027.蚊帳の外
シンプルな材料にシンプルな工程。
お粥とは、簡単そうに見えて案外難しいものだ。
ただ作るだけなら多くの人ができるようになるだろう。けれどそれを食べる機会があるとすれば風邪を引いた日。
風邪を引いた者に『美味しい』と心から言ってもらうのはなかなか難しいものがある。
シンプルが故にごまかせない塩梅。
特に塩加減ときたら人それぞれ好みがあり、風邪を引けば舌の感覚も変わることもあってピンポイントの味にするのは一夕一朝では厳しいだろう。
更に玉子や梅、鮭や玄米などアレンジをするならばまさに星の数ほどとなる。シンプルが故に奥が深いのだ。お粥というものは。
そして今まさに、件のお粥が俺の目の前にあった。
真っ白とはいかず、黄色も混ざった玉子粥。湯気とともにほんのりと漂ってくる鰹と香りが風邪の身ながら空っぽの胃が程よく刺激される。
「いただきます」
そんな香り立つお粥を膝に置いた俺は、2人の少女の目がある中恐る恐る掬ったそれを口へと持っていく。
突き刺さる視線は感想を待っているようで真剣そのもの。若干緊張さえ感じ取れる空気の中、率直な味の感想を告げていく。
「…………美味しい」
「……! よかった、です」
何の捻りもないつまらない答え。
けれど目の前の彼女にとってはその答えで間違いなかったようだ。
薄くもなく濃くもない、ちょうどいい塩加減のお粥は俺の好みと合致していた。梅や鮭などより玉子。これも好みの種類でまさしく味の好みを知り尽くしている母さんが作ってくれたかと思うくらいの出来栄えだった。
彼女のホッとするような返事とともに緊張をまとっていた空気が一気に弛緩する。
「うん、美味しいよこれ! 名取さんがつくったの?」
「はい。最初はどんな味付けにしようか悩んでいたのですが、その時ちょうど若葉さんが来てくださいまして」
「陽紀君は卵料理が好きだからね~。それで名取さんに教えてたの!私は名取さんよりちょっとだけ料理苦手だからさっ!」
「はい。若葉さんには随分とお世話になりました」
どうやら水瀬さんは料理の腕前に自身がないようだ。
そして、俺が寝ている間に随分と仲良くなったことも伺える。
名取さんは俺がベッド縁に座っている正面の椅子に、そして水瀬さんは俺の隣でともにベッドに腰掛けていた。
2人ともニコニコと微笑み合っちゃってまぁ、俺としては心配事が杞憂みたいでとても助かった。
……あれ?名取さんってもしかして水瀬さんの正体には気づいているのだろうか。今の彼女は変装する気配も見せずに素顔なんだけど。
「そういえば芦刈君、若葉さんのことなのですが―――」
「っ………!!」
唐突に告げられる言葉に思わず心臓がドキリと跳ねる。
まるで心を読んだかのようなタイミング。これはマズイ。彼女がアイドルの水瀬若葉ということがバレたか……!?
もしバレたとしたら親戚なのかどうかすら疑われてしまうかもしれない。聞き上手な彼女のことだ。そうしたら俺はごまかすことさえできずに自白してしまう可能性が濃厚となる。
血縁関係もないのに学校を休んで女の子を家に連れ込んでるとか思われたら……。好きな人に幻滅されてしまう……!!
「えっと、その……みな―――若葉さんはね……!」
危うく水瀬さんと呼びそうになったところを慌てて下の名前に切り替える。
名取さんが水瀬さんのことをあのアイドルだとわかっているかわからない。せめて名字と名前のセットで紐づかないようにとささやかな誤魔化し。
水瀬さん本人には後で謝ろう……!
