050.危険と隣り合わせの料理

「ごめんねふたりとも~! 手伝ってくれてありがと~!」


 もうすっかり暗くなった夜空の下。アパートの一室に帰った俺たちを出迎えたのはそんな明るい声だった。

 咲き誇るような笑顔と心なしか気が軽くなったような声。そんな彼女に連れられる中今一度部屋を順に見て回ってゴミが一つも無いことを確認して俺も満足気にうなずく。

 やっぱり綺麗な部屋のほうが落ち着くな。これからは今の状態を維持してほしいものだけれど……。


 …………ん?

 ゴミが無いのを確認すると同時になにやらいい香りが鼻孔をくすぐるのを感じ取った。

 水瀬さん自身の花のようないい香りは部屋に入った時点で今も十分感じ取っているがこれはまた別のもの。花とかよりも料理などに近いだろう。

 もう夜になってどこぞ部屋の家庭が夕飯でも作っているのかと思ったが、このアパートは彼女の一棟買い。隣人なんて居ないはずだ。ならばどこからかと嗅覚に意識を集中させると部屋の奥から漂ってきていることに気がついた。


「これは……何か作ってるのか?」

「えへへ、気が付いた? 今日のお礼と言っちゃなんだけどお夕飯作ってあげよっかな~って思って! どう?一緒に食べない?」

「夕飯……?いや、悪いけど帰ったら夕飯あるだろうしまた今度――――」

「若葉さんの手作り料理再び!? 食べます!食べさせてください!!」


 雪……。まぁそうだよな。ファンだし一緒したいのは当然か。

 じゃあ母さんに連絡をっと……あれ?母さんから通知が来てる。何だろ……


『今日若葉ちゃんとこでご飯だってね? 失礼のないようにしなさいよ!!』


 ……あれ?さっき俺たち知った話だよな?

 いつの間に母さん知って………って、17時半!?なんでそんな早い時間に知っちゃってるの!?


「お母様には事前に了承貰ってるから! 2人は座って待っててね!」


 ……策士!孔明並の策士がここにいた。

 事前にとは言ってはいるがそれはきっと日が落ちる前。俺たちが掃除を開始した直後とかに連絡を取ったのだろう。

 もうその時にはここで食べることが確定したわけだ。つまり帰っても夕飯なんてあるはずもない。


 楽しげに告げる水瀬さんに従って俺たちは俺と若葉は食事をするであろう場所へと腰を下ろす。

 そこは少し小さめのテーブル。部屋自体が狭めだから仕方ないかもしれないがフローリングの床にクッションを引いて座るタイプの場所だった。

 2人……詰めれば3人がなんとかというテーブル。そこに座りながらキッチンに向かう水瀬さんを見上げると、彼女は既に準備を再開していた。


「~♪ ~♪」



 テーブルの上に置いてあったストラップを手で弄くりながら水瀬さんに意識を向ける。

 ゲームのキャラクター、ネスキーのストラップ。昔雪にあげたストラップと同じもの。

 彼女のお気に入りなのかこの部屋ではネスキーのグッズが幾つか発見した。人気がなかったが故に生産終了し、今となってはプレミアがついているグッズ。その内の1つであるストラップには首輪を付けてアレンジをしていた


 そんなネスキー好きらしい水瀬さんは自身の曲らしき鼻歌を歌いながらキッチンに向かっている。

 グツグツと鍋を煮立て、包丁片手に何かを刻む様子。しかし俺たちはそんな彼女の姿を見て雪に顔を近づけた。


「なぁ……雪」

「うん。これは……」

「だな。なかなか危ない」


 水瀬さんに聞こえない程度の小声の会話。

 俺たちが揃って注目するのは彼女の包丁さばきだった。


 鼻歌を歌いながら料理するのは慣れているようにも思えるが、その実ダン!ダン!と包丁をまな板に叩きつける音が不穏さを物語っている。

 隙間から見えるシルエット的にきっとジャガイモだ。それを刻むために行っているのはまさに叩き切る要領。軽くじゃがいもに包丁を食い込ませて腕を上げ、そのまま勢いよくまな板に叩きつける手法は料理などではない。

 アレは……そう。薪割りだ。彼女はじゃがいもで薪割りしているのだ。危なっかしすぎて冷や汗が止まらない。


 次は……トマト?

