054.落とし物

 ――――それは幸せの絶頂であった。

 2人だけの空間。誰にも邪魔されない幸せな時間。


 俺たちは肩を寄せ合い買ってきた食べ物広げ、風の通る屋上で昼食と相成っていた。

 暖かな感覚が料理からも、そしてピッタリと触れる右肩や腕からも伝わってくる。利き腕で食べられない不便さはあったもののそれを補って余りあるほどの幸せが俺を襲っていた。


「まぁ!芦刈君のクラスのポテト、すっごく美味しいですね!」

「そう? ソースにはこだわったって言ってたけどそのお陰かな?」

「それもあると思いますが……きっと芦刈君が頑張って作ってくれたからですよ。食べてみますか?」

「ん…………おぉ。たしかに美味しい……」

「ですよね!芦刈君は料理人の才能があるかも知れませんね!」


 すぐ近くから咲き誇る彼女の笑顔に俺もフッと笑顔が漏れる。

 俺の現状はぴったり接近しているお陰で利き腕が使えない。故に時々名取さん自ら俺になんと、あ~んで食べさせてくれるのだ。

 最初のうちは恥ずかしくて恥ずかしくて碌に味も分からなかった行為だが、数十分こうしていると段々冷静さがうまれ、自然に受け入れることができるようになった。

 しかしこれもきっと今だけだろう。俺の脳内では今頃アドレナリンとドーパミンが過剰分泌されているのだ。今だからこそのボーナスタイム。そんな幸せな時間を十分謳歌していた。


「名取さんはたこ焼き食べた? これもなかなかいけるよ」

「そうなのですか? 食べたこと無いのでいただけます?」

「うん。 はいどうぞ」

「あ~………んっ! …………ホントです!これもすっごく美味しいですね!」


 不慣れながらも左手を使ってたこ焼きを持ち上げると、彼女も髪を押さえながら顔を近づけて食べてくれる。

 文化祭で買い込んだ料理。それはクレープからたこ焼きなど多岐に渡り、もはや食べ合わせも関係ないくらい2人で食していた。

 種類が多い都合上一箱を2人で分け合う形。そうなるとどうしてもこうして分け合いが必要になる。だからお互いに食べさせ合いが必要となってくるのだ。


 不自由ではあるものの、それを補うためお互いに助け合う2人。

 名取さんは俺を、俺は名取さんを。互いの膝の上にある食べ物を食べさせ合い、そうして忌憚なく意見を交わす。

 それはまるで夢のような時間だった。密着するだけでも十分なのに食べさせ合いだなんて。

 あぁ……幸せ。この幸せがずっと続けばな…………。



 しかし、物事にはすべて終わりがやってくる。

 互いに料理をつまみあって楽しんでいた俺たちだったが、名取さんが最後のポテトを食すことでその時間は終わりの鐘を鳴らし始めた。


「あっ……これが最後だったのですね……」

「そうみたいだね……。どう?足りた?」

「はい。足りましたが……そろそろ休憩時間も終わりと思うと寂しくなってきますね」


 昼食の終わり。それは同時にタイムリミットが迫ってきていることを表す。

 彼女の言葉に時計を見ればもう既に12時直前。彼女の休憩終わりは12時30分までだからそろそろ休憩時間も終わりだ。


「もう、か。 何だかあっという間だったね」

「はい……。楽しい時間は過ぎるのが早く感じます」

「そうだね……寂しいね」


 寂しい。

 たしかに寂しい。幸せであればあるほどその終わりが寂しくなる。

 しかしそれで終わりというわけではない。終わりがあれば始まりもあるのだ。


「でもまだ文化祭も終わってないし、休憩も終わってないよね?名取さんが良ければもうちょっと回ってみない?」

「そう……ですね。まだ時間は残ってますし、もうちょっとだけ見てみましょうか」


 今が終われば次を。それが終われば更に次を。

 そうしていけばきっと楽しい日は続いていく。それを糧に頑張ることができる。

 ライブが糧だった雪のように。ゲームを糧にしていた俺のように。


 俺が立ち上がって手を差し伸べると彼女もその手を握ってゆっくり立ち上がる。

 きっとこんな事、祭り中じゃなきゃできないだろう。暖かく、柔らかな手のひらから彼女の優しさが伝わってくるようで目を見あわすと互いに笑みが漏れる。


「それじゃあ行こっか」

「はい。 次はどこへ行きましょうか」


 手早く片付けをも終えた俺たちはそのまま屋上を後にする。

 女心と秋の空。空はいつの間にか暗く曇りだし、心の奥底で嫌な予感を感じさせながら――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



