056.ストラップの持ち主


「これは…………」


 シトシトと静かに雨が降り注ぐ中庭の一角。

 これまでドンヨリとしていた雲だったがついに降り出してしまった雨の中俺はその場に立ち尽くす。

 辺りは収まることを知らない文化祭の熱気。その熱量は雨が降ろうが関係なく、ガヤガヤと明るく賑やかに中庭を盛り上げていた。


 宴もたけなわでテンションも有頂天・・・に達する。

 そんな楽しい1日の中、俺の精神は静まり返っていた。



 雨が振り始めた矢先、掛けられたと思った声。

 それを気の所為だと片付けようとしたがベンチに転がるストラップを見て俺の頭は思考に耽っていた。

 これはピンク色のネッシー、ネスキーというゲームのキャラクターだ。なんの可愛げもないただただ派手で気色悪いだけのキャラ。

 運営がギャップを狙って実装したのだろうが流行ることはなく、俺もつい最近まで思考の隅に追いやっていたキャラクターだ。


 俺もこのグッズを買った事がある。インパクト重視というか殆どネタとして雪にあげて、地味に使ってくれているのもよく覚えている。これがきっかけで那由多さんという雪の友人と知り合ったことも。

 今手にしているこれはイベントでしか手に入らない限定品だ。不人気だったが故に販売終了し、持っている人は更に限られる貴重品。

 首元には小さな小さな首輪と思しき装飾品。今日日こんなレア物をアレンジするだなんて世界広しといえど相当限られるだろう。

 そしてこの組み合わせは俺も見覚えがある。たしかこれは―――――


「水瀬さん」


 誰にも聞こえない声で声にならない声を出す。


 そう。水無瀬さんだ。

 つい先日彼女の家まで片付けに行った際床に転がっているのを見つけた覚えがある。

 彼女もゲームのユーザーだ。ネスキーのストラップを持っていてもなんら不思議でもない。ただアレンジを加えていたから妙に記憶に残っていた。

 これはその記憶と完全に一致している。じゃあ、さっき俺に声をかけたのは………


「芦刈君、大丈夫ですか?」

「えっ……? う、うん。大丈夫」

「…………」


 突如隣から声を掛けられたのは名取さんだった。

 ついさっきまで一緒に文化祭を楽しんでいた彼女。俺は彼女の声で思考の海から浮上する。


 そうだった。今は文化祭の真っ只中。そして名取さんと一緒に回っているのだった。

 彼女にとってはなんら大したことないかも知れないが、俺にとってはこれはデートも同義である。ボーっとして不興を買われちゃおしまいだ。

 俺はなんでもないと笑みを浮かべ、彼女が手にしているプリンを受け取ろうとする。


 …………も、袋を掴んだはいいが彼女の手が離れることはなかった。


「……? 名取さん?荷物持つよ?」

「……芦刈君。このプリン、2つとも頂いても構いませんか?」

「えっ? あぁ、うん」


 突然のお願いに何事かと疑問符が浮かんだが、俺は了承して掴んでいた手を離す。


 渡されないから何事かと思ったけど、そういうことか。

 2つともほしかったのね。それだけプリンが好きとは知らなかったな。

 あげるのは全然かまわないけど、2つとも自分で食べるの?


「ありがとうございます。 それ、落とし物ですよね?」

「そうみたい。すぐそこに落ちててさ」

「ピンク色の……可愛いストラップですね。私にも見せてもらっても?」

「うん。どうぞ」 


 拾ったそれを俺は名取さんに手渡す。

 ピンク色の可愛い(?)ストラップ。きっとゲームをやっていない彼女はこのキャラクターを知らないだろうそれをしげしげと眺めだす。


「普通に市販されていそうな物のようですね。この首輪は……外付けでしょうか?」

「さ、さぁ……」


 彼女が真っ先に反応を示したのは、これを眺めた者ならば真っ先に目につくであろう首輪。

 普通のプラスティックのネックレスにこれだけ明らかに外付けのような仕上がりなのだ。

 接着剤でくっつけられているのか首輪の一部は固定され、素人作業のようでその痕跡も見えてしまっている。

 完全に心当たりのある俺だったが視線をそらして誤魔化すと、彼女はそれ以上何をいうわけでもなく再び手元へ視線を落とした。



 本来ならここで頷き、心当たりがあると言ってもよかった。

 けれど視線を逸したのは俺の独りよがり。名取さんとのデートを台無しにしたくなかったからだ。

 残りわずななデート時間。真面目な彼女のことだ。心当たりがあればすぐにでも届けようと言い出すだろう。それを俺は拒否したのだ。ただ一緒に楽しむ時間を減らしたくなかったがため。

 落とし物を届けるのは彼女との時間が終わって。その後ゆっくり届けに行けば良い。そんな浅はかな理由で俺は視線を逸らす。


 そして俺の意志など知らないであろう、隅々まで360度回転させながら眺めていた彼女だったが、ようやく見終えたのか「ふぅ」という言葉とともにこちらへと手を伸ばしてくる。


