036.落とし忘れたウィンドウ

 『桜華淤美豆奴杖おうかおみずぬのつえ

 それは『サクラの枝花』から作れる『桜華シリーズ』の武器である。

 様々な種類が存在する職業を象徴する武器の1つ。花形故に高値で取引され、胴装備負けず劣らず相当凝った作りになっていた。


 普段は背負うタイプの大杖。このままだと少し装飾が凝ってある程度の桜の枝だ。

 しかし抜刀すれば一瞬魔法陣が出現した後にキャラの周りを桜が舞い踊る豪華仕様である。それも桜色だけではなく様々な淡い色に発光色を変えていくエフェクトもまた幻想的で、前にどこぞの廃人が武器から足装備までの全6つ揃えた動画を見たが、まさに千本桜と呼ぶに相応しい荘厳さを表していた。


 そしてその内の2つが今日手元に舞い込んできた。

 見た目の大半を占める胴装備と花形である武器。マーケットでも最も高くなるその2つを何故か手に入れてしまったのだ。


 モニターに再び踊りだすトレード画面。震えた指でOKボタンを押すと件の武器が所持品に入る音が聞こえてくる。


「いやぁ、これを手に入れた時に何作ろっかな~って思ったんだけどね、やっぱり相棒であるセリアに渡すのが一番かと思って!」

「あ、ありがとう……」


 ログインする直前の出来事など当然知りようもない彼女の楽しげな声が聞こえてくる。

 まさかこんな事が起こるなんて……。そんな視線を持ってセツナに目を向けると、彼も驚いた様子でこちらを見ていた。

 両者目を丸くして顔を見合わせていると、アスルの急かすようなエモートが俺に向けられる。


「ほらほらセリア!早速装備してみて!」

「あ、あぁ……。ちょっと宿屋まで行って武器反映させてく――――」

「――――そういえばセリア。お前、胴装備も新調したって言ってたよな」

「っ…………!?」


 とりあえずアスルに見せるためだけに武器だけ見た目適応すればいい……!

 そう画策しつつこの場から逃げるようにキャラを反転させて宿屋へ走ろうと踵を返したその瞬間。まるで狙いすましたかのような言葉が俺の背中を撃ち抜いた。

 驚いて声を発した人物……セツナに注目すると彼はニヤニヤと表情を変えつつこちらを見つめている。ちくしょう、表情エモート豊富だなこのゲーム。


「そっちもセリアにかなり似合ってたからなぁ。武器とも合いそうだったし、是非一緒に反映して見せてやってくれ」

「胴装備もなの!? 見たい見たい!どんな装備かな!?」


 装備をくれた2人が乗り気になり、どんどんと消え去っていく俺の逃げ場。

 何も知らないアスルの声は無垢なものだが、一方でセツナは確信犯だ。

 これが……これがスポンサーからの圧力というやつか!?逃げ場が無い!!


 元々の所持者が2人である以上、逃げるという選択肢は存在しない。

 観念した俺は宿屋で装備反映させるのを保留して、性能的には弱いおしゃれ装備をそのまま着用して見せる。


「えっと、これなんだけど…………」

「わぁ! なにこれ凄い!真っ白でアクセサリーも桜!武器によく似合って…………って、これってもしかして桜華の……」


 どうやらアスルも気が付いたようだ。

 俺が武器と一緒に着用したのはさっきもらった胴装備である。

 胴も武器も同じ『桜華シリーズ』。そりゃあ似合っているに決まっている。


 ゲーム内で俺はケチだ。

 長いこと連れ添った相棒。彼女には俺がこんな高い装備を買うことなんてありえないことくらい知っている。

 ならば何故この装備を手に入れたのだろうと。きっと彼女の中では2つの可能性が生まれたに違いない。


「……あっ!もしかしてセリアも『サクラの枝花』当てたんだ! すごい!アレ全然当たらないやつなのに――――」

「―――いいや、アスル。俺がセリアにあげたんだぜ」

「…………セツナ」


 思い至ったであろう可能性の1つ、俺が自力で引き当てたという結論に至った彼女だったが、セツナによって即座に否定されもう一つの可能性が確定してしまった。

 それは自力ではなく誰かから貰ったということ。事実セツナが引き当てたそれを俺が受け取ったのだから真実ということになるのだろう。

 けれど今。ダブルブッキングするような形で貰ったと告げるのはどうにも気が引ける発言だった。


「ふぅん。セツナもあげたんだ。 すっごい似合ってるね」

「だろぉ? いやぁ。昨日一緒に行った時に引き当ててな!手に入れた瞬間思ったぜ!セリアにあげたら喜ぶだろうなって!」

「……ふぅん」


 あわ……わわわ………あわわわわ…………!

