028.不意打ち


「えぇ!?家に!?」


 ――――廊下からの彼女の驚きの声は、部屋にいる俺たちのもとまで鮮明に届いてきた。


「……はい。……はい。わかりました。45分ほどかかりますが急いでそちらへ……。 はい。どこか近場で時間つぶしを……」


 その叫び声は一瞬の出来事で俺と彼女は同時に廊下へ視線を向けたがそれ以降は彼女も抑えたようで、僅かながら程度の話し声が聞こえてくる。

 それでも廊下からの話し声。叫びの前と後で随分と焦りようが伝わってきて声量も幾分か上がっている。少なくとも断片が聞こえるくらいには。



 俺が水瀬さんから延々と差し出される食事を終えてからしばらく。彼女たちは甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれた。

 名取さんは食事に使ったお皿や鍋などの洗い物を、水瀬さんは俺が楽なうちに今日の進行分であろう授業の簡単な解説をしてくれた。

 風邪を引いて様々な発見のある数時間だった。名取さんは想像以上に料理が上手いし、水瀬さんは驚くほど勉強ができた。仕事にかかりきりで現在長い長い夏休みの真っ最中という水瀬さん。アイドル業で毎日忙しかったはずの彼女が勉強できるなんて驚きを通り越してもはや恐怖だ。一体いつ勉強したのだろう。


 風邪も軽くなって穏やかな午後を迎えていたものの、唐突に鳴り響くは名取さんのスマホ。どうやらご家族から電話だった。

 そうして俺の部屋から出て廊下で電話に出ていた最中にさっきの驚きの声が聞こえてきたというわけである。

 ご家族になにかあったのだろうか……。互いに見合わせた俺たちは少し不安な気持ちに駆られながら彼女がも戻ってくるのを待つ。



「すみません芦刈君、若葉さん。すぐに家へと帰らなければならない用事ができてしまいました」

「家に? なんだか大声出してたけど何かあったの?」

「はい……。どうやら妹が早くに学校が終わったみたいなのですが、どうも鍵を忘れて出ていってしまったようで……」

「あちゃぁ。やっちゃったねぇ」

「はい。やっちゃいました」


 頭を抱える水瀬さんに名取さんは苦笑しながらそう答える。

 妹さん、鍵忘れちゃったかぁ。そりゃ大変だ。ウチも雪が稀にそういう事するけど大体そういう時は俺が帰るまでカラオケ行ったりして時間つぶしてると聞いたことがある。

 今日は彼女も善意で来てくれたんだ。家族の用事とあっちゃあ断る選択肢なんてありはしない。


「なのですみません。私はここで失礼します」

「うん、わかった。それじゃあ下まで見送りに――――」

「陽紀君はダメ。病人なんだから部屋でじっとしてて」

「…………はい」


 せっかく家まで来てくれたお客さんを見送ろうとベッドから出かけたところで、水瀬さんに怒られてしまった。

 ベッドから降りようとした俺が水瀬さんに押し倒される姿を見て軽く笑った彼女はそのまま「じゃあ」と告げて部屋を出ていってしまう。

 まぁ、病人だもんな。俺でも2人のどちらかが風邪引いて見送るとか言われたら全力で止めるだろうし、仕方ない。


「……よし、私もちょっとお見送りに行ってくるね」

「うん。行ってらっしゃい」

「陽紀君はベッドで大人しくすること!いいね!?」

「はい」


 名取さんが出ていった後荷物の整理をしていた水瀬さんだったが、続いて後を追うように彼女も部屋を出ていってしまう。

 取り残されるのは俺一人。静かになった部屋にてベッドに全体重を預けていく。




「……夢みたいだったな」


 誰もいなくなった部屋にて一人呟く。


 本当に夢みたいだった。

 これまでの人生、風邪を引いたことで見舞いに来てくれる人なんて誰一人いなかった。

 助けてくれる人と言えば親や雪だけ。休日まで遊ぶほど学校の友人と仲良くない俺にとっては信じられない体験だった。

 しかもその相手が想いを寄せている名取さんと、アイドルである水瀬さんの2人とは。


 症状が軽くなったのもあって雑談ていどだが多くの時を共に過ごすことができた。そしてなにより手料理も食べられたし、お見舞いにきてくれるという心遣いが一番嬉しかった。

 こんなによくしてくれるのなら、不謹慎だけれど風邪を引いたのも悪くないように思える。




「ただいま~。無事名取さんを見送ってきたよ!」


 ベッドへ横になりながらボーっと天井を見上げていると、そんな声とともに水瀬さんが戻ってくる。どうやら見送りは終了したようだ。

 しかし見送りにしては少し早すぎやしないだろうか……。そう思ってちらりと時計を見れば、2人が出ていってから10分も経過していた。いかん、軽く寝てしまっていたのかもしれない。


「おかえり水瀬さん。名取さん大丈夫そうだった?」

「うん!妹さんも平気ってらしいし、なにより陽紀君にお礼言ってたよ」

「お礼?」

「『美味しいって言ってくれてありがとね。』だって!」


 名取さん……!

 急いで帰らなきゃならないというのに俺のことも気を配ってお礼まで……!優しさの塊か!


