044.染めうるものたち


「にっがーいっ! なんですかこれぇ!?本当に人の飲み物なんですかぁ!?」


 一人の少女の絶叫がリビングの空気を震わせる。

 それはまさにドラゴンと血と血の契約を交わす際に用いられる漆黒の液体のような。

 はたまたこの世の何処かに存在すると言われる暗黒物質ダークマターを砕いて抽出し、まばゆい光さえも全て吸収するほどの暗闇を持った液体のような。

 そんな漆黒をクイッと軽く口に含んだ彼女は心のままに叫んだ。


 目の端には涙が浮かび表情全体で苦いと訴えている姿。

 その姿を目撃した隣の少女も驚きつつ、コップを受け取って自らの口へと運ぶ。


「那由多ちゃん、私も飲ませてもらうね。…………うわにっが!なにこのその……なに?」

「なにって普通のコーヒーだよ。 ……そこまで苦いか?」


 一つのコップを分け合った苦味に顔をしかめる中、俺も続けて2つ目のコップを持っていく。

 うん、美味い。さすがはお気に入りの豆だ。酸味が少なく苦味が強くてベストなコーヒーといえよう。


「苦いですよぉ……。やっぱりゲームやってるとカフェイン目的でコーヒーも飲むようになるんですねぇ。エナジードリンクじゃダメだったんですか?」

「それがね那由多ちゃん。おにぃは昔エナドリガバガバ飲んでたんだけど、虫歯になってこっちに切り替えたみたいなの」

「うっせ。雪」


 無情な妹の暴露に俺は鼻を鳴らしてコーヒーをまた一口。

 昔はエナドリだったんだけどね。やっぱり夜にアレはダメだわ。あっという間に虫歯になって大変な思いが蘇る。

 通院の面倒さに麻酔の痛みに……夜に糖類はダメ、ゼッタイ。



 今日は学生たちの休息の日、土曜日。

 空は快晴気候も少し肌寒いものの心地よく見事なピクニック日和となった今日であるにも関わらず家でゲームをしている俺だったが、ふとリビングに降りてみると見知らぬ少女、那由多さんがそこにはいた。


 今日はじめて連れてきた雪の友人、那由多さん。

 ゲーム『Adrift on Earth』のキャラクターであるネスキーを知っており、ユーザーと思しき彼女。彼女は何者か、本当にユーザーなのか、どんなキャラ名なのか問おうとしたけれど見計らったようなタイミングで雪が帰ってきてこの話は一旦中断となった。

 その代わり?として始まった、雪も交えたお喋りタイム。何故部外者である俺も入っているか甚だ疑問だが、彼女が俺の淹れていたコーヒーに興味を持ったらしくあれよあれよという間にテーブルを囲んでいた。



 角を除いて全てが真っ黒になってしまったオセロを脇に寄せてジュースやお菓子を広げつつ、コーヒーの深み苦味を思い知った2人はジュースで苦味に染まった口内を甘みに染め直す。


「うえ~。よくこんなのおにぃは飲めるねぇ……」

「慣れだよ慣れ。俺も最初は殆ど飲めなかったし」

「那由多ちゃん大丈夫?舌の感覚残ってる?」

「なんとかぁ。 でも凄いねぇ。いつも飲んでるジュースがいつも以上に美味しく感じるや」


 苦いものの直後だから甘さが余計際立って感じるのだろう。

 紙パックにストローを刺して吸い上げられる紅茶。それを一気に飲んだ少女は「あっ」と思いついたように声を上げる。


「そういえばお兄さんって、雪ちゃんが狙ってるところと同じ高校に通ってるんですよね?」

「うん。残念ながら特待じゃないけどね」

「私もあの高校狙ってるんですよ。今日も2人で勉強しようと思いまして」

「そうそう!那由多ちゃんって凄いんだよ! テストじゃいつも満点なんだから!!」


 ほぉ……。


 雪の補足に俺も思わず声を上げる。

 ウチの学校に入学するのことは簡単だ。けれど特待はそう簡単に行けるものではない。

 そんな特待になろうと毎日勉強してる雪が凄いと褒めるのはなかなか無いことだ。テストで満点というのも目に見える実績として凄い。


 そういえば俺の学年の特待って誰なんだろう。

 残念ながら特待といえども制服が違ったりなにかバッチをつけたり、そういう証明になるものなんてない。

 ただ入学する時の約束事なだけ。だからクラスメイトにいるかもしれないし、知らぬ誰かさんかもしれない。わかることは1学年に2~3人程度ということだけだ。


「お兄ちゃんは自堕落だからねぇ。人生の8割は学校とゲームなんだから。 そんなんじゃ好きなあの人に振り向いてもらえないよ~」

「おい」

「えっ!お兄さん好きな人がいるんですか!?」


 ――――どうしてこうも女の子というものは恋バナが好きなのだろう。

 さっきまで大人しく綺麗な所作でコーヒーやジュース、お菓子を口にしていた那由多さんだったが、『好きな人』という単語を聞いた瞬間目を輝かせながら前のめりに問いかけてきた。


 それと雪。振り向いてもらえないは余計なお世話だ。最近は何だか……多分ちょっといい感じだからな!