 よかった。トマトは硬くない。きっと叩きつけることはしないだろう。


「もうちょっとでできるから待っててね~!」

「あ、あぁ……」


 彼女の声にどうしても生返事となってしまう俺。

 トマトはもはや原型を保っていなかった。たしかに柔らかいから叩きつけることはしない。けれど力いっぱい上から押し付けるものだからグチャア!とトマトが潰れてしまっていた。

 これは……指摘しないとダメだよなぁ。雪へ行って来いと目で語るも、大きく首を振って否定されてしまった。


「お兄ちゃんの嫁でしょ! なんとかしてよ!」

「嫁!?だから付き合ってもないし俺が行ったら逆に傷つけるから!」

「そんなことないって! 汚部屋まで見せてくれた若葉さんだよ!?今更そんなことにならないって!むしろ喜ぶから!!」


 楽しげに料理をする水瀬さんの背後にて小声で言い争いをする俺ら兄妹。

 傷つけることはないと思いたいが……だからといって喜ぶか?


「ほら、お兄ちゃんの出番だよ! 行っておいで!」

「おい雪……! ……ったく」


 勢いよく背中を押されて立ち上がり雪を見ると、シッシと追い払うような動作で俺に行けと促してくる。

 ……しょうがないな。俺も偉そうに料理を教えるほど上手じゃないんだが。


「水瀬さん」

「陽紀君どうしたの~? お夕飯ならもうちょっと待っててね。すぐ出来上がるから」

「そうじゃなくって……ほらそれ。包丁の使い方」

「へっ?」


 再びダンッ!と音を鳴らして人参が両断される。

 ゲームでは盾職。剣と盾を持つキャラクター。リアルでも叩き切ることしかできないという意味かと勘ぐってしまいたくもなる。

 しかしまぁ、以前ウチで作ってもらった時は卵焼きで包丁使う機会もなかっただろうしな。


「包丁は引いて切るものだから叩きつけるんじゃないよ」

「引く?引いちゃったら切れないんじゃない?」

「それは引くじゃなくて持ち上げちゃってるから。 ほら、こう!」

「――――ひゃっ!!」

「左手も熊の手を意識してるみたいだけどそれただの握りこぶしだからな。 こう……指先だけを曲げる感じで」

「…………」


 俺は彼女の手ごと包丁を掴んで引くように実演して見せる。

 奥から手前に。ゆっくり切れるように。左手だって全然できてないじゃないか。よくこの包丁さばきで料理を振る舞おうとおもったな。


「ほら、これだったら力も入れなくて済むし叩きつけることもないだろ」

「う、うん……」

「まな板だってそうだ。今のままだと潰れたトマトが食材に移っちゃってる。切る順番と洗うことも考えないと」


 日々の料理に一番大事なのは工程である。

 以下に効率よく動いて時間を無駄にしないか、器具を使い回せるかだ。

 よくよく見ると使われている器具はどれも新品さながらだ。きっと用意したはいいが殆ど使って来なかったのだろう。そりゃ使い方もわからなくて当然だ。


 暫く俺の誘導手動で包丁を扱っていると、ふと水瀬さんの控えめな声が俺の耳に届いてくる。


「あ、あの……陽紀君…………」

「うん? どうした?」

「その……近い……です」

「――――あっ! ご、ゴメン!!」

「ぁっ…………」


 少し教育と周りの観察に夢中になりすぎてしまっていたみたいだ。

 気づけば俺は彼女に覆いかぶさる形で両手を添えている状況だった。手はしっかりと重ね合わせ、彼女の顔は文字通り目と鼻の先。完全に後ろから抱きついてしまっていることに気づき慌ててその場から飛び退いてしまう。


「ゴメン水瀬さん! ちょっと料理のことばかり気になっててつい……!」

「ううん。ありがとね。 その……料理も抱きついてくれたことも……嬉しかった」

「…………」


 さっきまで鼻歌を歌うほど明るかったのに、何故か静まり返ってしまう空間。

 彼女は顔を紅く染めて、俺もきっと顔真っ赤だろう。火が出るほど熱くなってる。


「ま、まぁ……何かあったら手伝うから、何でも言って」

「うん。ありがとね陽紀君。 その時は……お願いね」


 居ても立っても居られなくなった俺はその場から逃げるように身体を翻して元の場所へ戻っていく。

 戻る最中雪がここ一番の笑顔でサムズアップしているのを見て、俺は無言で軽い手刀を叩き込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る