「もういいの?」

「はい。十分見ましたので」

「わかった。それじゃあ預かってお―――っ!?」


 差し出されたネックレスを再び手に収めようとしたその時だった。

 確かに俺の手のひらにそれを乗せた彼女だったが、そのまま包み込むように。俺の右手ごと両手で包み込むようにギュッと握らされる。

 思いもよらぬ彼女との接触。それも固く、ギュッと力も熱も籠もっていることに気づいて顔をあげると真剣そうな彼女の瞳とぶつかった。


「えと……どうしたの?」

「芦刈君はこのストラップの持ち主を知っているのですよね?」

「っ――――」


 まさに虚を突かれる発言に一瞬息が詰まるような錯覚に陥った。

 まるですべて見透かしているような目。確信を得ているような視線に俺は黙って首を縦に振る。

 すると真剣だった彼女の瞳がフッと柔らかくなり、さっきとは一転して笑みに変わっていく。


「きっと持ち主はもう学校にはいないと思います。私が届けようにもこれからお仕事もありますし………だから、お願いしていいですか?」

「……いいの?」


 今からすること。それはこれの落とし主に届けに行けという意味だろう。

 なんの根拠もないが彼女なら…………彼女はもうこの学校にいない気は俺にもしていた。


「はい。私にはプリンというお土産も頂いちゃいましたから」


 そう言って袋を持ち上げ笑いかける名取さん。


 だからプリンを……。

 彼女はもう最初から気づいていたのだろう。このストラップの落とし主が誰なのかを。


 包んでいた手を開放し、数歩後ろに下がった彼女は1本の指を突き立て、優しい笑みでこちらを見る。


「……ですが1つだけ。1つだけお願いを聞いてもらえませんか?」

「お願い? 俺にできることなら何でも……」

「ありがとうございます。 でしたら近くまた、今回の埋め合わせと言ってはなんですが、休日にデザートを食べに行きませんか?2人で」

「そっ………それは……」


 彼女が要求したのは1つの願いだった。

 ほんのちょっとした小さな誘い。しかし願いを耳にした俺は衝撃のあまり戸惑ってしまった。


 2人で。休日に。デザートを。

 その単語で察せないほど馬鹿ではない。二人きりのデートだ。

 まさかと思い目で問いかけると彼女はゆっくりと頷いてくれる。


「ダメ、でしょうか?」

「……わかった。 ゴメンね最後まで一緒に遊べなくて」

「いいえ、今日は楽しかったです。 今度出かけるのを楽しみにしてますね」

「うん。俺もだよ」


 俺は千切れたストラップを固く握り、手を振る名取さんの見送りを受けながら駆け出していく。

 目指すは彼女の元。いつの間にか俺のところまでやってきて、どんどん生活に入り込んでくる彼女の元へ急ぐのであった。



  ◇◇◇◇



「行っちゃいましたか」


 少女、麻由加は消えていった少年を見送ってから振っていた手をゆっくり下ろす。


 最後の最後。デートの最後に起こってしまったハプニング。

 その結果少年はこの場を後にし、1人になってしまった彼女は近くのベンチへ腰を下ろす。


「少しは罪滅ぼしに……なったでしょうか」


 1人呟くのは彼女の『罪』のこと。

 実際にはそんな大層なものでは一切ないのだが、麻由加にとっての心残りとなりうるものであった。


 それはついさっきプリンを購入するため並んでいた際、麻由加は若葉の呼び声をしっかり耳にしていたこと。

 耳にし、存在を認めた上で聞こえないフリをして彼により一層近づいたのだ。

 全ては好きな人を独占したいがため。くっついているこの状況を見れば若葉も諦めてくれるかも。そんな淡い期待を持ちながら。


 けれど実際は予想と遥かに違っていた。

 若葉はいなくなり、陽紀は残されたストラップだけを見てすべてを察した。

 その結果訪れるのは、自分と一緒にいても常に若葉のことを考える陽紀。ストラップを見た時点で麻由加は気づかないフリをしたことを後悔したのだ。


 自ら招いた結果とはいえ1人になってしまったことに空を見上げる。

 彼は恋敵のもとへ行ってしまった。そんな考えをするのが嫌になって思考を雨で洗い流す。

 段々と雨が強くなっていく空。ボーっと雨粒を一つ一つ見ているとふと黒い影が頭上に刺さっていることに気づいた。


「えっ……?」

「お姉ちゃんも文化祭に来てたんだね。 どうしたの?こんなところに1人で」


 黒い影の正体は影。

 傘をさしたのは麻由加の妹、那由多だった。

 心配そうな表情を浮かべながら覗き込む彼女に麻由加は笑みを浮かべる。


「なんでもありませんよ。少し回りすぎて疲れてしまいまして」

「そっかぁ。あたしも隣いい? 雪ちゃ……友達がトイレ行っちゃっててさ」

「構いませんよ。……あ、そうでした。那由多、これいります?」

「なになに~? って、プリンだぁ!いいの!?」


 身内に会えた嬉しさで隣に座ってくる那由多に麻由加はさっきまで手にしていた袋を手渡す。

 それは2人で食べようと思っていたプリン。彼への言い訳づくりとしてお土産という名目貰ったが1人だと困っていた代物。


「はい。お友達と2人で食べてください。 私はもっといいデザートが用意されていますので」

「そっかぁ。 ありがとね!おねえちゃん!」


 屈託なく笑う妹に姉である麻由加も笑みを浮かべる。


 もっと良いデザート。それは棚からぼたもち。

 ダメ元で絶対に受けいられるはずもないと思って聞いたけどまさか受け入れて貰ったデートの約束。

 彼女にとって現状最も大切なその約束は、恋敵のもとへ行った彼をすべて許せるほど嬉しいものであった――――。

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