032.家宝となりうるもの


 学校とはかくにも面倒なものである。

 朝早くに起きてひたすら机に向かって勉強し、教壇に立つ人物から降り注ぐ眠りに誘う呪詛に抗いながらも負けてしまえばお叱りと成績の下落が待っているという試練の場である。

 これが月イチならまだしも週五というのが絶望だ。毎日毎日眠気に抗いながら面白くもない授業を受けなければならない。


 母や親戚なんかは学生時代をまるで輝かしいものであったかのように語ってくるが、当事者である俺にはなにがいいのかさっぱりわからない。

 むしろ同じ試練の場という意味ならば仕事をしていたほうがいいのではないだろうか。お金にならない授業を受けるより働いたら働いた分だけお金に変わるほうが有意義ではないのかと俺は思う。

 もちろん今勉強していい大学やいい資格を取らないと仕事も厳しいというのも理解している。隣の芝かもしれないことも。けれどどうしても、片方の立場しか知らない俺からしたらそう思う日も少なくないのだ。



 しかし、そんな勉強漬けの学校でも休息の時もやってくる。勉強ではない、特別なイベントの来訪だ。

 その名を文化祭。わが校では毎年11月に行われている祭典で、生徒たちがそれぞれ模擬店を出店するというなんとも楽しいイベントだ。

 中学の頃は3年分満喫し、今年この学校に入って初めての文化祭。方々に聞いたところこの学校独自のルールなど、そういう特記事項は存在しないようだ。


 それを踏まえて本日は文化祭に向けての話し合いが行われる日である。出し物を決め、できることなら配役や準備に取り掛からんとする時間。

 取られたのは午前最後の授業と午後最初の授業の計2時間。昼休みを挟むのは全員のクールダウンだったり話し合う時間を多く取れるようにと、先生が気を回したらしい。

 そして幸いにもこのクラスには比較的に文化祭に前のめりな人も多くいたようで、それぞれの中学の経験等から様々な意見が出た。

 喫茶店やお化け屋敷、郷土資料の展示や、はたまたショートムービーの撮影など。多様で面白そうなアイディアが生まれ出たが、それでも意見は平行線。ならば一度熱した心を落ち着かせるため昼休みを挟んだ明けに決めようと話がまとまった時、事件は起きた。



「あの、芦刈君はいらっしゃいますか…………?」



 昼休みが始まって一発目。そんな声が我が教室に轟いた。

 ずっと話し合っていた教室内。昼休みに入っても誰かしらその話題をしている中の訪問は、インパクトが弱かった。

 声も小さく誰からも相手にされないであろう声。けれど、控えめながらも確かに聞こえるその声は、朝夕の食事を作ったくせにお弁当を忘れてしまい食堂に赴こうかとした俺の動きを止めるには十分だった。

 朝も聞いた間違えようのないその声。振り向いた先にいるメガネが特徴的な始めて来る土地に怯えた様子をあらわにする少女。


 大慌てで席を立つと少女の視線が一点に集中され、安堵の笑みが思わずこぼれる。

 いつも委員会でのみ会う名取さんが、初めてこちらの教室にやって来た瞬間だった―――――





「いきなり押しかけてすみません。朝お誘いするのをすっかり忘れてしまっていて」

「それはいいんだけど……その……」


 向かい合って座る2人席のこの空間は、奇妙な緊張に包まれていた。

 お互い色々と話したいこともあるが話せない、そんな雰囲気。


 先程突然教室にやって来た名取さん、彼女に誘われ、2人で食堂へとやって来ていた。

 昼休みに入って最盛期を迎え、ガヤガヤとざわめきがそこかしこで上がる食堂。その隅にポツンと設置された小さなテーブルに、俺たちは無言で座りあう。

 それは何だかお見合い開始直後の話の取っ掛かりすら見えない空気感。……いや盛った。流石に俺が心寄せてるだけで彼女に他意はないだろう。


「その……今日は珍しいね。一緒にお昼食べようだなんて」

「はい。先日は一緒に帰れませんでしたし、昨日も急に帰ってしまったので、せっかくと思いまして」


 そう言いながら持参したバッグから取り出したのは小さなお弁当箱。黄色の袋とピンクのお弁当という、彼女らしく可愛らしいお弁当だ。

 しかし、やはり小さい。女の子はその程度の食事で足りるのだろうか。いつも俺が食べてる量の半分くらいしか入らない気がするが……


「私はお弁当を持ってきてましたが、芦刈君はお昼…………準備しておられますか?」

「あっ。 そうだった。買いに行かなきゃ。 ゴメン名取さん、少し待っててもらっていい?」

「もしかして、あの列に並ばれるのでしょうか?」

「………………」


 テーブルに広げられるコンパクトなお弁当に疑問の目を向けていたけれど、彼女からの問いかけでようやく自らの予定も思い出す。

 そうだった。今日お弁当忘れてきたんだった。あまり名取さんを待たせずに買いに行きたいところだけど…………名取さんに促されて向かった視線の先には食堂と購買。どちらも長蛇の列が形成されていた。

