037.要望と否定
数日の間で急激に寒くなった秋の夜。
もう薄手の上着で大丈夫なんて悠長なことを言うことができなくなり、すっかり冬の装いとなった月の下にで俺は一人の少女を待つ。
住宅街のど真ん中。ふと顔を上げれば家々から光や音が漏れていて人々の営みが聞こえてくる。
そんな中冷たくなったベンチの上で手をポケットに突っ込みながら待っていると、ザッザッと音を鳴らして歩いてくる人物が一人、こちらに向かって来ていた。
「もう。あんなチャット来てビックリしたよ。本当に用事だったらどうしてたの?」
そう文句を言いながらも若干嬉しそうな雰囲気を滲ませるのは我が相棒、アスル……いや、水瀬さんだった。
彼女の装いも十分注意しているようでフワフワモコモコの暖かそうな上着を身にまとっている。
本当に……ね。つまり用事はなかったわけだ。
「その時は諦めて早々に帰るだけだな」
「え~ひど~い。 来るまで待ってるとかじゃないの~?」
抜かせ。そんなことするものか。
こちとら病み上がりなんだ。いくら厚着してるとはいえ待ち続けたらまた風邪引くっての。
クシャッと落ち葉を踏む音を立てながら目の前まで歩いてきた彼女は、すぐ正面で手を振ってから俺の隣へ腰掛ける。
近いといえば近いが肩が触れるか触れない程度の、そこまで気にするほどでもない距離感。そんな彼女がおもむろにバッグを漁ったかと思えば何か筒状の物をこちらに差し出してきた。
「はい、陽紀君。コーヒーとおしるこ買ってきたけどどっちがいい?」
「……コーヒーで」
「ん、わかった。 じゃあ私はおしるこね」
どうやら近くの自販機で買ってきた飲み物だったようだ。
二択のうち片方を受け取ると手のひらに暖かな感覚が広がっていく。……うん、うまい。でも微糖だったか。ブラックがよかったがわざわざ言うのは無粋だろう。
「ん~!やっぱりこの季節になると温かいおしるこが身にしみるね~!」
「なんだ?アイドルも缶のジュース買ったりするのか?」
「そりゃ買うよ~! 私のこと何だと思ってるの!?」
そりゃあ、体型維持のため食べ物はもちろん飲み物も規制してるかと。
普段長袖を着て体型こそわかりにくいが、腕や足から察するに彼女は小柄かつ細身である。
身長は妹と同じくらいだからおそらく145前後。美しさより可愛さに全て振った感じだ。
そんな彼女だからこそ怒ってもあまり迫力など感じない。
もしくは普段雪を怒らせたりしてるから耐性が付いた説もある。
「でも悪かったな呼んで。本当に用事は無かったか?」
「ううん、全然大丈夫。用事といってもそろそろ寝よっかな~って思ってた程度だしね」
「なんともまぁ……ずいぶん早いな」
今こそ時間は分からないが家を出る時は8時半を越えていた。きっと今は9時手前といったところだろう。
良い子は寝る時間といっても俺たちは高校生相当。ゲームで2時まで起きてたりするのと比べたらずいぶんと早い時間だ。
「うん……これ以降は悪い子になっちゃいそうだったから寝ようとしたんだけどね……。陽紀君に会いたいな~って思った時に連絡来たんだもん。ビックリしたよ」
「そりゃあ、あんな落ち方されたらな。何かあったか?」
「…………陽紀君のせいだもん」
「えっ、俺?」
プラプラと。
ベンチから足を伸ばした彼女は宙に浮かせて手持ち無沙汰のようにバタつかせる。
俺が悪い?何か彼女に変なことしたか?
「あれ以上話してたら二人共に嫌なこと言っちゃいそうで……。もうっ!これも全部陽紀君が浮気するからだよっ!!」
「はぁ!?俺が浮気!? なんっ―――――」
彼女が器用に声を上げたのに対し、俺は心のままに驚いて声を上げてしまい慌てて自らの口を塞ぐ。
危ない。近所迷惑になるとこだった。 でもどういうことだ?俺が浮気?誰と?どうやって?
「……俺が浮気ってどういうこと?」
「だって陽紀君、私が好きって言った直後にゲームで浮気してるんだもん。心穏やかじゃないよ」
「ゲームでって……もしかしてセツナのことか?」
「………」
確かめる俺の問いに彼女は黙って首を縦に振る。
いやいやいや……待て待て。だって彼は……アイツはそういうのじゃなくって……!
「でもセツナだぞ?ずっと一緒にやってきた仲間だし、男だし……」
「えっ?気付いてないの? セツナちゃん、女の子だよ?」
「――――!?」
あまりの衝撃に声を出すことすら失ってしまい、大口を開けて驚いてしまう。
セツナが女の子ぉ!?
いや、待て!そんなのありえないでしょ!!
