060.ニオイ移り

「へぇ~! ふ~んっ! わ~っ!!」

「えっと…………」


 彼女の隅から隅まで様々な方向から向けられる視線に思わず縮こまる。

 それはまさしく穴が空くほど。輝くその瞳とは対象的に俺の目は困惑に染まり、目を合わせられないでいた。


 時は昼下がり、場は水瀬さんの部屋。

 俺はなぜか彼女の恐喝……もとい要請で自らの服を脱ぎ放っていた。

 脱ぐ……と言っても全裸になるというわけではなく、上半身だけを取っ払った形。

 まさしく水泳の授業の様に半裸になっている状態だ。腰から上が完全に露出しているのを元凶である眼の前の少女―――水瀬さんは元から大きな瞳を更に大きく見開いていた。


 一方俺は恥ずかしさや困惑が交わっているせいで、正座かつ手を膝の上に乗せ若干猫背で丸まってしまっていた。

 そんな心などつゆ知らず彼女は楽しげに目を輝かせる。


「ねぇねぇ! 触ってみていい!?」

「ど、どうぞ……」

「それじゃあ遠慮なくっ! ――――わぁ!男の子なんだねぇ。胸筋もしっかりあって硬い!腹筋もキチンとある! へぇ~すごいなぁ。素晴らしいなぁ……。」


 なんだコレ……いやホントなんだコレ!?

 ツンツンと胸周りやら腹やら突かれて歓喜の声を上げる彼女に俺は黙ってその場をやり過ごす。

 腹筋なんて運動していないから割れてなく無いも同然だが触られる時だけ力入れるのはちょっとした見栄である。


 一体これは何の時間なのだろう。

 室内とはいえ今は冬の入り口。暖房のお陰で上半身裸でも寒いことは一切ないのだが、当然ながらすごく恥ずかしい。

 彼女はなぜ突然、俺を脱がしたのだろう。

 ……まさか!この状態のまま学校に帰れと!?


「うぇっへへへ……これが陽紀君の身体かぁ……いいねぇ。私もキュンキュンしちゃうなぁ」

「ちょっと水瀬さん……目が……目が怖いよ……?」

「はっ!ゴメンゴメン。ちょっと夢中になりすぎちゃってた」


 まるで今にも襲われそうなくらい食い入るような目をしている彼女はまるで蛇。蛇に睨まれた蛙状態である。

 逃げ出そうにもこの状態で外に出ることなんて叶わない俺には言葉しか武器がなく、恐る恐る口にすると彼女は歪んで垂れかけた口を拭いつつようやく戻してくれた。


「それで、どうして突然上を剥いだんだ?」

「えっ?そりゃあもちろん私が楽しむため――――」

「…………」

「――――じゃなくって! ちょっとまってね!すぐ準備するから!」


 楽しむため…………?

 最初言い掛けた聴き逃がせない言葉に無言のジト目で抵抗すると、彼女は焦ったように立ち上がってクローゼットへ足を伸ばす。

 もしかして俺は今日無事に帰れるだろうか。襲われたりしないのだろうか。そんな不安が頭の中を過りながら最悪走って逃げようと警戒しつつ後ろ姿の彼女を見つめていると、アレでもないコレでもないと、クローゼットに詰められたたくさんの服をスライドさせていく。


「――――あった!これこれ! 陽紀君の服が濡れて寒そうなんだもん!お風呂入らないならせめてこっちに着替えてよね!」


 トテトテと戻ってきてこちらに手渡してきたのは紺色の上着だった。

 袖を通すと俺にピッタリのジャストサイズ。まるでこれまで何度も着てきたかのようなフィット感。

 薄めでちょっと肌寒い時に着そうなシンプルな上着。ファスナーで前開きするタイプの脱ぎぎしやすい服装である。


「おぉ。よくこんな大きなの持ってたな。 ピッタリだ」

「え!? う、うん。その……昔お父さんからもらったものがね! は、陽紀君と体格似てるからも……もしかしたらって思って!」


 純粋に驚きの声を口にすると何故か急に慌てだす水瀬さん。言葉に詰まりが生じ、妙に早口になるその言葉は疑問を抱かせるには十分であった。

 よく見れば指先もしきりに動き出してなにか焦っている様子。なんだ……?俺、変なことでも聞いたか?


「とにかく!陽紀君を脱がせたのにはちゃんと意味があったんだから! その服も大事なものだからちゃんと返してよね?」

「そりゃあもちろん。今度クリーニングして返す――――」

「それはダメっ!?」

「――――!?」


 ズイッと。

 テーブルに手を叩きつけるように前のめりになって声を上げる彼女に俺の言葉はそれ以上続かなかった。

 なにか焦っている彼女。ダメ?ダメってなにが?クリーニングのことか?


