030.暴露と相談


 女心と秋の空。

 それはどちらも移り変わりやすいものから来ているという。

 秋の空は女心と同じように変わりやすい。雨が降ったかと思えば一転晴れて、晴れていたと思えばところ変わって雨が降ってしまう。

 それは女心も変わらない。元々は男心と言われていたらしいのだが、どちらもさして違いはない。結局のところ男も女も移ろいやすいのだ。


 今俺の目の前には白い天井と、そこに取り付けられたライトが見える。少し頭上に視線を持っていけば人一人が通れるほどの大きな窓がすぐ近くにあり、そこから見える景色は俺の心を表しているような曇り空だった。

 曇天。世界は雲に覆われて薄暗くなり、ボーっと何も考えず怪しい雲行きの空を眺めていればポツ……ポツ……と水の落ちてきた。


 最初は1秒に一滴ほどの間隔だったけれど段々と短くなっていき、次第に絶えず水が降るようになってきた。

 雨だ。まさしく秋空を象徴するようにすぐさま降雨となった外界を死んだ目で見つめていく。


 どこかの屋根から慌てたように鳥が飛んでいくのが見える。

 あぁ、今俺も鳥になれたら何も考えず生きていけるようになるのかな……。私は鳥になりたい。



「ひゃ~! こんなに降るなんて聞いてないよ~!!」

「…………?」


 ザーザーと降り続く雨をボーっと見つめ続けていると、そんな慌てた声が何処かから聞こえてきた。

 なにやら聞き覚えのある声。というより心当たりしかない声に耳を傾けていると、すぐにガチャリと我が家の鍵が開く音も耳に届く。


「ただいま~。おにぃ~!悪いけどタオルとって~!…………って、そういえばおにぃ風邪引いてたんだっけ」


 やっぱり。家の扉を開けたのは雪であった。

 外を見れば数分前とは一転して土砂降りになっている。今日一日中曇りって言ってたし傘用意していなかったことがその言葉から理解できる。

 …………仕方ないな。


「おかえり雪。 随分濡れたなぁ。タオルか?」

「ただいま……って、おにぃなんでリビングから出てきたの!?風邪は!?」

「今は平気だから。ほら、これで拭いてお風呂行って来い」

「ありがと……」


 さっきまで居た場所、リビングから廊下に出るとなかなかに濡れてしまっている雪が玄関に立っていた。

 彼女の姿はまさしく濡れ鼠。ちょうど脱ごうとしていたカーディガンはかなり水を吸っており、その下の制服は張り付いて下着まで見える始末。こりゃお風呂直行コースだな。

 湯船はないがシャワーだけでもだいぶ変わるだろう。熱々のシャワー浴びてこい。


 俺の脇を通り抜けて洗面所に向かう雪。そのまま扉を閉めようとしたところでこちらに顔を出して…………


「それじゃあお風呂入るけど……おにぃ、覗かないでよね」

「ばぁか。誰が覗くか。 早く入ってこい」

「ぶぅ。こんなに可愛い妹が可愛らしく言ってるんだからちょっとはうろたえてもいいのに~」


 なにやら変なことを言って扉を閉める雪をシッシと追い払う。


 何いってんだアイツは。

 たしかに雪は贔屓目抜きでも可愛いが妹は妹。たとえ下着姿で彷徨かれようが馬鹿なことやってんな程度の感想しか持たない。

 でももし……もしさっきのが名取さんだったらもう無理だな。俺が死ぬ。


 そんな事を考えながらリビングに戻った俺はポットのお湯を沸かしてさっきまでいたソファーに倒れ込む。

 横になりながら顔を上げれば先程の光景、天地が逆さまになった外が視界に入る。

 雨は……止みそうにないな。随分と俺の心を写しているじゃないか。



 俺の心……名取さんと水瀬さん。

 今日来た2人。風邪を引いた俺に2人ともずいぶんとよくしてくれたが、最後の最後に水瀬さんが爆弾を落としていった。

 俺の脳内はそのことで頭いっぱいになる。どうすれば……どうしたら……。まだ習っていない問題を出された以上の迷いを与えられて、ひたすらソファーの上で苦悩する。




「おにぃ、起きてる~?」

「んぁ……?あれ、雪? 早くないか?」


 あぁでもないこうでもない。

 結論の出ない、考えの纏まらない考えをひたすら繰り返していると、いつの間にかソファーの前で立っている雪に気がついた。

 その姿はさっきまでの制服ではなくTシャツに短パンとラフすぎる格好。お風呂出るの早くないか?まだ2~3分しか経ってないだろ?


