048.お掃除力第一位、雪
女の子の部屋というのは俺みたいな女性と付き合った経験のない者にとって神秘のヴェールに覆われたものだ。
ぬいぐるみに囲まれた部屋や本に囲まれた部屋、一転して無機質な部屋や化粧品が並んだ部屋などいろいろな思いに馳せることができる。
つまり未知の領域。想像力がわき立てられる空間。俺にとって同年代の女子の部屋とはそういった認識だった。
確かに俺には雪という妹がいる。もちろん部屋にも入った事はある。
けれどあれは別だ。推し活とか言ってグッズに囲まれた部屋なんぞカウントする気も参考にもなりはしない。
だからこそ実質今回生まれて初めて女の子の部屋に入るというのだ。
放課後家で待っていた水瀬さん。そんな彼女が俺たちにお願いしたのが『部屋の片付け』だという。
掃除くらい業者に頼めばいいと思ったが雪に窘められた。女の子の……特にアイドルとしてのメンツというものがあるらしい。よくわからん。
そう、アイドルだ。
これから訪れるのは初めての女の子の部屋かつアイドルの部屋。
芸能界に身を置いていた者だ。きっと最先端のファッションとかオシャレなアクセサリとかそういう物がいっぱいあるのだろう。
まだ見ぬ空間。外観は置いておいてどんな内部なのかと心驚かせながら彼女が寝泊まりしているという一室にたどり着く。
「一棟買ったと言っても名義自体は会社で、私も一部屋以外は持て余してるの。 だからこの部屋を掃除してほしいんだ」
「任せてください! 若葉お姉さんの部屋ですもん!綺麗に片付けますよ!…………おにぃが!」
「俺!? いや、そもそもなんでお姉さんとか言って――――グォっ!?」
脇腹に手刀!?
真横で敬礼する雪へ冷静にツッコむと突然の手刀に思わず身をかがめてしまった。
敬礼を崩さない上見ずに打ち込むとは……達人か!?
「ま、まぁ……できる限りは頑張ります……」
「ごめんね2人とも。ちょっとだけ引っ越してからの片付けが終わってないの。後でお礼もさせてもらうから」
お礼なんて別にいいけども。
引っ越しの片付け……もう彼女がこの街に来て一ヶ月も経ったが、片付けにそんなにかかるものだろうか。
しかし一方でまだ1ヶ月程度しか経っていないのもまた事実。もう体感では半年位経っているような感覚だが、そう考えると荷ほどきができていない感覚は理解できなくもない。
「ホントに汚いから。 ごめんね…………?」
まぁ、汚いと言っても人が住んでいる部屋なんだ。言っても限度というものがあるだろう。
中学時代は先生にこき使われて全然使ってなかった部屋の掃除をやったこともあるんだ。あの時は部屋中ホコリまみれで本当辛かった。
マスクと水泳ゴーグルで対応したあの時に比べたら全然、大したことな――――――
「――――何……これ……」
そう思っていた。けれど待っていたのは絶句だった。
控えめながらに笑って水瀬さんが開けた扉の先は物。物。物。 物の数々。
玄関に入れないほど積み上がっているわけではない。玄関から廊下にかけて様々な物が散らばっているのだ。
もちろん荷ほどきが終わっていない段ボール箱も転がっている。けれど特筆すべきは袋の多さだろう。一つ一つは小さいもののいたるところにコンビニ袋が散見された。
「と、とりあえず上がらせてもらうね……?」
「うん! なんだったら踏みつけちゃってもいいから!」
同じ感想を雪も抱いたのだろう。笑顔が引きつりながら恐る恐るといった様子で部屋に入るのを見て俺も続く。
足の踏み場もない……は言い過ぎかも知れないがそれに近い。まるで獣道のように均された僅かな隙間以外は何かしら物が転がっている。
まるで先人が通った雪原の足跡を辿るように、妹の通る道をそっくりそのまま通ってたどり着いた廊下の先、2DKのうち手前側の部屋にたどり着いたが、期待を裏切らない物の多さだった。
まさに汚部屋。開かれた扉からみえる奥の部屋も同じような状況だ。
「これはなかなか……凄いねおにぃ」
「あぁ……これは凄い」