 声はどちらも男性のもの。むしろこの場には男性キャラしか居ないはずなのに不穏な空気が辺りを埋め尽くしてしまう。

 アスルはなんでそんな過敏な反応を……セツナは仲間であるうえに男なのに……!


「ま、いいだろそんな事。 装備被りもしなかったんだしセリアによく似合ってるしな!」

「……そうだね。まるで歴戦の勇士みたいに似合っててかっこいいもんね。 別にいっか」


 なにやら声色を低くして対応するアスルにあっけらかんと何も気にしないような声色のセツナ。

 そしてそれに呼応するようにアスルも明るく対応する。

 ……助かった?



「――――今はね」


 ゾクッ―――と。

 背中に氷を入れられたような寒気が一気に伝わってくる。

 慌てて振り返ってももちろん誰もいない。今一度居住まいを正してモニターに向かい直すと、アスルのキャラが俺の真正面まで接近していた。


「っ…………!」


 彼らと会話する為に主観設定にしていたからこその驚き。

 普段の三人称視点なら近くに寄ってるな程度の印象で済むのだが、主観だからこそ画面いっぱいに彼女の顔が映って俺の身体は大きく飛び退き背もたれにぶつかってしまう。


 驚きと衝撃でしばらく悶ていると、今度こそアスルの明るい声がパァッと花を咲かせてみせた。


「……さっ、インして色々としようかなって思ってたけど、ちょっと用事思い出しちゃったから落ちるね!」

「もうなのか? またインするなら地図あるし、セリアと一緒に待ってるぞ?」

「いや、今日はこのまま寝ちゃうかもしれないから先やってて。 それじゃ、おやすみ~」

「そうか、わかった。 おやすみ」


 何を思い出したのだろうか。

 彼女はそれ以降何もすることなく俺からも離れ、一言二言交わしてゲームを去っていってしまう。

 そのいきなりさにセツナも呆気にとられているが、俺も同じ。結局彼女は装備を渡しに来ただけという結果に収まってしまった。

 取り残された俺たちはまた二人して顔を見合わせる。


「また2人になっちまったな」

「……そうだな」

「どうする?姉が風呂から出る前にサッと地図行くか?アスルも戻らないみたいだし」

「いや……」


 彼女がログアウトした無機質な通知、そして誰もいなくなったエリアの一角を俺は見つめる。

 果たして彼女は本当に用事ができたのだろうか。アイドルとして多忙を極めていたであろう彼女。きっと夜遅くまで働きもしたことだろう。

 それは休止した今も健在であってもおかしくない。しかし……


「…………すまんセツナ。俺もちょっと用事ができたみたいだ」

「お前もか? まぁいいや。色々あるみたいだし、また明日でも遊ぼうな」

「すまんな。それと装備ありがとう。大切にさせてもらうよ」

「おう! それだけ聞ければ満足だぜ!!」


 そんな彼の元気な返事を最後にゲームを落とした俺は早々に椅子から立ち上がってハンガーに掛けられた厚手の上着を取り出す。

 荷物は必要最低限だが問題ない。服も十分厚着をした。チャットも打ったし……よし、行くか。


 鏡で今の状態を確認した後、隣で勉強をしているであろう雪を刺激しないようにそっと部屋を出る。

 部屋で孤独に光り輝いているのは落とし忘れたPC。そこにはボイスチャットソフトに付属している通常のチャット機能。話し相手はアスルだ。

 俺と彼女が会話する2人のメッセージルームに、「今会えるか?公園で待ってる」と、俺から送った簡潔な文章が残されていた。

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