059.策略と謀略

「――――さっきはすまなかった」

「えっ?」


 お互い顔を背けてからほんの少し後。

 ようやく両者冷静さを取り戻したところで、俺は自分で塗れた部分を拭きながら気にしていたことを謝罪する。


「突然どうしたの?何の話?」

「いや、さっきの文化祭のこと。学校にストラップ落としたってことは来てたんだよな? 声かけられた気もしたし……」

「そう、だね」

「だから……その…………嫌なの見せちゃってすまなかった。 アレを見たから帰っちゃたんだろ?」


 アレというのはもちろん学校を抜け出す直前のこと。

 聞こえたような気がしたあの声はきっと聞き間違いじゃなかったのだろう。それはストラップの存在から容易に想像が可能だ。

 そして消え去った理由。それも予測ができる。俺と名取さんがあまりにもひっつきすぎたのだ。

 好きだと言ってくれてる彼女にとって俺たちの光景は面白くなかっただろう。怒り狂わないことが驚きに値するほどだ。外で泣いてた理由については否定されたが帰った理由はまだ聞いていない。だからアタリを付けて彼女に問いかける。


「アレって麻由加ちゃんとのこと?」

「……あぁ。アレを見たから帰ったんだろ?」

「そうだねぇ」


 やはりそうか……。

 俺に好きな人が別にいるということは彼女もとっくに承知の上だ。

 それが名取さんであることも、もしかしたら察しが付いていることだろう。

 だから彼女の告白には首をそう簡単に縦に振ることができないでいるし、そもそもあの時ひっついていたことに恥ずかしさはあれどやましい事は1つもない。

 ……が、それでも開き直り居座るほど俺は愚かでもない。たとえ事故でも思いを寄せてくれている以上辛い思いをさせたのだから謝る以外の選択肢などなかった。


「それにしてもビックリしたよぉ。私が声掛けようと思ったら麻由加ちゃんと相合傘してたんだもん! あ!そういえばもう付き合ったの!?ここに来ちゃっていいの!?」

「いや、付き合うってのは全く……」

「そっかぁ」


 努めて明るく振る舞ってくる彼女に俺は罪悪感を感じつつ首を横に振る。

 簡単に告白することができて事が進めばどれだけいいか。俺には恐ろしすぎてできそうもない。

 そう考えると告白して、別に好きな人がいるにも関わらず優しく接してくれる彼女の心の強さには驚くばかりだ。俺には真似できない。


 そして謝罪のあまり目を伏せる俺を気遣ってか、目の前に移動した彼女はスッと下から覗き込む。


「元気ないね、陽紀君」

「だってそうだろ。 水瀬さんが来てくれたのにフイにしちゃったし、嫌なの見せちゃったし」

「へ? 嫌なのを見せる?何のこと?」

「……えっ?」


 ………えっ? 

 この話の流れでわからなかったのだろうか。

 彼女も自ら相合傘と答えを言っていたのにそれでもなお通じなかったのだろうか。


 突然浮かぶ疑問符に思わず俺も顔をあげると、彼女は「あっ!」と声を上げてその心当たりを口にする。


「なんとなく噛み合ってないなと思ってたけど、もしかして相合傘を見たから私が傷ついたって思ってる!?」

「違うのか!?」

「全然違うよぉ! アレは2人の時間を邪魔しちゃダメなだって思ってバレないように逃げたんだから!」


 そうなの……か!?

 彼女のその明るさは空元気かと思っていたが本当に気にしていないようで俺は思わず言葉を失う。

 ということは……俺がこれまで考えていたことは杞憂だったと……!?


「あ~あっ! 私がそんなに繊細な子だって思われたたのかぁ。ショックだなぁ~」

「グッ……! す、すまん」


 まさしくその通りだ。

 そりゃあそうだろ。声がしたと思ったら居なくてストラップだけが残されてて、探しに行ったら泣いてる姿を目にしたら誰だってそう思うだろう。

 けれど現実は違った。水瀬さんは一切そんな事気にしていないというのだ。


 完全な勘違い。

 ニヤニヤとしながらツンツンと人差し指で肩をつつかれるのを黙って受け入れる。

 今回は完全に俺の早とちりと勘違いだ。ぐうの音も出なかった。


「ショックだなぁ。これはなにか陽紀君にしてもらわないと癒やされないなぁ~」

「何を要求する気だ……? 風呂に入れはさっきも言ったがしないぞ」


 耐える俺に対して彼女はまさにウソ泣きをし始める。それはなにか願いを聞いてもらおうとしている魂胆だというのはすぐに理解出来た。

 そんな……何をする気だ!?いくら辱められようと俺の心まで屈するとおもうな!!!…………はい、冗談です。そこまでの心配はしていません。


 なんだかんだ空気も読めて優しい彼女だ。

 アスルの時も罰ゲームではそこまで変な要求されなかったし、夕飯作れとかそういうものだろう。

 俺は申し訳無さを抱えつつも少しの安堵を覚えつつ少女を見ると、彼女は立ち上がってニッと笑いながら顔を上げ、軽い口調で言い放った。


「大丈夫だよっ!それはないってさっき約束したしね。 でもぉ…………。陽紀君、服を脱ごっか♪」

「…………はっ?」


 