「あはは……ごめんなさい」
舗装されていない山のように、獣道以外足の踏み場もない部屋。
どうやって暮らしているかと思って辺りを見渡せば、唯一綺麗なのがベッドだった。
黄色のカバーが掛かった可愛らしいシングルベッド。青い枕の隣にはノートパソコンが見え、あれでゲームをしているのだなと理解する。
そしてこうやって見渡して気づいた。
散見されるゴミの多くはコンビニやスーパーの袋ばかりなのだ。
薄っすらと見える袋の形状的にそれらの殆どは弁当の空箱。更にはまだ飲みきっていないペットボトルも数多くある。これはもしかして…………
「おにぃ、若葉お姉ちゃんってもしかして……」
「あぁ……。アスルって生活力皆無なんだな」
「はうっ!!」
言葉のナイフがクリティカルヒットするようにうずくまる水瀬さんだが、俺たち兄妹から出る第一の感想はまさしくそれだった。
薄々感じ取っていた。以前初めて作ったという料理。こっちで一人暮らししているのだから料理が作れないのにどうしているのだと思いもした。
けれど現代は料理ができなくてもスーパーやコンビニが発達して問題なく暮らせる時代。特に言及することなくスルーしていたが掃除もダメダメだとは。
きっと神様は水瀬さんのスキルを全てアイドル業に振って生活面に振ることはなかったのだろう。一点集中のスキル構成はゲームで立ち位置があるけれど、リアルの生活においてはマズイとしか言いようがない。
「これでも毎日夏休みだから片付けようとはしてるんだけどね! でもほら……ゴミを見たら午後になったらやろうってなって、午後にはまた明日やろうってなんて……だんだん……」
それでズルズルと引き伸ばした結果こうなっちゃったと。
気持ちはわかる。わかるがよくここまで放置できたなとも同時に思う。明日やろうは馬鹿野郎だ。
しかし俺たちを呼んだのは正解だ。俺と雪は頷き合って水瀬さんが予め準備していたゴミ袋を手に取る。
「まずはゴミを回収して、それから荷ほどきだな。 ……雪」
「合点! あたしは奥の寝室(?)だね!」
「おう。俺は玄関からだな」
「2人とも……!」
なんだかんだ毎日当番制で家事をしているだけはあった。
俺と雪は特に指示し合うこともなくそれぞれの持ち場に行ってポイポイとゴミを詰めていく。
弁当……ペットボトル……弁当……お菓子の袋…………なんだコレ?一部しか見えていないがハンカチか?それにしては随分と水色の光沢が強いし変な形をしているが……
「あ、それ私の下着。 失くしてたと思ってたけどそんなところにあったんだぁ」
「ちょっ………! なんてもの放ってるんだ!さっさと回収して!!」
拾おうとしていたところを見ていた水瀬さんの言葉により、俺は慌てて手を引っ込めて顔を背ける。
ゴミだけじゃなかったんかい!なんて地雷を仕掛けてやがる!!
「ごめんね。失くしてたのはこれだけだからもう大丈夫!」
「本当だろうな……? ゴミはともかく下着は請け負えないぞ?」
「大丈夫! でも本当にありがとね。 来週、ママがウチに来るって突然言われてさ……」
なるほどそれでか。
水瀬さんには週末文化祭があることを伝えてある。その上で週末頼れないと理解して今日来たのだろう。
なんとまぁギリギリのことで。
「別にいいよ。帰ってもゲームするだけだったしな」
「うん………。 お礼に私のパンツ、あげてもいいよ?」
「いらね。それゴミと一緒に転がってたやつでしょ。むしろ燃やさなくていいのか?」
同年代の、しかもアイドルの下着。そうであってもただの布だ。そんなの興味も欠片もない。
興味も無いからさっさとそれを片付け……って、なんで自分の服に手をかける!?
「え~ひど~い! ……でもそっかぁ。陽紀君は脱ぎたて派かぁ。それならちょっと恥ずかしいけど、今日1日履いてたものを……」
「み……水瀬さん!? 何を!?」
「さぁ~? 何でしょ~?」
バクバクと鳴る心臓を抑えながら自ら絶賛できる返しができたことに満足していたところを突然ベルトに手をかけて何を……!!
