038.自覚と幼さ


私は陽紀君のことが結婚したいくらい好きだけど、付き合ってとも結婚してとも言わないよ――――





 少女は決意の瞳で真っ直ぐ少年を捉え、ギュッと握りこぶしを固く結んで想いを届ける。

 一見すると意味の理解できぬ言葉の羅列。しかし少女の中ではそれが矛盾なくすっぽり収まっていた。


 月から覗いているであろうウサギだけが2人を捉え、他に二人を観測するものはいない聖なる空間。

 絶句。そして無言の静寂が世界を包み込むも、彼女は黙って愛しの人からの返答を待つ。


 彼の返答によって今後関わる多くの人々の人生が一斉に変わってしまうだろう。

 そんな確信を持つ少女はオーディションやライブ、生放送の収録や新曲発表の場など全ての活動と比較しても殆ど類を見ないほど緊張していた。

 これに類する緊張はただ1つ。アフリマンを倒した直後、彼に結婚を申し込んだ瞬間だけ。アレに比肩ほどの緊張だった。


 1秒が1分に感じ、鼻や口から取り込まれる空気が痛いほど冷たい。

 全てを捨ててやって来たこの街。ここで拒絶されてしまえばどうしよう。行き場も無いし生きる意味も見失ってしまう。それほどまでの心持ちで挑む告白に吐き気さえも催すほど。

 しかし彼女はそれでも耐えていた。これは私に課せられた試練だと。そう思い込みながら。




 そんな少女が試練へ挑む少し前に遡る。

 時は夜も更けきる前。場所は少女がたった一人で住まう部屋。

 愛用しているノートパソコンの電源を落としてベッドへダイブした彼女はふぅと息を吐きながら枕に顔を埋める。


「はぁ、やっちゃったよ……。セツナちゃん、怒ってないかなぁ……」


 少女が後悔するのはつい数分前の出来事だった。

 大事な仲間とともにログインし、アイテムのやり取りをして綺麗な装備に目を輝かせて。

 そしてこれから楽しい冒険が待っているというのに自分一人のワガママで空気を悪くしてしまった。


 以前彼と一緒に地図へ言った時に手に入れた激レアアイテム。それをコッソリヒーラー武器に加工してサプライズで渡したけれど、まさかあの子と一緒になってしまうなんて。

 最初は彼が自分で手に入れたかと思っていた。ゲーマーとして喉から手が出るほど欲しい『激レア装備』。いくら性能に価値が無かろうとゲームを愛するものならば憧れるのは当然のことだった。

 だから陽紀もようやく1つ手に入れたのだと、そして2つ目となるこれを渡したら喜ぶだろうなと最初は思ったけれど、蓋を開けてみれば陽紀の持っていた装備はもうひとりの仲間が渡したものだった。


 その相手こそセツナ。若葉がセツナちゃんと呼ぶキャラクター。

 普段は男らしく少し乱暴な言葉遣いで楽しんでいるけれどひとたび焦りが加われば口調に素が戻っていく子。

 若葉は仲間として共に過ごして居るうちに、自然と女性ということを見抜いていた。そして陽紀……セリアに気があることも曖昧ながら予感していた。


 確証はない。予感だけ。けれど頻繁に声をかける相手、からかい方、信頼のしよう。

 顕著なのはセツナからセリアへ信頼の高さだろう。最高難度のアフリマンを倒すほど腕が立つ魔法職なのに避けるのが面倒と言って攻撃に当たる。それはセリアを信頼しているから。怒らないことはもちろん、絶対に倒されないようヒールや軽減を駆使してくれると信じているからだ。


 しかし今日のログイン直後、若葉が胴装備の出どころを知った時は目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。