 あそこに並んで買いに行くとしても5分……いや10分かかるかも知れない。流石にそんな長時間待たせていられないし、仕方ないから今日はお昼抜きで――――


「買われる予定だったのですね。丁度良かったです」

「ちょうどいい?」

「はい。ちょうど、役に立ちそうな物をもってきたものでして……」

「……?」


 10分も待たせるというのに何が丁度いいのだろうか。

 そう思って振り返ったところ、彼女はまたしてもバッグを漁って何かを取り出そうとしてくる。

 しかし結構奥にあるものなのか苦戦している模様。バッグから折り畳み傘や何らかのスプレーなど、ポンポンと出していった最後に「あった」と小さな声とともに目当てのものを取り出した。


 それは、重厚な箱であった。

 ギリギリカバンに入るサイズの、長方形のシンプルな箱。少なくとも大きめのティッシュ箱サイズはあるだろう。

 黒い謎の物体を取り出した彼女はまるで献上でもするかのように、ススス……とスライドさせてこちらへと渡してくる。


「これは……?」

「そのぅ……昨日風邪を引かれた病み上がりで昼ごはんを準備するのも難しいかと思いましたので……!消化にいいものをいくつか作ってきましたが、いかが……でしょう?」

「作ってきた……? もしかしてこれ、名取さんの手作り?」

「――――」


 コクリと。首肯にて答える彼女を見て俺はまさかと絶句する。

 まさか2日連続で。しかもお弁当さえも作ってくれるだなんて。


 一体何を作ってくれたのかとドキドキしながら開けてみれば、色とりどりのお弁当が広がっていた。

 かぼちゃの煮物やレモン香る白身魚、蒸し鶏やゆで卵など。もちろん野菜も干し大根やにんじんしりしり、ポテトサラダなどが並べられていた。

 それはあくまでそれは2階部分。1階には小さめの丸いおにぎりまでも完備されている。これ、全部作ったというのか…………!?


「芦刈君が普段どれだけ食べてるかわからなかったのであえて多めに作りました。……あ!もちろん病み上がりですから食べられるぶんだけで構いませんよ! それで……その……食べられそう……ですか?」


 どう見ても自信作と豪語できる出来だと思うがあくまで控えめに。そして俺の表情を伺うように上目遣いで見上げる彼女はジッと俺の反応を待っていた。

 たった一食のお昼ごはんにしてはあまりにも品数が多すぎる。夕飯の残りと考えても肉に魚と明らかに異色のものがあるから少なくとも幾つかは新規で作ったものだろう。

 俺の為に作ってくれたお弁当……そんなの、もし今の俺がいくら辛い状況でもかける言葉は1つしか無い。


「ありがとう! すっごく美味しそう!!」

「!!」


 そんなの、受け取らないわけにはいかなかった。

 好きな人が作ってくれたお弁当、それも彼女の手づから作ってくれた、大切な。

 物が物でなければ今すぐ家に持って帰って金庫を用意して永劫大事にするのが確定というのに。生モノだからそうはいかないのが悔やまれる。


「良かった、です。 ではお昼休みも限られてますし、食べちゃいましょ?」

「そうだね。 ……って、名取さんの中身、こっちと違くない?」


 さぁお昼の準備は整った。その言葉により名取さんも小さなお弁当の蓋を開けたところ、想像と違ったもので思わず声が出る。

 普通お弁当というものは2つ作る時同じ材料を入れるものだ。いっぺんに作ったほうが効率がいいから。2つのお弁当にそれぞれ別の物を入れるなんて非効率極まりない。

 けれど名取さんのお弁当は肉じゃがとミニパスタというこちらに無いおかずが多くを占めていた。これは……一緒に作ったんじゃないのか?


「気づいちゃいました? こちらは昨日の夕飯の残りです」

「……それじゃあ、こっちのおかず全部、朝から作ってくれたってこと?」

「そうですけど……あっ!心配しないでくださいね!私は肉じゃが好きですし、お料理するのも大好きなので!!」


 再びの絶句。朝からこれ全部を新たにか……。

 まさに非効率の極み。けれどそれ以上に、俺を思って作ってくれたという事実に思わず目頭が熱くなる。


「芦刈君!?どうして泣いてるんですか!?」

「名取さんの優しさが胸に響いて……。名取さんと結婚できる人は幸せになるだろうなって……」

「っ―――――! そんな冗談、私じゃないと通じませんよ! 早く泣き止んで食べてくれないと、お昼休み無くなっちゃいますよ!」


 そんな慌てたような彼女に俺も目元の涙を拭い、受け取った大きなお弁当に手を付ける。

 それは味もさることながら、好きな人の手料理というバイアスもかかって昨日のお粥に勝るとも劣らない、人生トップクラスのご馳走であった。

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