 嫌な予感は、存外早くやって来た。


 それは名取さんの休憩終わりが直前に迫ってきた頃。

 最後の最後でプリンを食べて終わりにしようと数名で構成された列に並んでいる時のことだった。


「ん……?」

「あら……?」


 俺と名取さんはその存在に同時に気づく。

 気のせいかもしれない。けれど決して見逃せないその頬に伝わる感触を。


 ポツ……ポツ……。

 と僅かながらに感じるそれは1度目だけではなく2度目も感じ、予感が確信に変わると同時だった。

 わずかながら、数秒おきに感じる水の感覚が即座に感覚を狭め、シトシトと降り注ぐ雨に切り替わったのだ。


『キャー! 雨!?もうっ、なんでこんな時に~!?』

『誰か機器動かすの手伝って~! 雨でダメになっちゃう!!』


 天からの雫が雨に切り替わると同時にそんな声が辺りから飛び交い始めた。

 大雨という程ではなく小雨。しかし料理に出す機器にとっては見過ごせない量。傘を差すか差さないかで悩むレベルの雨が突然降り出したのだ。


「あぁ……困りましたね。 雨降ってきちゃいました」

「そうだねぇ」


 隣の少女も手のひらで雨を受け止めながら悲しそうな顔を浮かべる。

 彼女の服は執事服。学生が作ったものだから材質的にもあまり良いものではないだろう。雨に当たり続けていたら劣化するし水を吸って大変なことになるかもしれない。

 けれど俺は慌てない。こんな時の為に秘密兵器を持ってきているのだから。


「こんな時のために忍ばせててよかった。 使ってよ」

「折りたたみ傘……。持っていたのですね」


 俺はこういうときのために学校用のバッグには常に折りたたみ傘を忍ばせていたのだ。

 常に持ち歩いている折りたたみ傘。普段は雨が降っても走って帰るお陰で使う機会などなかったが、今日ばかりは持っていて心底良かったと思う。


「うん。大きさ的に一人分だけどね。 名取さんはその服で次も仕事だし是非使ってよ」

「いえ、そんな……いけません! 芦刈君のものなのですから芦刈君が使ってもらわないと!」

「俺は濡れても平気だからさ!ほら、シャツだし!」

「それでもですっ! 以前芦刈君は風邪で休まれましたしご自愛いただけませんと!」


 そう思って自信満々に手渡そうと思ったが、首を横に振られて断られてしまった。

 風邪のことを引き合いに出されると弱ってしまう。あのときは突然引いた上に名取さんの世話にまでなってしまったからだ。その恩がある以上これ以上強く言えなくなってしまう。


「――――なので、こうしましょう」

「えっ………?」

「傘、お借りしますね」


 ――――しかしどうにかして指してもらわないと。どうすれば傘を受け取ってくれるか悩む俺に、彼女は最高の回答を示してくれた。

 断ったのに傘を受け取るという行動に一瞬驚いた俺だったがすぐさま次の行動で彼女の真意を知る。

 何も言わず傘を持った彼女はそのまま広げ、こちらに寄り添ってきたのだ。

 まるで屋上での時のように肩を寄り添わせピッタリとくっつく俺たち。そのまま彼女は傘を上に掲げ、2人が雨から守れる位置に持っていく。


「これでしたら2人とも雨に濡れません……よね?」

「でも……名取さんはいいの?」

「はい。よく見てください。 他の方もそうしてらっしゃいますよ」

「ぁっ…………」


 名取さんに促され周りを見ると、確かにチラホラと俺たちと同じように傘を共有している男女ペアが散見された。

 まさに大海を知る蛙。ようやく周りの状況に気づいてからは突然の接近に驚いた肩の力が抜けていく。


「私達だけじゃないので目立つこともないでしょう? それに列ももう少しです。このままゆっくり並びましょ」

「……そうだね」


 その言葉に俺も彼女から傘を受け取り、2人が濡れないように持っていく。

 互いの距離は0センチ。それはまさしく先程の屋上の続きのようだと、俺たちを幸せの時間に誘うのであった。











『はる――――っ!!』

「…………? 名取さん、呼んだ?」


 ボーっと。

 2人傘を共有しながら列の先頭で買ったプリンが出てくるのを待っていると、ふとそんな声が聞こえた気がした。

 声の方向を見ても人が多く誰が呼んだかわからない。参考までに名取さんに聞いてみると彼女も首を横にふる。


「いえ、呼んでませんよ。気の所為ではありませんか?」

「そうなのかな……?」


 持っていた傘を名取さんに手渡して声のした方向を見るに名取さんの更に奥。多分渡り廊下の方。

 けれどいくら目を凝らしても呼んだような人は見えない。本当に気の所為か?


「プリン、受け取りましたよ。そろそろ校舎に………芦刈君、そちらから聞こえたのですか?」

「多分……」

「そうですか。……あら?」


 どうやら俺が見つめている間に受け渡しが終わったようで傘を持った名取さんも覗き込む。

 すると何かに気がついたのか彼女はスッとその細い指を立てて真っ直ぐ指さした。


「アレは……なんでしょう?何か光っているようですが」

「アレって?」

「ほら、ベンチの足元です」


 彼女が指さしたのは渡り廊下近くにあるベンチの足元。

 ベンチには誰も座っておらずよくよく目を凝らすとなにか光っている物があることに気づき、俺たちは歩いて向かっていく。


「なんですかそれ? ピンク色の……キャラクター?」

「これは……」


 拾い上げたそれはピンク色のキャラクター、ネスキーのストラップだった。

 見間違えようもない。俺が雪にあげたのと同じやつ。

 中腰になって眺める彼女は疑問の声を上げる。


「何でしょうこれ? 誰かの落とし物でしょうか?」

「…………」


 その問いかけに俺は答えない。

 拾い上げたそれは間違いなくネスキーのストラップ。そして首元には何者かがアレンジを加えた首輪が付いていた―――――

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