033.返されることのないツッコミ
カタカタとキーボードを叩く音が部屋中に響き渡る。
指の動きに連動してモニターの真っ白な部分に徐々に黒が混じってきてどんどん横に伸びていく。
1つ、2つ、3つと徐々に増えていくそれはやがて1つの文になる。
慣れた手付きでどんどんキーボードを叩き、文は次第に1つの文章へ、そして最終的に画面いっぱいに広がる文字の羅列へと変化していった。
最後に『。』を入力してからは全ての感情を叩きつけるようにタァン!とエンターキーを押し、全ての工程を完了させる。
「ふぅ……」
キーボードから手を離して背もたれに身体を預けた俺は、これまで集中していた疲れからか自然とそんなため息が漏れた。
遠目でモニターを見つめながらホイールを動かしトップに躍り出るのは『環境の変化によって起こる植物変容について』という文言。
そこから下に続く文章に問題がない事をサラリと確認してファイルを閉じ、うんと伸びをする。
「おわったぁ~!」
ようやくおわった…………!
ついに先週から抱えていた懸案事項を片付けたことに対する解放感につい部屋で一人叫んでしまう。
さっきまで取り組んでいたお硬い文章。あれは先週の水曜日に環境の授業で出されたレポートの課題である。ようやくそれが今片付いたのだ。
題名こそ物々しいが中身はネットの海を漁って見つけ出した自分なりの感想文。つまり適当だ。
適当ながらもある程度形付いたそれを早々にUSBへ格納してバッグへ放り投げる。これにて今日やることは全部完了だ……!
今日学校で言われるまですっかり忘れていた環境の課題。家に帰って大慌てで終わらせた解放感のお陰で、手にしたコーヒーもずいぶん美味しく感じられる。
ゲームや課題のお供であるコーヒー。
コーヒーとは万能の飲み物だ。たしかに最初は苦くて臭くて気持ち悪さの代名詞だったが、一旦慣れるとそのどれもが芳醇な味わいで美味しくなってしまう。
そしてなによりコーヒーはカフェインが豊富に含まれているのだ。学校終わって、更に課題を終わらせてからのゲームは必然的に夜になってしまう。アフリマンを倒した日は少し例外だが、それでもゲームが終わる0時までぶっ通しというのは珍しくない。
だから眠気覚ましのためのカフェイン。更に苦さも相まってフラフラかつ激重になっていた脳と瞼はバッチリ元気になるという効果付きだ。
カフェインだけならエナジードリンクという手もあるかもしれない。
それも大いにありだ。俺もゲームを始めた当初はそれに頼り切っていた。
けれど一度虫歯になってからはその考えも改めざるをえなかった。夜に過度な糖分は禁止。痛みに震える当時俺はそう誓ったものだ。
コーヒーもステイン云々とあるが虫歯よりは遥かにマシだ。
あとエナジードリンクを一度机にぶちまけてキーボードをダメにした経験も大きい。キーボードの隙間に入り込んで押すたびに感じるヌチョヌチョとした感覚は…………泣いた。
だからコーヒーはブラック一本。慣れるまでずいぶんかかったものだ。
「おにぃ~ お風呂空いたよ~」
「りょうか~い」
課題が終わった解放感を表すように表示されている壁紙の青空を眺めながらコーヒーをすすっていると、そんな言葉と共に髪をしっとり濡らした雪が現れた。
またノックもせず部屋に入ってきて……。ちゃんとノックしなさい。あと髪もちゃんと乾かしなさい。
「……てか、なんで入ってきた?」
「ん~? ちょっと漫画読もうかなって思って~」
お風呂を呼びにくるのはいい。けれど何故部屋に入る必要がある……?
そう思ったところ雪はチラリと俺を見たのち、興味なさそうに本棚まで歩いていき数少ないながらも集めている漫画の1つを取り出してベッドに寝転がる。
あっ……!濡れてるのに寝っ転がって!枕が濡れる!!
「ほら雪、ここで漫画読むならせめて髪乾かしたらどうだ?枕が濡れるだろ」
「え~。これでも乾かしたよ~」
「全然そうは見えないんだが……」
「だって~。面倒なんだもん~!」
だってって、セミロングだからマシだろうに。
それで面倒なら名取さんなんかどうなる。腰まで届くほどなんだから乾かすものきっと大変なんだぞ。
「そんなことよりさ、おにぃ。今朝のって誰!?彼女!?」
「……は?」
そんな雪はまるでその話題から逃げるように朝の話題へと移行する。
今朝の……彼女?
「ほら、今朝家の前で会ってた人だよ~! あの綺麗な人!!」
「…………はっ?」
「しらばっくれちゃって~!もしかして待ち合わせしてた!?だから学校行くのも早かったんでしょ!!」
なっ……!
まさか今朝のアレを見られてた……だと!?
ひじで身体を起こしながら目を輝かす雪の顔は明らかに好奇心100%という表情だった。
あれは間違いなく偶然……!けれど雪に見られてたなんて……!
「もしかしてあの人が同じ委員会の好きな人!?もう付き合ったの!?」
「いや……まだ付き合ったというわけでは……」
「”まだ”!? じゃあやっぱり気があるんだ!! お兄ちゃんも隅に置けないね~!」
しまった!墓穴!!
見事今朝の彼女が俺の心寄せる相手だとアッサリバレてしまった。
ヒャー!とベッドの上で叫んでいる漫画片手の雪のボルテージは最高潮。もはや読書どころじゃ無くなってしまっている。
「あ!でもおにぃ! あんまりガッツキ過ぎたらダメだよ!女の子はさりげな~い優しさが一番キュンとくるんだからね!」
「さりげない優しさってなんなんだよ……」
「例えばぁ……今の季節だと寒そうにしてる子に上着掛けてあげるとか、相手が危ない目に遭いそうな時助けに入るとか!」
なんだそれ。最初はわかるけど次なんてさりげなさ0%じゃん。
そんな事名取さんにできるわけ無いでしょ。上着掛けて汗臭いなんて言われたら一ヶ月は寝込むし、そもそも女の子の些細な機敏なんて気づける自信がない。
「まあ、おにぃにそんな事言われても難しいかぁ。だっておにぃだし」
「ムッ、だったら雪はどうなんだよ」
「なにが?」
「雪はそういう相手いるのかってこと」
雪ばっかり講釈垂れちゃって、だったら本人はどうなんだよ。
そう思って抵抗してみせると、雪はニヤリと何か企む笑みを見せつけてくる。
「いやぁ~。私もよく告られたりしてすっごいモテてるんだけどねぇ。でもやっぱりここは女の子にモテないおにぃのことが大好きってことにしてあげるよ~!」
鼻高に、声高に腰に手を当て喋る雪の姿は言外に「感謝しなさい!」と言っているようだった。
そんな姿を見て俺は黙って椅子から立ち上がり着替えを持って扉まで歩いて行く。
「………………。 お風呂入る」
「わ~! ちょっとちょっと!何黙って出ていこうとしてるの!? せめて何かツッコミ入れてよ~!!」
背後から慌てたような声が聞こえてくるがそれでも俺は扉を開ける。
一瞬引き止められたがそれでも完全無視。ツッコミを求める雪の声は階段を降りるまで続くのであった。
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