058.おバカ

「ゴメンね、おもてなしなんて全然できないけど……。濡れちゃうのなんて気にしなくていいから上がって上がって!!」

「お、お邪魔します……」


 街の空を雲が覆い、神の涙とも称されることもある天からの雫がとめどなく零れ落ちるようになった昼下がり。

 文化祭を抜け出した俺はとある少女の家へ足を踏み入れていた。

 2DKという人1人が生活するのが適切だと思われる部屋。以前見たときのような惨状は今はなく、キチンと整理整頓された綺麗な部屋が広がっていた。

 基本的な家電やキッチンに小さなテーブル、奥にはベッドやタンス、あとぬいぐるみなど少々年頃の少女らしさが見え隠れする室内。隅のほうには大きなゴミ袋が1つ鎮座しているが見なかったことにして、それでも綺麗な部屋を維持しようとしてくれていることに一安心した俺は以前食事をした小さなテーブルの前にたどり着くも腰を下ろせずにいた。


「あれ、どうしたの? 座らないの?」

「いや……座ろうと思ったんだけど、服が思ったより濡れてて……」

「別にクッションとか濡らしちゃってもいいのに~! ちょっと待ってて、タオル持ってくるから!!」


 まさに気にしないと言った軽い口調だったが俺の欲しいものを優先してくれたのか洗面所へと消えていってしまう。



 文化祭で見つけた落とし物、ネスキーのストラップを拾った俺は家への道中持ち主の水瀬さんを見つけ、無事ストラップを返却することに成功した。

 そして気づく自身の濡れ具合。内部までは辛うじて無事だがシャツは完全にびしょ濡れになっていることに気づき、家に帰ろうとするもお礼も兼ねて水瀬さんの部屋へのご招待に預かる俺。シャワーも浴びなきゃと丁重に断ろうとしたが、それもどうにかすると押しに押されて結局根負けしてしまった。

 もちろん彼女の部屋でシャワーは入らないと確約済みである。入れと言われたがそこだけは絶対に譲らなかった。



 そうして先日の掃除に引き続き二度目となる水瀬さんの家訪問。色々と思うことはあるが…………とりあえず今は何よりも服が濡れて気持ち悪い。

 下はなんとか染み込むことなく平気だが、上はもうダメだ。せめて髪拭いてシャツ乾かしたい。もうこの距離だし上半身裸で帰ろうかと思うくらいだ。また風邪引く上に通報されるからやらないけど。


「お待たせ陽紀君! これで髪や服拭いて!」

「おぉ。ありがとう水瀬さん」


 軽微といえども下もまた濡れている。問題ないと言われてもなんとか彼女の部屋を濡らさないよう立ったまま待っているとすぐにその姿は現れた。

 厚手のフェイスタオルを受け取った俺は濡れた箇所を拭いていく。

 あぁ、これだけでもだいぶ違う。もうシャツは脱げないし諦めた。部屋も暖房付けてくれたし、幾分かマシになるだろう。


「それじゃ、私はちょっと着替えてくるから。……覗かないでね?」

「覗くわけないでしょ。ほら、風邪引くから行った行った」

「ぶー。陽紀君が雨に濡れて冷たい~!」


 物理的に冷たくなったら態度も冷たくなるって、単純だな。

 「ぶ~」と文句を言いながら洗面所に向かっていく彼女の後ろ姿をボーっとを見送っていくと、すぐさま閉めた扉が開いて顔だけこちらを出してくる。なんだ?忘れ物か?


