039.矛盾した心
「はっ……?えっ……はっ……?」
一世一代の愛の告白。
生まれて初めての自分からの告白。
彼女が勇気を出して言った言葉への返事は困惑から始まった。
眼の前の言った相手は何度も目を瞬かせながら数歩後退りして少女を見る。
「えっと……俺のことが……。でも、付き合わない……?」
確認するように、思い出すように。未だ咀嚼できていない文言を反芻しながらなんとか日本語を声に出す。
けれども明らかに意味が理解できず混乱しているようだった。無理もない。少女自身、わざとわかりにくく言ったのだから。
「うん。好きだけど、付き合わない。 ごめんねわかりにくくって」
「いいや……。でもそれは、アイドルだから……?」
「ううん。そうじゃないの」
暫くの無言の後ようやく自分なりに理解したのか彼、陽紀はあり得る可能性を問うてくる。
けれど少女、若葉は苦笑しながら首を横に振った。
陽紀の導いた結果はおおよそ理解度としてはベターな結論だった。
アイドル業を休止したとはいえ、まだ事務所に籍は残っている。アイドルというものは人気が第一だから私生活についても厳しく見られて然るべき職業だ。
事実、殆どのアイドル事務所は恋愛禁止を公にしている。だからこそファンは安心して推せるし、事務所もそれを理由に無用なしがらみからタレントを守る盾になってくれる。
一方彼女の事務所は昔からの方針としてその枠組から外れていた。本人の意思を尊重するという社長の確固たる意思によるものだが、結果として彼女自身そのような事例はこれまでひとつもなかった。
逆に恋愛禁止事務所こそ恋愛しているという噂は水面下で散々聞いてきたみたいだが。
妹の雪なら――――ファンなら誰しも知っている事務所の方針。けれど一方でそこまで興味のなかった陽紀にとってアイドルとは全員恋愛禁止と一括りにしている程度の認識だ。
だからこそ、彼女の説明が事務所の方針という結論にたどり着いてしまった。しかしその場合、『付き合”え”ない』というのが適切である。
それは違うと行動で示した若葉は捻っていた身体をもとに戻して空を見上げる。
そこにはまるで黒い海に沈む宝石のように星がきらめいていた。
この地球からは遥か遠く、いくら手を伸ばしたところで掠ることすら不可能な宝石の数々。若葉はその一つをパッと握り、何も掴めていない手のひらを見るやフッと笑みがこぼれる。
「私ね、最初は親の勧めでアイドルになったけど、いつからか本気でやってたんだ。絶対にドームを埋めてみせようって」
思い出すように告げる彼女の言葉を陽紀は黙って聞いている。若葉は彼の表情をチラリと見て続けるように口を開く。
「本当に本気で……高校も行かず、友達も作らず遊びに行くことも我慢して……他にも色々あったけど全部諦めて仕事に打ち込んでたんだ。でも、息抜きで始めちゃったゲームにここまでハマるとは思いもしなかったなぁ」
「……そうだな。ゲームで人生変わったな」
「ホントだよ。 誰かさんのせいでね。ライブしながらアフリマンの攻略大変だったんだから!」
ようやく調子を取り戻し、「濡れ衣だ」と肩をすくめる陽紀を若葉は優しい目で見守る。
やっぱり彼とはこの距離感が心地よい。軽口言ってからかいあって。相棒のように側にいてくれる彼の優しさが今は何よりも温かい。
「……それですっごく大変なお仕事だったんだけどね。目標達成して辞めて、これから何をしようって考えた時に辿り着いたの。今まで諦めてきたものを取り戻したいって」
「諦めてきた?」
「うん。友達とカフェでゆっくりお喋りしてみたいし、海やプールで泳いでもみたい。それで帰りの電車でついつい眠って乗り過ごしてみたいし、そしてなによりその楽しさを分かち合う相手と……って……。そこで気づいたの。私は恋がしたいんだって」
「…………」
若葉が優しい瞳のまま陽紀と目を合わせると、彼は一瞬驚いた後キッと真剣な表情になって見つめ返す。
それこそ若葉が自身を見つめ直して得た結論。今の望み。
「実はね陽紀君。私ってば先週会うよりもっと前から君の事知ってたんだよ」
「……えっ!?」
「あっ!もちろん陽紀くんは覚えてなくて当然なの! その時変装?してたから私!」
それは若葉が『Adrift on Earth』を始める直前。仕事の一貫でゲームのリアルイベントに参加した時のこと。
彼女はその時会社の方針としてきぐるみを着ていた。未だ事務所に置かれてあるピンクネッシーのきぐるみ。
しかしゲームのことなど何も知らない上建物にも詳しくない若葉は、人の波に押されて見事迷子になってしまった。
合流しようにも区画の名前がゲーム用語だらけでどこに行けば良いかもわからない。当然ゲームをしていない彼女には地図を見てもわかりようがなく途方にくれる。
そんな時、迷子になっていた若葉を助けたのが陽紀だった。この時の関わりを期に若葉もゲームを始めたのだ。聞いていた名前を頼りに彼のキャラを探し当て、アフリマンをともに討伐する仲間となった両者。しかしそんな経緯があったことなど今の陽紀には知る由もない。
当時の若葉は常々別の誰かになりたいと考えていた。
仕事ではアイドル、プライベートでも人の目からその枠を抜け出せず、声もかけられ続けて心休まるときがない。
そんな時にMMOというゲームを見つけたからハマりようは言うに及ばずだろう。彼女は彼女でなくなり、別の新たな人物として世界を謳歌することができる。その魅力に取り憑かれて若葉はどっぷりはまっていった。
