064.最初の文字は


 トントン、グツグツ、ジャァァ……と、様々な音がキッチンから奏でられる。


 料理というのは時短が命だ。いかに合理的に動くかが求められる。

 ただ熱せられる鍋を見ているだけではただ時間を浪費するだけ。料理に慣れた者は二重に三重に工程を並行で動かしていくことが求められる。

 1つは鍋のものを熱し、その間にレンジを稼働させつつ水を貯め、食材を切っていくなど突き止めればいくらだって仕事を重ねることができる。

 けれどさすがに人1人の仕事量には限界があるのが当然で、現実的にはできて2つ3つ程だろう。


 そんな奥が深い料理を俺はいつものように、当番ということもあって早速キッチンに向かっていた。

 鍋の世話をしている最中に包丁を持ち、少なくなっていた水出しお茶の補充を行うのはもう慣れたもの。

 まるで1人音楽会かのようにあちらこちらで様々な音がなり一人きりの部屋を明るく奏でさせていた。


 今日夕食をともにするのはいつものメンバーではない。雪の友人が来ているのだ。そのうち一人は俺の好きな人でもあるのだから自然と料理する手に力が籠もる。

 作る物自体はさほど迷わなかった。さっき雪が買ってきたものを見ればある程度予測もできたから。俺は実質リクエストでもあるそれを慣れたように作っていく。

 今現在お客人である2人は雪の主導で家の案内中だ。上でドタドタ音が聞こえることからきっと布団を運んでいるのだろう。俺の部屋に入られることが不安だが、良識ある名取さんがいるのだし特に心配することもないだろう。最悪PCさえ起動されなければいいのだ。


 そんなこんなであと30分くらいでできるかなと目算を立てていると、リビングの扉がカチャリと開いて一人の人物が姿を現した。


「お疲れ様です。お兄さん」

「あれ、那由多さん? 雪と上にいたんじゃ?」

「少し飲み物をと思いまして。少しだけ失礼しますね」


 リビングに入ってきたのはつい最近知り合った妹の友人、那由多さんだった。

 彼女は後ろで2つにまとめた茶色の髪を揺らしつつ軽く会釈しながらこちらに歩いてくる。


「そっか。確か雪がお茶とかジュース買ってたし好きに飲んでいいよ」

「いえ、そちらはお夕飯に回しますので今回はお水にしようかと。コップはどれを使えばいいですか?」

「あぁ、それじゃあそっちの棚の…………」


 俺が手の離せない影響で彼女に指示を出しつつ、来客用のコップで喉を潤す那由多さん。

 随分と喉が乾いていたのだろうか。ぷはぁ、と一息に飲みきった彼女はキッチンに広がっている料理をみて「ほう」と息を吐く。


「お兄さん、前回も思いましたけど随分手慣れてますね」

「雪もだけど母さんの意向でよく作ってるからね。今も当番制だし、自然とこうなってくものだよ」

「そうなのですね。料理ができる男の子はモテるって聞きますし、さぞかし学校でもモテるでしょう?」

「まさか。これまでだれとも付き合ったことはないよ」


 当然のように問いかけてくる彼女に肩を上下させる。


 ホント、そんな単純なことでモテたらどれだけいいことか。

 足が早い人はモテるとか言われたりもするがそんなのは幻想だ。たとえモテたとしてもそれ以降は人間性の問題だから長続きするかどうかはまた別の問題である。

 更に問題は、俺の好きな人がそれをどう思うかだ。もちろん料理ができる人が好きと彼女が言えば頑張るし、足速い人が好きと言われたら練習したりもするのだが。


「へぇ~、そうだったんですね。お兄さんは学校の女の子より雪ちゃんのほうがいいと……メモメモ」

「ちょっと。何で彼女居ないからそっちに話シフトしちゃってんの」


 モテないところは俺も認めるところだが、さすがに看過できない発言が耳に飛び込んできて思わずツッコミを入れてしまう。

 確かに仲がいい兄妹だとは思うが俺にそういう気は一切ない。しかも雪の矢印は俺よりも推しに向かっていることだろう。同性?知らない。


「冗談ですよぉ冗談。お兄さんには同じ委員会に好きな人がいるんでしたよね。……あれ?そういえばお姉ちゃんも図書委員だったような……」

「っ…………」


 ふと思いついたように俺と名取さんの共通点を上げられたことに反応しかけるが、何とか料理に意識を向けることでそれを抑えつける。

 バレたか……?あの時口を滑らせたのは失敗だったかもしれない。まさか妹さんだとは思わないじゃないか。


 じっと俺を見つめていた彼女だったが、すぐに考えを改めたようで視線を外し、コップをシンクに置く。


「まぁ、図書委員は他の女子生徒も多いってお姉ちゃんも言ってましたし、あんまり詰められるのはお兄さんも本意で無いでしょうから深く聞かないでおきます」

「…………そっか」


 ホッ。

 なんとか追求されずに済んでくれた。

 このまま詰め問答とかされたら絶対に口を割る自信がある。そうなったらもうおしまいだ。今日の夜は最悪の夜になって翌日以降も気まずくなること確定である。


 とりあえず助かったことに肩の力を抜きながら手元の作業に注力していると「でも……っ!」とカウンターを挟んで向かい側に立った彼女が前のめりに鳴りつつこちらに近づいてきた。


「でもそういえば、お兄さんって結婚してるんです?」

「結婚?そりゃあもちろん結婚して――――って、はいっ!?結婚!? いや、付き合うのもまだなんだから結婚なんてするわけ……っ!」


 突然この子は何を言い出す!?