「そっか……お礼か……そっか……」


 彼女自身急がなければならない状況なのに最後まで俺のことを案じてくれて顔がニマニマしてしまう。

 やっぱり名取さんは優しい……。また惚れ直したかもしれない。

 優しくて料理上手で俺の話もよく聞いてくれ、なにより一緒にいると落ち着く。なにこれ、完璧じゃないですか。


「陽紀君?」

「あぁ、いや。ちょっと眠さでボーッとしてただけ」


 名取さんの感動に打ち震えていたが、水瀬さんの様子を伺う声によって現実に引き戻された。

 俺の説明に「ふぅん」と納得する素振りを見せた彼女は続いてどこか気になったのか辺りを見渡して「ほぅ」と感心したような息を吐く。


「………。へー、ここが陽紀君の部屋なんだぁ」

「……? さっきまで部屋にいたから見たでしょ?」

「そうだけど、改めて見るとまた違った発見があるの! あっパソコン!これでいっつもゲームしてるの!?」

「あ、あぁ」

「そうなんだぁ。 へぇ~。男の子の部屋ってこんな感じなんだねぇ。あんまり可愛いものがない!」


 あってたまるか。

 突然俺の部屋を見渡してその一つ一つに感想を告げていく水瀬さん。

 可愛いものなんて必要ないでしょうに。でもゲームのキャラクターグッズは欲しいかも。ネスキーっていうピンク色のネッシーとか。


「汚い部屋で悪かったな。まさか2人も来るなんて思わなかったんだよ」


 そんな明るく振る舞う彼女に俺はぶっきら棒にこたえる。

 妹以外の女の子が入ったのなんて初めてだ。知っていたらある程度は片付けもしたものを。

 2人が来るなんて聞いてない。そもそも風邪引くなんて聞いてない。


「綺麗だよ~。むしろ私のほうが汚いくらい!まだまだダンボールだらけでさぁ」

「まだおわってないのか?」

「うん!だから今度片すの手伝ってよ!」


 まぁそのくらいなら……。

 ――ってまてまて。片付けに参加するということは彼女の部屋に入るということだ。

 それでいいのか?いくら住所を教えてもらったとはいえそれで部屋にはいるのはまた別問題だろう。


「まぁ……機会があったらな」

「うん!」


 そんな機会あるかは知らないが。

 その時が来たら手伝わせてもらおう。もちろん俺1人じゃ誤解を招くから雪も連れて。


 そこで話が一段落したのか、しばらくしんとした空気が辺りを包む。

 2人とも話すことがなくなり、どちらとも彼方を向いている。窓の外は今も変わらぬ曇り空。そろそろ午後の授業が始まる頃だろうか。午後は……体育。きっとサッカーやらソフトボールだかになるだろう。


「……陽紀君はさ」

「うん?」

「陽紀君はさ、あの子のことが好きなんだよね?」

「…………あぁ」


 彼女の問いに誤魔化すことなく答える。

 あの子のことが好き。それは間違いなく名取さんのこと。

 俺の想い人についてはもう雪によってバラされ済みだ。下手に言い訳するのも意味は無いだろう。


 そして水瀬さんはこの事を聞いた時平然としていた。リアルとゲームの区別がキチンとついているからだ。だから俺も安心して首肯することができる。


「そっか……。応援するね!」

「あぁ、ありがとう」

「うん!だから当たって砕けろ……!って、砕けちゃダメだね。頑張って!!」


 元気いっぱいグッと握りこぶしを作ってみせた彼女は椅子に座りながらまんまるの目をこちらに向けて励ましてくれる。

 まったく、アイドルからの直々の応援なんて、本当に頑張るしかないじゃないか。


「もちろん。ありがとな。 でもどうやって思いを告げたらいいんだか……。なぁ、何かいい方法とかないか?」


 俺は相棒に最もいい告白方法を問いかける。

 同じ女の子だ。俺がああだこうだ考えるより、遥かにいい回答を持っていることだろう。

 名取さんは帰ったからもう話を聞かれるなんてことすら心配せずに聞くことができる。そう安心した俺は身体を持ち上げつつベッドのフレームに身体を預けて――――


「――――なんて、言うと思った?」

「へっ…………?」


 ニヤリと一瞬だけ輝く瞳の奥に、俺は呆けた声を出す。


 ――――彼女は俺の油断の縁をついた行動だった。

 フッと影が落ちる世界。陽の光が届く部屋から一転して暗闇に覆われる世界。

 その正体が彼女の影だと気づくのは全てが終わってからだった。


 食事前目覚めた時に香った時と同じ、花の甘い香り。

 それがいっぱいに占めたと思いきや、頬に何かが触れる感触に気がついた。

 柔らかくて安心感をも覚える感触。暗闇のせいで他の五感が強くなったことで余計に感じるそれは、何が起こったのか理解できずただただ混乱を引き起こした。


「へへっ……。またやっちゃった」

「水瀬……さん?」


 スッと世界に光が戻った時に見えたのは彼女の頬を紅く染めた顔。

 口元に手をやって上目遣いで俺を見つめる。


 俺が彼女の行動の意味に気づくのはようやくだった。

 まさかありえない。でもそれ以外には……。と何度も思考をループさせてようやく1つの答えにたどり着く。


「水瀬さん……もしかして……!」

「えへへっ! 私のほうが陽紀君のことが好きなんだから! 名取さんにはあげないよ!」


 がたっと大きな音を鳴らして椅子から立ち上がりつつ逃げるように部屋から出ていく彼女。


「それじゃあね!」


 見えぬ廊下の奥からそんな声の後にバタバタと階段の降りる音がする。

 水瀬さんが俺の頬にキスを………。そう理解する頃には、もう彼女は家から出ていってしまっていた。

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