「……フリだからね! 絶対に覗かないでよ!」

「フリでも覗くかっての!!」

「冷たい上にノリ悪~い! そんなんじゃ私以外にモテないよ~!」


 ……まったく、なんなんだ。

 最初からフリって言っちゃ台無しでしょ。

 確かに好いてくれるのは嬉しいが心臓に悪いことは勘弁してほしい。


 彼女も雨の中ストラップを探していたから俺以上に濡れてたんだ。きっと服の内部まで浸水していただろう。

 外ではそこそこ厚着していたから特に気にならなかったが、部屋に入った瞬間水瀬さんも薄着になって心臓が止まるかと思った。

 外では赤のセーターと黄色いロングスカート。そのセーターの下は薄手の長袖シャツ一枚とシンプルなものだった。

 セーターは水を吸う。その分ガッツリ下まで浸水し、脱いだシャツ一枚の姿は肌にへばり付いて非常に目のやり場に困っていた。幸いすぐに洗面所に行ったから助かったものの。


 仕事では水着などまったく着てこなかった水瀬さん。しかし今回服がしっかり張り付いたお陰で彼女の持つ身体の線がハッキリと見えてしまった。

 引き締まった腹周りに細めの腕。胸周りは平均的だろうがそれでも全体を見るにバランスのいい……まさに黄金比と捉えたような体型だった。

 初めて間近で見るアイドルのそんな姿に平静を装っていてもまだ心臓がバクバクいっている。正直あのままだったらドキドキで死ぬかとも。


 もはや先程の光景が目に焼き付いてしまって座ったはいいが腕を動かすことができない。

 拭くことすら忘れて脳裏に焼き付いた彼女の姿を反芻しているとガチャリと扉が開いて件の姿が再び現れる。


「お待たせ~! 着替えてきたよっ! ……って陽紀君全然拭けてないじゃん!」

「……おかえり」


 本当に着替えるだけだったのか、部屋に入って数分程度で水瀬さんは戻ってきた。

 姿にしてホットパンツと半袖シャツ。夏の部屋着と見紛うほどの軽装である。

 一方、手早い動きで服を着替えたのに対して俺の手は止まってしまっていた。洗面所から出てきた彼女は俺の姿を見るや怒った様子でズンズンと近づいてきて手にしていたタオルをひったくる。そしてタオルを頭にかぶせ、小さな手でガシガシと拭き始めた。


「もうっ!今日も肌寒いんだからそのままだったら風邪引くよ!」

「ちょっ……水瀬さん……大丈夫だって……!」

「よくない!これで風邪引かれたらあたしが罪悪感で大変なんだから!」

「だいじょっ……!1人でやれ………!」


 少しボーッとしてただけで自分で拭ける。

 そう言おうとして失敗するほど彼女は熱心に俺の髪を拭いてくれていた。


「よくない!拭きにくくなるからジッとして!!」

「っ――――!!!  そんな……事っ!言われても……!」


 ――――それだけならまだいい。

 立つ俺に見上げる形で頭を拭く彼女。当然後頭部から引っ張られて見下ろす形になってしまう。その時に見てしまったのだ。

 きっとその服は少しだけオーバーサイズなのだろう。そのせいで彼女の胸元……服の隙間からは外してしまったのかブラは見えず代わりであろうキャミソールが見えてしまっていた。

 この程度はまだ許容範囲。問題はその先だ。キャミソールさえ見下ろす形で隙間が見えてしまい、彼女のその谷間がガッツリと見えてしまっていた。


 それに気づいてからは急いで頭を右に逸らすもののすぐに両手で頭をガッチリ掴まれて向かい合うように固定されてしまう。


「ほら、ちゃんと前向かないと拭きにくいんだから!」


 グッと両側から挟み込まれ再度前方を向いて見下ろす形になってしまう俺の頭。

 きっと彼女は気づいていないのだろう。一生懸命拭いてくれているものの俺はその光景から目を離す事ができなかった。


 頭の中で繰り広げられる天使と悪魔の戦い。

 ちゃんと指摘するべきだろ主張する天使と、役得だからそのまま堪能しろとそそのかす悪魔。

 両者の熾烈な争いは頑張ってくれている水瀬さんとは無関係に勃発し、勝者が決まると同時に俺の手は彼女の腕を掴んでいた。


「へっ……? あ、ごめんね陽紀君! もしかして迷惑だった?」

「いや、迷惑というより…………」

「……?」


 そこで突然掴まれた事により怒るのではなく謝るところは彼女の優しさ所以なのだろう。

 しかし今はそうではない。天使が勝者となった俺は今度こそ目を逸らし、自身の胸元を指でトントンと叩く。


「その……チラチラ見えかけてる……」

「見えかけてる? それってなんの…………!? ~~~~~!!!」


 顔を赤くしながら告げた俺の言葉を最初は理解できなかったようだが、示されるがままに彼女自身の胸元に視線をやるとようやく気がついたのか顔がボッと赤くなる。

 ようやく見えかけていることに気づいた彼女はバッと飛びぬくように後方へ下がって首元を手のひらで潰すように隠してみせる。


「こ、これはワザとだからっ!! 届けに来てくれた陽紀君へのサービスなんだからねっ!!」

「いや……そんなツンデレみたいなこと言われても……」


 ごちそうさまです。

 なんて冗談はさておき、ツンデレのような照れ隠しをする彼女もフリで覗くな言っておきながら実際に見られるのはなんだかんだ恥ずかしいのだろう。

 気づけば髪の水分はしっかり拭き取られており、濡れ気が無くなったのを確認して床に座り、頬をかきながら返答の言葉を探す。


「なんというか……その……キレイ……だったよ?」

「~~~~! もうっ! 陽紀君のおバカっ!!」


 怒られた!?

 確かに8割くらいパニックになりながらの答えだったけど褒めて怒られるようなこと!?


 突然怒りだした様子に驚いていると、テーブルの対抗側に向かい合うよう腰を降ろした彼女は腕枕を作って机に突っ伏した。


「もう……なんでそんな事軽々しく言うかなぁ……。嬉しすぎて、陽紀君のこともっと好きになっちゃうじゃん……」

「……ゴメン」


 お互い顔を赤くした両者は揃って顔を背けながら言葉を紡ぐ。

 そこから暫く、真っ赤な顔をしながら無言の時が続くのであった。

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