「告白とかしないんですか!?」

「いやぁ……告白はちょっと…………」

「おにぃにそんな勇気があったら半年も引っ張ってないって。同じ委員会でチャンスもいっぱいあるのに……」

「同じ委員会!! お兄さんは何委員に入ってるんですか!?」


 なんだか随分グイグイな子だな。

 しかしまぁ、恋に多感な女の子と考えれば普通かもな。

 委員会は昨日もあったけど……何事もなくおわった。普通に雑談して、仕事して、それぞれ帰る。

 帰りどこか遊びに以降とか言い出したかったけど、この時期は日が落ちるの早くてね……。


「図書委員だけど………」

「図書委員!へぇ~!―――――へ、図書委員!?」

「うん……そうだけど……?」


 最初は納得するように声を上げたものの、続いて首を傾げるように復唱しだして思わず俺も首を傾げる。

 図書委員を知らなかったのか?いや、それはないと思う。メジャーな委員だし、知らなくてもある程度予測はつくだろう。


「どうしたの那由多ちゃん?」

「……ううん、なんでもない。 そっかぁ……恋叶うといいですね!!」

「そうだね。ありがと」


 叶うと……いいなぁ本当に。

 叶うためには勇気を出して告白しなきゃ。でもそうしてもし断られでもしたら今のような距離感に戻ることはできないだろう。

 つまり委員会で話すこともできなくなる。むしろどちらかが辞めざるをえないことになるのかも……。そう考えると怖い。行動に移せない。


「とりあえず、2人はお昼ごはんどうする?なにか作ろうか?」

「いいの?やったぁ!罰ゲームが一個浮いた!! 那由多ちゃん!おにぃのお昼ごはんでもいいよね!?」

「罰ゲームは気にしなくていいけど……お兄さんはいいんですか?あたしたちの分まで作ってもらっちゃって」

「もちろん」


 とりあえず問題を先送りにして今はお昼だ。時刻は12時少し前。せっかくだし2人の分も作ってやらなきゃね。

 それに、雪は幾つ罰ゲームを喰らったんだ。コンビニの買い出しだけじゃなかったんかい。





 ◇◇◇◇




 ジュージューと何かが焼ける音が聞こえる。

 あたしが座るテーブルの少し向こうには今日知り合ったばかりの男の人がせっせと料理に励んでいる姿があった。

 2学期に入り受験勉強を通じて新たに知り合った友人、雪ちゃん。そのお兄さんが私たちの為にお昼ごはんを作ってくれているのだ。


 あたしと雪ちゃんは再びオセロを手元に引き寄せてパチンと音を立てあう。

 今回は罰ゲームナシのただの暇つぶし。けれど決して手加減しないあたしに雪ちゃんは終始苦い顔だ。


「う~ん……ん~……?」


 そんな唸り声を上げながらパチンと置く箇所は明らかに悪手。

 雪ちゃんは目の前に見える大量得点に引き寄せられるタイプだ。だから終盤の追い上げで全部取られることになるのに。


「これは……う~ん?」

「どうする雪ちゃん。降参する?」

「ちょっとまって! ちょっと……お手洗い行ってからもう一回考える!」

「うん、いいよ。待ってるね」


 きっと今回もあたしの圧勝だろう。

 もう巻き返しなど不可能なくらい取られているけれど勝ち筋を探すのに苦心していて、ついにはトイレに席を立ってしまった。

 あたしはリラックスしながらキッチンへと目を向ける。


 ケチャップ……かしら?

 なにやら酸味のある匂いがここまで漂ってきて、さっきまでお菓子を食べていたにもかからわずお腹が空いてきてしまう。

 彼は一体何を作っているのだろう。ミートソース?デミグラスソース?それともそのままケチャップを?どれもあたしも好きなものだし楽しみね。

 そうお昼に出てくるものを心待ちにしていると、テーブルの端に置かれているスマホがヴーヴー!と音を立てて光りだした。あれは……お兄さんの?


「お兄さん、スマホ鳴ってますよ」

「え?あぁゴメン。 今手が離せないから持ってきてもらえない?」

「はい」


 確かにフライパンを手にしながら必死に動かしている様は取りに来るのが難しそうだ。

 快くお願いを受け入れて鳴っているスマホを手に取った瞬間、スマホの振動がパッと収まった。

 代わりに画面へ出てくるのは先程鳴った通知と壁紙にしているであろう画像。 …………これは。


「お兄さん……」

「ありがとう那由多さん」

「この……壁紙って……」

「あぁ。さっき話に出てたゲームの画像だよ。知り合いが俺のスマホにも設定してって煩くってね」


 スマホを受け取って苦笑する彼だったが、あたしには何の反応を示すことができなかった。


 表示されていたのは特徴的な、アフリマン討伐後のステージ。

 中央に集まるのは4人。全員ゴテゴテとした戦闘衣装で厳かなものだが、どれも表情から嬉しさがあふれているのが伝わってくる。


 そして、その人物たちをあたしは知っている。

 彼らはセリアと、アスルと、ファルケと……………あたしだった――――――。

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