座っている。

 なんとも不思議な組み合わせ。彼女がこんな夜更けに何の用だろうと頭を捻っていると心を読んだかのようにその口が開き自ら打ち明けた。


「そんなに警戒しなくたって、ただ私も眠れなかったから遊びに来ただけですよぉ。お話してたら眠れるかな~って」

「そうなんだ。でもこんな時間、俺が寝てたかもしれなかったのに……」

「あはっ!今日に限ってそれはないかなって! だってお姉ちゃんのメイド服姿を見て興奮してたでしょうし。好きなんでしょ?お姉ちゃんのこと」

「………………まぁ」


 非常に長く間を置いた返事。

 眠れてないと見抜かれていたらしい。そしてやはり彼女も知っていたか。俺の好きな人を。まったく、雪ったら口が軽いんだから。


「あ、雪ちゃんを責めないであげてくださいね。雪ちゃんが打ち明ける前に私が気づいちゃったんですから」

「そうなの?でもよくわかったね」


 多少驚きはしたがそこまでだ。俺の心の内を知られていることは最初から予想してたし、大げさに反応することはない。

 彼女は腕を組んで胸を張り、自信に満ちた表情を浮かべる。


「頭いいんで。私。―――それで、お姉ちゃんのメイド服姿はどうでした?おっぱいの1つでも揉みましたか?」

「ぶっ……!! す、するかそんなもん!!」


 な、何を言い出すこの子は!!

 そんなことす……す……するわけないだろう!!


「あはは!冗談ですよぉ! でも何故かお姉ちゃんがあの服持っててよかったです。お陰で私の計画も……」

「計画?」

「あ、いや、なんでも無いです! 気にしないでください!」


 はぁ……。

 なんだか計画とか不穏な言葉が聞こえたが、とりあえず流しておく。

 まだあまり会話を交わしていない彼女。明るく気さくだが、何か裏があるような感じもして少しだけ気になっていた。

 気づけばジッと観察しているというか、されているというか。とりあえず姉の麻由加さんと違う雰囲気を纏っていたから。


 雰囲気……確かに不思議だが懐かしい感じもする。

 ここではない何処かで交わしたかのような、緊張する一方、何か安心できる不思議な感覚。

 この感覚がなんなのかわからない。けれど安心感は決して悪いものではないと考え、とりあえず棚に上げておく。


 ……でも、これだけは聞いておきたいかな。


「那由多さんはどう思ってるの?」

「どうって何がです?」

「その……俺が名取さんを――――ってこと……」

「……? あぁ、お姉ちゃんのことが好きで、さっきから欲情してるっていう?」

「そっ、そこまでは言ってない!……けど……」


 前者は合っているが後者は違う!


 その突っ込みを飲み込んで控えめながらゆっくりと頷くと、彼女は「そうですねぇ」と考える。

 妹さんならば名取さんの好きな人も知ってるかもしれない。でもここで諦めろなんて言われたら立ち直れない自信もある。


「別にいいんじゃないです?好きなら好きで。判断するのはお姉ちゃんですし。 私はお姉ちゃんの好きな人知りませんけど」

「そっか……」


 そっか。知らなかったか。

 なんだかホッとしたような残念なような。

 けれど一応まだチャンスが残っていることに胸をなでおろしていると、彼女がスッと腰を上げて中腰になりながら俺のすぐ近くへ。真正面へやってくる。


「な、なに……?」

「…………」


 戸惑いながら問いかけるも返事はない。

 その目はこれまで不思議に思っていた時の目だった。

 俺の何かを探るような、ジッと見つめる瞳。表情はなくただ観察するような豹変のしように思わず身体がのけぞってしまうも、彼女は更にズイッと前のめりになって距離を詰めてくる。


「アンタ、まだわからないの?」

「へっ? わからないって?」


 わからないってなにが……?

 それにお兄さんじゃなくて、アンタ……?


「はぁ……。しょうがないわね。 だってアンタだもん。これは実力に出るしかないか」


 豹変。


 その言葉にさっきまでの敬語は一切なく、柔和な微笑みどころか呆れるような表情と言葉に俺の脳は混乱の境地に達していた。

 まるで気づいて当たり前かのような。けれど全く心当たりのない彼女の姿に目をパチクリさせると、その両の腕がスッと伸びて俺の耳横を通り過ぎる。


「いい?覚悟なさい」

「那由多さん……?何を……? ―――――っ!!」


 横を通った両腕が俺の頭に触れたのと同じタイミングだった。

 すぐ近くまでやってきた彼女の瞳。その目がゆっくり閉じていくのを悠長に見ていると、狙いすましたかのようなタイミングで俺の身体が引っ張られた。


 頭に回された腕のお陰で前方へと勢いよく向かっていく俺の身体。そしてそれを待ち構える彼女。

 このまま行けばどうなるかなど考えるまでもなかった。衝突だ。数瞬の後には衝突してしまうと確信する。

 そして同時に悟った。このままただ黙っていれば衝突する箇所はただ一箇所。その狙いは―――唇。


 そのことを無意識ながらに悟った俺は反射的に顔を横に背ける。

 目を瞑り、衝撃に備えるように身体をこわばらせてグッと口を一文字に固く結ぶと柔らかな感触が俺の唇へと触れていた。

 目を開けばすぐ横に見えるは那由多さんの顔。閉じた瞳と整った顔。それは大人しくて優しい名取さんを彷彿とさせるものであり、妹である彼女は次第に違和感を覚えたのかゆっくりと現在の光景を目に収め、どういう状況を理解したのかムッと眉を釣り上げる。


「なんで避けんのよっ!」

「な……!なっ……!んで………!?」


 突然の感触。未だに理解できない行動。

 声を出せども言葉にならず、引き離そうとしても体重の掛かった彼女には敵わず。

 次第に俺の身体も力の流れに負けて押し倒され2人同時にベッドへと倒れ込む。



 何も理解できない深夜2時。

 他に誰もいない自室の空間にて、俺は那由多さんに押し倒されたのだった。

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