しかしそれ以降なんて説明すればいいか出て来ない。
なんて言う?そっくりさんとでも言うか?そんなの余計怪しまれるだけだろう。
ならば水瀬さんが勝手にきたとでも?それは看病しに来てくれた彼女に不義理すぎる。
「――――とっても優しいご親戚さんですね!」
「……へ?」
そんな結論の出ない思考をグルグルグルグルと回転させて言い淀んでいる時に出た言葉は、思わず聞き返してしまうものだった。
両手をあわせて笑いかける彼女はとても可愛い……ゴホン、とても水瀬さんに疑いや嫌悪などマイナスの感情など持っているとは思えないものである。
「今回のお粥、若葉さんも材料買ってきてくださってたんですよ。私も買ってきていたので足りない物を補う形となりましたが、芦刈君思いのいいご親戚さんですね」
「あ、あぁ……ありがとう」
予想とは180度違った回答に思わず困惑してしまったが、どうやら彼女はアイドルの水瀬若葉について知らないか気づいていないようだ。
苦笑いのままどうにかこのまま切り抜けられるとホッとしたところで、今度は名取さん自身がズイッと椅子ごとこちらに詰め寄ってきて思わず息を飲んでしまう。
けれど彼女が視線を向けるのは俺ではなく膝上に置かれているお粥の器。まだ多量に残っているそれを髪をかき分けながら覗き込む。
「それで見てください。若葉さんから芦刈君の好きなものも知ることができたのでちょっと張り切って鰹節から出汁をとって作ってみたのです。普段は私もパックからだったので少し不安でしたが、自分でも驚くほど上手くできたんですよ!」
名取さんは料理に並々ならぬ思いがあるようだ。
その合作らしいお粥を指した彼女はなかなか見ないテンションで今回の出来栄えを事細かに教えてくれる。
もしかして料理が好きなのかな?
好きな人の新たな一面を知れたことを嬉しく思いつつ、俺もそんな彼女に言葉を選んでいく。
「そうだったの? だからこんなに美味しいんだね」
「はいっ!私も言い回りたいくらい上手くできました。 そしてなにより、芦刈くんのお口にあったのが嬉しくって……」
「名取さん……」
嬉しい。それは……どういう意味だろう。
学校を抜け出してまで来てくれた彼女。その上腕によりをかけて出汁から手料理まで作ってくれた。
その上さっきの言葉……これはもしかして、俺の勘違いでなければ彼女はまさか、俺のことを――――
「芦刈君、こんな時に悪いのですが……私は……その――――」
「――――ほらほら陽紀君!どうしたのボーっとしちゃって!」
「「!!」」
一時だけ目を伏せた彼女。しかしもう一度顔を上げた時は意思が籠もっていた。
何かを決めたような瞳。眼鏡の奥から見えるそれにゴクリと固唾を呑んで次の言葉を待ったその時、突如耳元からそんな声が聞こえた。
発信源など考えるまでもない。水瀬さんだ。
すぐ隣にいた事などとうに思考の隅へと追いやっていた俺と名取さんは同時に驚いたように肩を震わせて彼女を見る。
視線の先にいる水瀬さんはいつのまにか俺のスプーンを持つ手に手を重ねていて、まっすぐこちらをジッと見つめていた。
「風邪で食べるのしんどくなっちゃった? なら私が食べさせてあげるね。ほら、口開けて!あ~……」
「ちょっと水瀬さっ……そんないきなり――――ムグッ!!」
もはや彼女を下の名前で呼ぶ余裕すら無くなってしまった俺はその華麗な手さばきの上にはても足も出ず、あっという間にスプーンを奪い去られてしまった。
そのまま一口分のお粥を掬った彼女は詰め寄るように口元へスプーンを持っていきパクリ。見事俺の口内へとホールインワンだ。
「えへへ。どう?美味しい?」
「ほ……ほいひいけど……あふい……」
「あ、ごめんね陽紀君! はい、お水!」
「ありがふぉ……」
だいぶ行儀の悪い話し方だったが意味は伝わったようだ。
熱いという俺の要望に応えた水瀬さんはお水を手渡してくれる。 はぁ、びっくりした。
「あの若葉ちゃん――――」
「その調子なら大丈夫だね! ほら陽紀君、次いくよ!」
「え、次も!?」
「もっちろん! まだまだこんなにあるんだから!!全部なくなるまで行くよ~!」
肩をピッタリと触れさせて密着具合が半端ない彼女。
俺の静止をも受け取らないその猛攻はまさに猪突猛進。結局いっぱいあったお粥が空になるまでスプーンは返してもらえずにずっと水瀬さんに食べさせてもらいっぱなしになるのであった。
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