「そぉ?これでもゆっくり20分くらい入ってたんだけど」

「あれ……?20分も?」


 どうやら時間の間隔がおかしいのは俺のほうだった。

 雪が帰ってきたのは覚えてる。3時を少し過ぎたとこ。今は3時20分過ぎだ。

 きっと考え事して時が過ぎ去ったのだろう。雪がお風呂から上がったのを受けて立ち上がった俺はキッチンにて2つのカップを取り出す。


「なぁにそれ?」

「ココアだ。シャワーだけじゃ風邪引くかもしれないだろ?」

「えっ!?いいよ別に! てかなんでおにぃが動いてるの!?現在進行系で病人じゃん!!」

「俺が動きたいからいいの。……そのほうが考えも紛れるし」


 実際、寝転んでボーっとしてても思考がループするだけだ。なら何かしら動いたほうが有意義ってものだろう。

 リビングに降りてきたのもその為だ。まぁ、上だと色々思い出すからってのも大きいけれど。

 ポットからお湯を出して粉のココアを溶かしていき、ある程度溶けたところで雪に手渡す。けれど雪は戸惑っているのか受け取ったものの俺をジーッと見つめていた。


「……なんかおにぃ、気持ち悪い。こんなに親切なこと今までなかったのに」

「きもっ……。まぁ、何だっていいだろ。俺だってたまにはするさ」


 ……シンプルな罵倒が一番心に効くな。

 右ストレートで飛んできた拳をまともに喰らいつつも向かい合うように椅子へ腰を下ろした。


「それで……なにかあったの? 若葉さんがいないみたいだけど、もしかして喧嘩しちゃったとか?」

「喧嘩……喧嘩と言うか……うぅん…………」


 滅多にしない行動をする姿を見てなにかあったと感じ取ったのだろう。

 ホットのココアを堪能しつつ雪が問いかけるのはまさしく核心を突く本題。

 喧嘩というわけでは一切ない。でも、これは言っても言いべきか、誤魔化すべきか……。


「なんていうか……告白、された」


 迷った末に出した結論は全てを包み隠さず話すことだった。

 幼い頃から最も長い時を共に過ごした妹。なんだかんだいいつつ最も信頼してるのは結局雪かも知れない。

 だから誤魔化しなんてできないし、どうせ無駄だと思ったからだ。


「そっかぁ。おにぃが告白かぁ。…………へっ?今、なんて?」

「告白された」

「えっと…………誰に?」

「………水瀬さん」


 開いた口が塞がらないとはまさしくこの事を指すのだろう。

 ココアを飲んでいた彼女が俺の言葉を耳にした途端、口元から茶色い筋が1つ垂れていく。


 口元から顎へ。顎の切っ先から服へ落ち………ようとしたところで、ようやく我に返った雪が慌てたように拭って見せる。


「おにぃが!?ミナワンに!? なんで!?」

「俺が聞きたい……」


 耳が……!耳がキーンて!

 それほどまでに驚いて見せた雪の鼻息は一気に荒くなり、混乱の真っ只中だ。


「信じられない…………。 ってか学校の人はどうなるの!?好きなんでしょ!?」

「…………うん」


 そう。まさしく雪が今、俺の悩みを代弁してくれた。

 水瀬さんに告白された。けれど俺には好きな人がいる。それが今までずっと頭を悩ませていた事項なのだ。


 確かに名取さんが好きならそれを突き通せばいいという考えもある。けれど心はそんな単純ではない。

 水瀬さん……アスルは1年毎日遊んだ相棒でもある。アイツがゲームを変えるなら俺もついていってもいい、そう思えるくらいの相棒……親友と言っていいかもしれない。

 そしてアスルの正体が水瀬さんなのだ。ここ数日リアルで遊んだが、リアルでも変わらず心を許せる人だというのは直感的に理解できた。

 そんな彼女が告白してきて……俺はどうすれば……。



「……はぁ。色々言いたいこととか信じられないとか置いといて、どうするの?」

「どうしよう……」

「どうしようって、自分のことでしょ?自分で考えなよ?」

「雪ならどうする?」

「あたしなら?そんな答えがわかりきったこと聞く意味ある?」

「…………」


 なに当たり前のこと聞いてるの?そう言いたげな小1の問題を前にした雪の顔に、俺は黙って閉口する。

 雪は水瀬さんのファンだもんな。そりゃあ聞く意味なんてないか。


「今は風邪引いてるんでしょ。幻聴だったかもしれないし、とりあえず寝ちゃえば?」

「……寝れない」

「子供か。 でも、それだったらぁ……あっ!あたしが隣で寄り添って子守唄歌ってあげようか!?」

「なんだか急に眠くなってきた。今なら寝れそう」

「ちょっと~?」


 突然思いついたように発信してくるまさかの提案に、俺はココアを一気飲みして席を立つ。

 誰が妹に添い寝アンド子守唄を所望してると言った。そんなのこちらからお断りだっての。


 飲み干したカップをシンクに入れ、本当にリビングから出ようとしたところで背後から「おにぃ」と声がかかった。


「ホントに寝るの?おにぃ」

「うん。何だか雪に言ったらスッキリしたから」


 若干ホント。

 まだ全然足りないが、あまり言っても困惑させるだけだろう。

 それにいちばん大事なとこを言えたお陰で俺の心は多少なりとも軽くなっていた。


「そっか。 じゃあおにぃ」

「どうした?」

「あたしの意見なんかどうでもいいから。おにぃの心を大事にしなよ」

「……あぁ」

「もちろん2人ともなんて答えはやめてね。さすがにおにぃの生首なんか見たくないから」

「ばかいえ。そんなことするかっての」


 俺の生首って、首チョンパコースじゃないか。

 2人選んだ結末がそんな考えに至るのは雪だけだよ。


 少し足取りの軽くなった俺はそのまま自室に上がってベッドへと潜る。

 今日の昼寝は風邪のお陰か心労のお陰か、ぐっすり眠ることができたのであった。

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