 結婚なんてあり得るわけないじゃないか!

 付き合ったこともないのに……もし結婚してるとしても家に別の女の子を泊めるなんて不誠実なことこの上ない!!


「いえいえそうではなくゲームの話です。『Adrift on Earth』って結婚システムありますよね?そっちではどうなんです?」

「あ、あぁ……そっち……」


 あーびっくりした。


 何事かと思えばゲームの話か。

 そういえば那由多さんもゲームについて知ってるって言ってたもんな。そりゃシステムを知っててもおかしくないか。


「それでどうなんです?結婚、してます?」

「まぁ……うん。してるよ。 お互い男キャラだけどね」

「へぇ~! してるんですねっ!どっちから言い出したんですか!?」

「……向こうから」


 そっちの結婚ならまだ言うことができる。

 ただのゲームだ。リアルで結婚しているわけじゃない。

 俺は結婚したからといって相手の家に乗り込まない多数派だからそこまで伏せる必要もないだろう。


 けれど女の子はゲームの結婚といえども受ける感情は違うようだ。

 バーチャルとはいえ大事な人生をも左右しかねない冠婚葬祭。一気に目を輝かせて根掘り葉掘り聞こうとする。


「向こうから!じゃあ仲いいんです!?」

「そりゃあ結婚するほどだしね。1年くらいずっと遊んでるし」

「じゃあじゃあ、どんなキャラ名なんですか!?」

「それは――――って、それはダメ。言えないから」


 危ない。もうちょっとでまた口を滑らすところだった。

 ちゃんと俺も学んだ。ゲームではリアルの個人情報を、逆にリアルではゲームの個人情報を容易に喋ってはいけないことを。

 俺だって成長してるんだ。ちゃんと伏せるところは伏せるさ。


「え~? 名前はダメなんですか~?」

「そりゃそうでしょ。ゲームはゲーム、リアルはリアルなんだから」

「ちょっとくらいいいじゃないですかぁ! お兄さんのキャラの頭文字だけ!お願いしますっ!」


 パンッ!と手を合唱させてお願いしてくる彼女に俺も怯んでしまう。

 まぁ……それくらいなら特定される心配もないし、大丈夫、だよね?


「それくらいなら……Cだけど」

「C! そっかぁ……Cかぁ……。 なんだろう……C……例えばぁ、サイクルとか?」

「残念ながら違うかな」


 サイクル。CYCLEか。

 一瞬より一層目を丸くし輝かせてすごく喜んだかのように思えたが、すぐに名前の予想に入って俺は首を横に振る。

 さすがにCだけで俺の名前を特定することは不可能だろう。2文字目以降は絶対話さないし、このくらいで勘弁してくれ。


 それからも彼女はCから続く幾つかの言葉を探してみせるも、どれも残念ながら掠る気配すら見えない。

 彼女の言葉に耳を傾けながら料理をしていると、またもリビングの扉がガチャリと開いて新たな人物が姿を現した。


「那由多、居ますか……? あぁ、いました」

「あ、お姉ちゃん! どうしたの?」


 それはもうひとりの客人、名取さんだった。彼女は穏やかな様子で那由多さんに近づき、彼女もまた駆け寄っていく。


「雪さんが呼んでましたよ。説明したいことが残ってたって」

「そうだったの?じゃあ行こっかなぁ。 それじゃ、お兄さんも話に付き合ってくれてありがとうございます!」

「うん。いってらっしゃい」

「はい!行ってきます! ―――――」


 楽しげに。足早に。

 リビングを小走りで出ていく彼女を俺は見送る。

 そうして残されたのは俺と名取さんの2人きり。あれ?これってもしかして、雪ってば俺に気を遣った?


 そして最後、名取さんの背後で告げた音なき声。

 ほんの一瞬、口パクだったが分かりやすくゆっくりと口を動かしたため読唇術の欠片もできない俺でもある程度は把握できた。


 『えいあ』


 それが彼女の口から読み取れた言葉。

 えいあ?えいや?…………うぅむ、掛け声か?読み取れてもさっぱり意味がわからない。


「芦刈君?」

「えっ? あ、あぁ。名取さんは戻らなくていいの?」

「はい。先程は私もお料理のお手伝いをすると言いましたので……。構いませんか?」


 先程の口パクに意識を取られていたのか、名取さんの呼びかけによってようやく意識を取り戻す。


 そしてなんと!彼女から発せられたのはまさかの提案。喜びの問いかけだった。

 もちろん俺にはそれを拒否する理由もない。むしろこっちからお願いしようとおもっていたのに。


「うん。それじゃあお願いしよっかな。 早速だけどそこの鍋の味付け見てもらえる?」

「はいっ! 私で力になれるかわかりませんが、頑張ります!」


 名取さんと一緒に料理を作る。初めての共同作業……なんて幸せなのだろうか。

 俺は彼女とともに今日の夕食を作っていく。その時間は当然ながら、昼の文化祭に負けずとも劣らないほど楽しい時間であった。

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