だってアイツ男声だし男キャラだし、尻尾なんて全く―――――。
―――あぁいや、見せてたわ。めちゃくちゃ見せてたわ。
俺がアスルと結婚したって言った時とかリンネルさんと初めて話した時とか、明らかに女性口調だったわ。
それに男声な理由も目の前に実例がいるからどうとでも説明がつく。冷静に考えたらセツナ、女の子だ。
「それで私が桜華作ったのに、まさかセツナちゃんに先越されちゃってたんだもん。そんなの心穏やかじゃないよ」
「でも、俺はセツナが女の子だなんて全然知らず……!それにアレはアフリマン討伐祝いだから……!」
「わかってるよぉ。陽紀君、やさしいもん。そういう意味じゃないってことも」
わかってるなら何故……!
そう問いかけようとする前に、彼女自身で答えを出した。
「だから悪い子は私なの。勝手に嫉妬して勝手に落ちちゃって。陽紀くんも落ちることになっちゃって、セツナちゃん困らせちゃっただろうなぁ……」
そう膝を抱えながら独り言のように呟くのは彼女の本心だった。
俺から顔を背けるように逆を向き、膝を抱えて後悔の念を発する彼女。
あぁ、彼女が突然落ちた理由はこれだったか。さっき悪い子だと言ったことも、全てはこれに集約されるのか。
きっと自分でもその考えはよろしくないと分かっている。しかし心は相反して逆を行く。だから爆発しないためにゲームから突然落ちたというのか。
なんともまぁ……不器用だな。
「ねぇ、水瀬さん」
「……なぁに?」
「水瀬さんってさ、案外バカだよね」
「……? なっ……!」
処理に時間がかかったらしい彼女は、俺の言葉に数瞬遅れて顔を上げる。
まん丸な目を見開いて小さくなった瞳で俺を見る。それはまさか自分が言われるとは思いもしなかった顔。
「ま、まって陽紀君!これでも私お姉さんだよ!風邪引いた日もお勉強教えたし!」
「うん。でも水瀬さんってバカだよね。 余計な事で頭悩ませちゃって」
「余計なこと……?」
そうだよ。余計なことだよ。
まったく、変なことで頭悩ませちゃってまぁ。
「そもそもセツナは女の子でも顔も名前も知らないし、なにより俺にそんな気が無いから。少なくともゲームで第一に優先するのは結婚相手で相棒であるアスル……水瀬さん唯一人だからね」
「私……一人だけ……?」
「うん。もちろん――――って、ゲームの話だから!そこ間違えないようにっ!!」
呆けた彼女に俺は慌てて補足する。
彼女とは間違いなくゲームの結婚相手だ。リアルがどうであろうとそこは変えようがないし俺も認めている。だからなにより彼女を優先するのは当然のことだ。
でもリアルはまた別問題だ!そこはほら……俺にも色々あるから……。
「じゃあ、陽紀君にわがまま言って良いの?」
「もちろん」
「女の子と浮気しない?」
「もちろん。ボーダーによるけど」
「贈り物受け取らない?話しかけても無視してくれる?他の子が居るパーティーに入ったりしない?」
「ちょ……!ちょっとまって! それは流石に厳しい!!」
次々と畳み掛けていく要望の数々に思わず手を上げて止めさせてしまう。
それらはさすがの俺といえども無理がある!もはやゲームをやめろと同義だ。
あのゲームは性質上ソロ又はペアでゲームを進めることはできない。少なくとも4人は必要だからどうあがいてもパーティーは必要になってくる。性別がわからないと組めないってもう無理じゃん!
「あはっ……!あははっ! 冗談だよ。ありがとね、陽紀君」
「あ、あぁ。冗談か。よかった……」
そんな彼女の無茶振りに驚いていたものの冗談だという言葉に心底ホッとする。
よかった、俺まだゲーム引退せずに済みそうだ。
「ありがと。今回のことも私が原因だから気にしないで。私には陽紀君を縛る資格なんてないんだし、セツナちゃんともこれからもっと遊んであげて」
「いいのか……?」
「うん、もちろん。 でもその代わり、1つだけ話を聞いてほしいな」
「話?」
話とはなんだろう。
そう思った矢先彼女は抱えていた膝を解き、こちらに身体を向ける。
身体を捻ったままベンチに両手を付き、見上げる瞳は真っ直ぐで真剣な表情。今度はどんな無茶振りを言われるのかと固唾を呑んでその姿を見守る。
「あのね、陽紀君。 私、陽紀君のことが好き」
「…………」
あぁ……やはりその言葉か。
一方で冷静になりつつももう一方では脳内がパニックに陥る。
やはり以前の言葉は聞き間違いではなかったのか。さっきも無理矢理流したが、好きな人がって言ってたしな。
でもやっぱり、俺の心もまた変わらない。
俺には好きな人がいる。そう伝えようとしたけれど、彼女は再び口を開いて俺の言葉が止められる。
「でも、告白はしない。付き合ってとも言わない」
「……えっ?」
思わぬ言葉に俺は思わず問い返す。
好き。だが告白はしない。それはどういう意味だ?
そんな疑問を抱えたまま彼女の続きを待っていると、再び言葉を紡いだ。
さっきと変わらぬ聞き間違いのない、そして意味を理解しかねる言葉を。
「私は陽紀君のことが結婚したいくらい好きだけど、付き合ってとも結婚してとも言わないよ」
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