「水瀬さん……?」

「えっ?あ、ゴメン! クリーニングは大丈夫だよ。私のほうで洗濯するから脱いだまんまで返してもらえればいいから!」

「それはちょっと……。さすがに洗濯くらいはして返すよ」

「ううん、大丈夫! 洗濯もまっかせて!!」


 ――――なにかおかしい。

 確かにクリーニングは遠慮するという気持ちは俺もあるから理解できる。

 しかし洗濯程度さえも拒否するのはなにか違和感しか感じない。


 なんだろう。この感覚。

 焦っている。なにか隠しているのか?俺に言えないような何かを。


「…………あれ?」


 突然焦りだす彼女の言動を訝しんだその時だった。

 ふと水瀬さんから借りた服に意識を向けると、ちょっとしたことに気づいた。


 この服、俺が前水瀬さんに渡したものと同じものだ。

 格安の量産品。なんだかんだ使い勝手がよく愛用していたもの。

 よくよく見ればほつれの箇所も記憶と一致する。サイズも奇跡的に一緒だし、これはもしかして。


「これ、もしかして俺が前渡したもの?」

「っ―――!!」


 びくぅ!!と。

 何気なしに発した言葉に水瀬さんは大きく肩を震わせる。

 そうだ。これは公園で寒そうにしている水瀬さんに俺が羽織らせたものだ。汚したからってお返しに新品をもらったけれど、まだ捨てられず残っていたとは。


 その付けたといわれる汚れは…………なくない?

 ちょっと軽いシミは増えてるけどクリーニングで取れない汚れってどこにあるんだろう。


「ナッ、ナンノコトカナ?」

「この上着、汚れが取れないって言ってたけどどの辺なんだ?

「エットォ……」」


 なんだか変なイントネーションになっている水瀬さんだったが、ふと思い出した事があってその上着を持ち上げる。

 首元とか胸元とか、確かに見覚えのないシミはあるけど消せそうだし、件の汚れはどこにあるんだろ?


 ――なんてジロジロと見上げるように眺めていると、ふと手を四方八方に動かして明らかに挙動不審になっている水瀬さんに気がついた。


「水瀬さん?」

「い、いやっ!違うの陽紀君! これは決して匂いが消えたからまた付けてほしいとか、そういうことじゃないの!!」

「匂い?また付ける…………? あぁ、そういうことだったのか」

「ハウッ――――!!」


 それは、彼女の完全な自爆だった。

 ただ純粋になんの疑いもなく聞いた俺。しかしすべてを白状するように口から漏れ出たのは彼女の企みであった。

 一瞬何のことか全くわからなかったが真っ先に反応した水瀬さん自身の反応を見て俺も察しがつく。

 突然服を脱がしてこれ着ろって何かと思ったけど……そういうことだったのか。


「水瀬さん……匂いって……」

「うぅ……だって陽紀君の服着て寝ると包まれてるみたいで安心するんだもん……。それ、もうそれ匂いなくなっちゃったんだもん……」


 …………はぁ。

 何を考えているかと思ったが、そんなことを考えていたのか。

 人差し指同士をツンツンと突き合いながら説明する彼女の姿はまるで親に怒られた子供のよう。

 肩を落とし目を落とし、しょげる姿に俺はそっと近づいて頭に手を乗せる。



 ―――――まったく、しょうがないな。



「―――とりあえずコレを着て帰って、前もらった服と交換でいいか?」

「……えっ?」

「1日着た程度じゃ匂いなんて移らないだろ。前もらったアレなら毎日着てるし、それでいいか?」

「陽紀君、それって……」


 それは俺にできる最大限の譲歩。

 彼女はなんだかんだ俺を考えてくれていた。

 服に匂い云々という策略はあったものの、たしかに濡れたシャツを着続けたらマズイというのは当然である。

 シャワー浴びないならせめて、という心遣いは純粋に感謝する。もちろん、さっさと家に帰ればなんて元も子もない考えはスルー。

 元々俺のだし、着回す感覚で別に大したことないしな。それで彼女が喜ぶなら、だ。


「……また今度持ってくるから今はそれで我慢してくれ」

「~~~! ありがとう陽紀君っ! 好きっ!!」

「っ……!そうやすやすと好きって―――抱きつこうとしてこない!!」

「やぁ~だぁ~! やっぱり陽紀君もセリアも大好きっ!!」


 感極まったのか手を大に広げてこちらに突撃する彼女を慌てて手を伸ばしてせき止める。

 まさしく暴走機関車アスル。その決着は、不意をついた俺が洗面所に駆け込むことで、なんとか危機を脱することができたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る