仕事とゲームの両立は大変だが楽しかった。どんどんゲームを進めていって最終的にたどり着いたのがアフリマン討伐戦。
現在実装されているものの中では最難関の強敵。その難易度は他人との連携がもっとも大切になってくる。
MMOにおいて最難関と言われるのは強大なボスと、もう一つ存在する。
それは仲間集め。同じ進行度で同じ熱量を持ち、同じ志と気の合う仲間を集めるというのは非常に困難だ。
現に若葉も仲間集めには非常に苦労した。そんな時、ふと声を上げたのが陽紀の扱うセリアであった。
以前イベントで陽紀に出会った時、彼女は話の流れで彼のキャラ名を耳にしていた。それと全く同じ名前と声色。
まさしく運命だった。若葉はその時点で彼に取りつかれ、その動き全てを目で追い始めたのであった。
もちろん陽紀は知る由もない。これは全て彼女自身の内部で完結した出来事なのだから。
「その事はいつか話すとして、私はその時から惹かれてたけど恋かわからないの。もしかしたら陽紀君への感情も恋に恋してるだけかもしれない」
一人だと寂しいから。ステータスや装飾品のように周りに相手を見せびらかしたいから。
それが若葉の考える恋に恋する人の特徴。ただの一過性。気の迷い。真実の愛からは程遠いもの。それこそ先程の言葉の根幹である。
「だから……陽紀君のことが好きだけど告白をしない。 もっといろいろなことを一緒に経験して、その後キミが私のことを好きでいてくれたなら付き合ってくれる?」
「あぁ、わかっ―――――――って、ちょっとまって。逆になってない?水瀬さんが俺のこと好きでいたらじゃないの?」
「え?なんで? それはないよ」
「…………?」
どういう意味だろうかと。陽紀は首を傾げる。
「だってもう好きなんだもん。この想いが変わることは絶対にないよ」
「…………??」
若葉のお願いに陽紀は頷きかけたが、最後の最後で疑問の声を上げた。
彼は「答えは保留で良い」という説明かと思ったのだ。けれど思った答えと違い、当たり前のように返してくる姿に再度疑問符が浮かぶ。
そう、これこそが若葉の抱える矛盾。本人さえも自覚していない感情。
この感情は一過性だと。恋に恋する心が生み出したかもしれないから告白するのを控えた若葉。
けれど絶対に想いが変わることはない。むしろ陽紀からの感情の問題にすり替わっていて彼の理解の範疇を越えてしまった。
しかしこれはまだ彼女の一側面。
若葉が語らないもう一つの理由は、ひとえに麻由加の存在だった。
陽紀と同じ学校で同じ委員会の麻由加。そしてかの人物に陽紀が心寄せていることも若葉は理解していた。
以前看病の時に知った、麻由加が陽紀が好きという真実。つまり両思い。まさしく出る幕もない若葉なのだがそれでも想いを告げ、いつか彼の思いがこちらに向けられることを願ったのだ。
当然それを若葉が口にすることはしない。言えばきっと……いや確実に麻由加が陽紀のことを好きという事実さえ伝えてしまうだろうから。
これが若葉の全て。
もうこれで故意に隠していることなど一つもない、彼女の真の姿でもあった。
「と……とりあえず、これからも良い相棒でいようねってこと?」
「ウン!そう!そんな感じ!」
「ホッ……」
彼女の心の内など読み取れるハズもない陽紀は、なんとか足りない頭でそれっぽい結論を提示したところ見事合致してホッとする。
ずいぶんと遠回りした気もするが若葉の言いたいことはそのことかと。高鳴った心臓を抑えつつ後ろ手で身体を支えつつ脱力してみせ、若葉も倣って同じ体勢になる。
「だから陽紀君……これからもよろしくね」
「あぁ……相棒として、な」
ただの問題の棚上げ。眼の前の問題の先送り。
結論から逃げただけであるが、陽紀は心底ホッとしていた。
陽紀の好きな人、麻由加。そしていま告白してきた少女、若葉。本来なら好きな人である麻由加一直線で行くべきだがその心に迷いが生まれていたから。
自分の好きな人は麻由加だろう。そう何度も自身で問いかけたが答えは返ってこない。まだ心の迷路から脱出できないまま告白されたから彼の脳内はオーバーヒート寸前だった。
「――――あっ!流れ星!!」
「えっ!?どこ!? ――――っ!!」」
リラックスで警戒心もない状態だったからこそそんな若葉の言葉に思わず目を見開き空の海に注目する。
天に浮かぶ宝石の数々。そのどれが流れていったのだろう。目を凝らして一つ一つジッと見ていると、またも頬へ何かが触れる感覚に襲われた。
その感覚はつい先日も。風邪を引き看病をしてくれた時にも味わった感覚。
思わず驚いて振り返ると、若葉は小さな舌を出しながら陽紀に笑いかける。
「えへへ。隙だらけのセリアが悪いんだよっ! ボーッとしてると唇まで奪っちゃうんだから!」
「アッ……アスル!!」
「キャー!怒られるぅ! それじゃあまたねセリア!今日呼んでくれて嬉しかった! これからも一緒にいようねっ!」
そう言って逃げるように家へ帰っていく若葉。まさに夢のような矛盾だらけの告白劇は、彼女に圧倒されっぱなしだったなと陽紀は肩を竦める。
けれど責める気は一切しない。だって最後に見せた彼女の笑顔は、空に瞬くどんな星よりも綺麗に輝いていたのだから。
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