いつも通り楽しげな子を浮かべながらも止まることのない彼女の手。
シュルシュルと慣れた手付きでベルトを外し、今度はパンツのホックを外す姿に目を離すことができない。
一度こちらを向いて目を合わせた彼女はニコッと笑い。自らの手元に視線を下ろす。
シャツが揺らめいたことで少しだけ見えてしまったパンツの下。ピンク色の何かが見えたところでようやくこれはマズイと認識し、ギュッと固く目を閉じる。
「なっ……!? なんでそうなる!? いらないから脱ぐことないから!!」
「でもこうでもしないと片付けに駆り出しちゃった陽紀君が許してくれそうにないし? 私の身体一つで許してもらえるなら、捧げるしか……」
「下着から身体に変わってる!? そんなのいらないから!謝罪の品は缶コーヒーでいいから戻して!」
「え~? でももう全部脱いじゃったから遅い……かも?」
「…………!!」
全部……脱いだ!?
つまり瞑った瞼の先には全裸の水瀬さんが!?
冷や汗がダラダラを背中を伝う。悪魔と天使が脳内で戦い始める。
片方は目を開けるだけだ。事故でもなんでも言い訳ができると。もう片方はプライドと好きな人への思いの強さはそんなものかと争いを始めている。
「大丈夫だよ。陽紀君だったら……私もいいから……」
「水瀬さん……それって…………」
「ほら、目を開けて。大丈夫だから」
まるでささやくように告げる悪魔と同じ意見の水瀬さん。
これは開けるべきか。しかしそれは名取さんへ裏切りにも等しい行為にもなるのでは。
脳内で熾烈に争う相反する自分。しかし、その争いに決着を付けたのは思いもよらぬ人物だった。
「ちょっとおにぃ!! なに立ったまま寝ちゃってんの!?早く起きて手を動かして!!」
「―――――はっ!!!」
まるで雷に打たれたかのように。
俺は雪の声によって固く閉ざしていた目を開けた。
同時に入り込むまばゆい光。その明るさに顔をしかめながら光に慣れていくと眼の前で佇んでいる水瀬さんの姿を捉える。
「………脱いで、ない?」
目を開けた彼女は脱ぐ気配が一切なかった。
外したのはベルトだけ。それ以外は目を閉じる前と一切変わらずニヤニヤとしながら立っている。
これはもしや……謀られたのか!?
「そりゃそうだよ~! 雪ちゃんもいるし、雰囲気もない中誘わないってぇ!」
「水瀬さん…………」
きっと彼女は分かっててからかったのだろう。
脱いでいなかった事実に安堵すると同時に悔しさも湧き上がる。
これは……何か一つ仕返しができるものがないものか…………そうだ!
「ごめんね陽紀君。さすがに下着見られたのは恥ずかしくって照れ隠ししちゃった。あ、でも本当に脱いでほしいなら言ってもらえれば――――」
「あっ!水瀬さんの足元にGが!!」
「えっ!?ウソ!?」
G.
それは人類が嫌悪する悪魔の名称。
フォルム。特徴。生態の全てが受け入れざるもので俺も大嫌いなもの。
そんな物が出たとなれば大混乱。
「セ、セリア!! どこ行ったの!?」
「…………」
「ねぇセリア! Gはどこに隠れたのかと言って――――」
慌てた様子で足元を見渡しソレを探す彼女。
しかし俺が微動だにせずニヤニヤとしている様を見て察しがついたのだろう。
もちろん見かけたというのは嘘だ。軽い仕返しのつもりで指をさすと彼女は飛び上がり、すぐに俺の様子を見てそれが嘘だと判別する。
「…………陽紀君。Gを見かけたのってもしかして……」
「あぁ、ウソ。 さっきのお返しだ」
「も~!も~! 本気でびっくりしたんだよ~!何してくれてるの~!」
一安心。そして次に湧き上がるは怒りだった。
プンスコと怒る水瀬さんは例に漏れず威圧感の欠片もない。ただ俺に拳を振り下ろしていても可愛いだけだ。
その姿を見て十分鬱憤も晴れた俺。冗談もそこそこに拳を受け止めていたが、ここには俺たち以外にもう一人、遠慮なんてない人物が――――
「2人ともうるさい!! 口より先に手を動かして!!」
「「…………はい」」
それは、ちょっとした微笑ましいからかい。
だが、それを許さぬ妹により一喝された俺達は同時に肩を落とした。
まるでキャスターさながらの雷を落とした雪に俺たちはいそいそとゴミの回収を再開する。
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