 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「いらっしゃいま――――あら、那由多。よく来られましたね」

「やっほーお姉ちゃん! 遊びにきたよ~!」


 ところ変わって文化祭真っ只中の学校。

 2人の少女がとある出し物をしている教室に入るとまっさきに気づいた人物が少女たちに近づいた。


 それは執事服を着た凛々しい人物。

 何人かいる執事の中でも最も凛々しく両の足で立ち、線の細さと柔らかさを遺憾なく表現した少女は妹である那由多とその友人に駆け寄っていく。


「いらっしゃいませ。そして……はじめまして。妹がお世話になっております、姉の麻由加です」

「………………」

「ちょっと雪ちゃん! 挨拶!」

「……あっ! は、はい!私こそお世話になっております!芦刈 雪です!!」


 声をかけられてもなお麻由加に視線を固定したままボーっとしていた雪だったが、那由多の声掛けによりようやく意識を取り戻した。

 そんな雪に麻由加は笑顔でお辞儀をし、自らの出しものである執事喫茶の1テーブルへと案内する。


「どうしたの雪ちゃん、ボーッとしちゃって。もしかして疲れちゃった?」

「ううん。 ……あの、那由多ちゃんのお姉さん。どこかで会ったことありましたっけ?」

「へ? いえすみません、心当たりはございませんが」

「そうですか……」


 雪がボーっとしていた原因。それは麻由加に見覚えがあったから。

 しかし実のところ、家の前で病み上がりの陽紀を待っている時に少し見た程度の記憶である。麻由加は見られていたことに気づいておらず、心当たりが無いのも無理はない。


「それよりさっお姉ちゃん! お姉ちゃんに一個聞きたいことがあるんだけど!」

「聞きたいこと、ですか? なんでしょう?」


 席についてお冷を受け取った那由多だったが、突然食いつくように顔を上げ伝票を持った麻由加を見上げる。

 まっすぐの、1つたりとも見逃さないというような瞬きしない那由多。その様子に一瞬だけ怯んだ麻由加だったがすぐにいつもの調子を取り戻して問い返す。


「うん。雪ちゃんのお兄さんのことなんだけどさ、知ってる!同じ学年らしいんだけど!」

「雪さんのお兄さんですか? 芦刈といいますと……もしかして……」


 那由多の聞くこと。それは友人の兄のこと。

 雪の自己紹介の一発目、名字を言われた時点で麻由加は察しがついていた。この学年に『芦刈』姓は1人しか居ない。もしも兄がいると言われたらきっと……そう予見していたのだ。


 すぐに断言できるほどの解答に行き着いた麻由加だったが返事を濁す。

 その理由は那由多の視線にあった。那由多は話している間中ずっと、姉の麻由加をひたすらに見続けていたから。なにか探りを入れるような普段とは違う様子に麻由加は戸惑ってしまう。


「知ってるの?」

「はい。別のクラスの方ですが名前くらいは」

「そうなんだ? 仲はいい?」

「どうでしょう……話したことがないとは言いませんけど普通、ですかね?」


 もちろん、これは誤魔化し。麻由加にとっての警戒の反応。

 普段と違う那由多を過敏に感じ取った彼女は誤魔化す方向に舵を切った。

 本当ならかなり仲の良い。それどころか心寄せる両思いの人同士。しかしそれを暴露するのは今この場ではためらわれた。


「そっかぁ。 それで雪ちゃん、何を聞きたいんだっけ?」


 フッと。追求を諦めるかのようにじっと見つめていた妹の視線が外れて麻由加はホッと息をつく。


「も~。そこまで聞いて忘れちゃったの? 今日全然見ないからどこにいるのかなってこと! お姉さん、どこにいるのか知りませんか?」

「すみません。私もそこまではちょっと……」


 もちろんそれも誤魔化し。

 確かにどこにいるかは知らないが、何のために行動しているかは重々知っていた。

 けれどそれを口にすることは叶わない。何故か本能的に脳内で警鐘を鳴らしていたから。


「そっかぁ。ありがとうございます!」

「それじゃあお姉ちゃん、そろそろ注文いい?」

「はい。喜んで」


 姉と妹。それ以上言外の争いは不要と感じたのかメニューを手にとって注文するのを探していく。

 文化祭のすれ違いは、本人の預かり知らぬ場所で進んでいった――――。

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