 渡した相手は自分と結婚した少年。それでも渡し、受け取った事実に若葉はどうしようもないほどの嫉妬が生まれた。

 身を焦がすほどの激情。少し気を抜けば怒り狂って言葉荒らげそうになるほど。

 だからこそ若葉はログアウトしたのだ。これ以上ボロが出る前に。


「私……嫌な子だな……」


 自分の心の醜さと幼さを自覚している彼女は一人で後悔する。

 なんであんなことでこれほどまでに心乱されたのだろう。少年にとっては他意なんて一切なく、言葉通りお祝いとして貰っただけなのに。

 そして同時に激情が生まれた理由さえ理解していた。全てを捨ててやって来たこの街で会えた少年。しかし彼の周りには予想以上に彼を慕う人が多かったのだ。


 アイドルとしてトップに立ち、この世の全てを手にしたと言ってもいい若葉。

 お金は当然のこと人心だって、スキルだって、勉強だって全てを努力し手に入れてきた。

 昼はレッスンに励んで心と技を磨き、夜はアフリマンを倒すため日々努力。スキマ時間には勉強をこなして寝る時間なんて殆どなかった生活。

 そこまで頑張ってようやく見えてきた頂。努力の量なら同年代でトップに立つと言えるだろう。それなのに勝てない…………そう言わしめられたのが麻由加だった。


 こちらに来て初めて知った人物、麻由加。

 彼女の存在を知ったことで若葉の心に余裕が無くなってしまった。

 ひょんなことで知ってしまった、『彼には好きな人がいる』という事実。それも同じ委員会で。

 相手が麻由加と理解するのはそう時間がかからなかった。そして自分では敵わないかもという思いが段々と若葉に余裕をなくしていった。

 ただでさえ好きと宣言する人。更に相手も陽紀のことが好きだと言う。

 知った時は虚勢こそ張ったものの、その時点で限界に近かった。


 頑張ってキスまでして好きって言ったのに連絡の1つもよこさない。若葉に自覚はないが、彼の行動も導火線を早める一因だった。

 嫉妬で爆発するところを持ち前の気力でゲームを落とし、ベッド上で落ち込んだところで近くの棚に置いてあったとある物を引っ張り込む。


「スゥ…………ハァ…………。 落ち着くぅ……これがあってよかったぁ」


 引っ張ったものを自らの顔に埋もれるよう押し付けて大きく深呼吸すると、暴れていた心が次第に落ち着いてくる。

 それは彼女の身体にしては大きいと言わざるをえない薄手の上着。そこらのチェーン店で売っている、非常に安い量産品の上着。以前陽紀が着て若葉に渡した上着であった。

 看病の日に汚したと言って新品で渡した上着だったが、もととなるものは未だに若葉の家にある。

 汚した。クリーニングでも無理だと言われたのは真っ赤な嘘。…………まぁ、一部に付いているヨダレ跡は確かに汚したと言えないでもないだろう。

 その上着に鼻を付けて深呼吸するたび彼の匂いが全体で感じられ、抱きしめられているような錯覚さえ陥る。今の彼女にはそれだけで心の平穏が保たれていた。


「んん……陽紀君……?」


 あまりよろしくない方法で手に入れた上着に全てを預けてトリップしていると、スマホの着信が鳴って若葉は顔を上げる。その音はボイスチャットのソフトから。

 陽紀たちが利用しているボイスチャットアプリはスマホとPCで同期しているのだ。機能もボイスだけじゃなくて通常のチャットだって行える。

 厳格に通知設定したのに着信が鳴るとなれば相手は一人しかいない。彼女は陽紀を待たせるまいと上着の誘惑に抗ってスマホの通知に目を向けた。


「…………!!」


 チャットの内容は『今会えるか?公園で待ってる』と簡潔なもの。

 しかし若葉の目を覚めさせるには十分だった。

 ガバッと身体を起こし物に溢れた部屋を掻い潜って、時には蹴飛ばして服を着る。


 これまで散々若葉から向かっていった数日間。彼からの誘いなんて初めてだった。

 まるで夜デートのような誘いの言葉。その事実にこれまでのことなんて全て忘れて彼女は準備に奔走した。

 グシャッと袋を踏む音やベコッとお弁当の容器が潰される音が部屋を奏でていく。時にはゲシっと足の小指を角にぶつけてしまうが悶ていなんかいられない。

 今日こそ薄着などという醜態を晒さないよう厚着をして部屋を飛び出した。


 おっと。病み上がりで寒いだろうし少しでも暖かくなってもらうためにホットの飲み物買っていかなきゃ!

 公園までの道中そう思いついた若葉はちょっと寄り道して自販機の前に立つ。

 確かエナジードリンクからコーヒーに変えたって言ってたから微糖のコーヒーと、念のためお汁粉を……。

 ガシャコンと缶の落下音の後急いで取り出した彼女は公園まで駆けていく。

 想うは陽紀のこと。この小さな温もりで少しでも柔らかな微笑みが見られることを期待しながら――――



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 ―――――――



 同時刻。陽紀の部屋の前には一人の少女が佇んでいた。


「おにぃ~!ちょっといい~?漫画借りたいんだけど~!  おにぃ~?」


 少女がいくら扉を叩いても返事が返ってくることは絶対にない。部屋の主はもう既に外出してしまっているのだから。


「おにぃ~?寝ちゃったかな? 入るよ~!」


 痺れを切らした少女はそのまま扉を開けて部屋に入室する。

 しょっちゅう出入りしている兄の部屋。目的のものがどこにあるかなんて把握しているしちょっと本棚から拝借して出るだけ。寝ているとしても起こさない自信もあったから。


 しかし扉を開けた先には暗闇と人の気配のない部屋だった。居ると思っていたベッドは空で明らかに誰かが居るとも思えない。そんな中、一つの光源を少女は発見する。


「もうっ、おにぃったらまぁたパソコンつけっぱなしにして~。 しょうがないなぁ」


 いそいそと本棚から目的のものを取った彼女はそのまま光っているモニターまで行ってロックをかけようとする。しかしその直前、彼が直前に送ったメッセージが目に入った。


「これは…………ア…ス…ル…。アスル……確か若葉さんの名前……」


 少女はその名に聞き覚えがあり、相手が誰かも即座にリンクした。

 若葉が初めてこの家にやってきた時、兄がその名を口にした事がある。


「……なぁるほど。おにぃ、ついに覚悟を……告白する相手を決めたんだね」


 その画面だけを見てどういうことか察した少女は一人納得して部屋を出ていってしまった。まるで真実にたどり着いたような笑顔を浮かべながら。

 少女の誤解は加速するばかり―――――

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