025.ダブルブッキング
大変なことが発生した。
緊急事態。エマージェンシー。
けれど俺の中では全てが同時に鳴っているような、脳内のパトランプがクルクル回って赤いライトが尽きることなく延々と光り輝いていた。
この衝撃は……そう。アスルが家にやってきて結婚報告をした時のような。
それに勝るとも劣らないほど心臓が高く飛び跳ねていた。
「なにか……お菓子やジュースでも飲む?」
「いえ、構いません。 むしろ病人なのですから下手に動かないでください」
「はい…………」
開幕速攻怒られた。
それはまさにアフリマンの開幕で強制的にHP1にされた後、回復が足りずやられてしまったときのような速攻さ。
いやまぁ、こればっかりは単純に俺のミスだ。多少楽になったとはいえ病人なのだから大人しくしてろというのは当然だろう。
しかしそれでも、それでもなにかしていないと妙な感覚でソワソワとしてしまうのだ。
なんていったって俺の密かな想い人、名取さんが部屋へとやって来ているのだから―――――
今日は週の始まり、月曜日。普通の平日で学校の始まる日だ。
けれど学校行く日に限って風邪でぶっ倒れてしまうのが俺。雪も学校で母さんも仕事、さぁどうしようと思っていたそんな時にやって来たのが水瀬さんだった。
どんな手段を使ったのか、母さんの差し金でやって来た彼女。そしてそんな彼女さえも用事で外出してるさなか、入れ替わるように名取さんがやってくる。
想い人が突然家にやって来たことに俺の心臓はバックバクだ。
デートどころか一緒に帰ったこともない俺たち。そんな両者の家に上がった経験なんてあるわけもなかろう。
そんなものデートの最後、全ての終わりに到達するような段階だ。それなのに、まだ階段の1段目すら昇っていないのに彼女が俺の部屋にいる。これは一体どういうことだ。
階段幾つ飛ばした。何のチート使った。などと混乱しかけるが今一度冷静に考える。
……いいや、これはただの看病だ。彼女にそういう意識なんて一つもありはしない。
そもそもたかが看病。俺の脳内で鳴っているパトランプなんて何の意味もなさないのは明白だというのに。……なんだか悲しくなってきた。
「お加減は……いかがですか?」
「えっ……?」
自問自答して勝手に喜んで勝手に絶望して……脳内がてんやわんやであっちゃこっちゃ思考が吹っ飛んでいると、椅子に座っている名取さんが問いかけてきた。
「朝、本を返しに図書室に行ったら先生に教えてもらいました。芦刈君が珍しく風邪で大変だと」
「先生が……。そんなことでわざわざ学校抜け出したりしてくれたの?」
「迷惑、でしたか?」
「いや全然! すっごく嬉しい!」
眼鏡の奥から見える瞳が少し不安そうに影を落としたのを見て慌てて否定する。
俺クラスの担任は普段図書室隣の別室に詰めている。
名取さんのように早朝から本を貸し借りする生徒のためだ。
彼女が訪ねたときには母さんから連絡がいっていたのだろう。それで彼女の耳に入りわざわざ看病に来てくれたと。
「良かったです。確かお母様もお仕事をしてらっしゃいましたよね。妹さんも学校がありますし、お昼は誰もいないと思いまして」
「そっか……。ごめんね、ありがとう」
「いえ、家も大体の場所は聞いていたので、無事見つけられたのが僥倖でした。それになにより、無事元気そうで良かったです」
図書委員にて彼女の会話をする際には、ゲームくらいしか取り柄がない俺は話題選びに苦労したものだ。
その中で家族のこととか、家はあの公園の近くとか言ったことを覚えてくれていたのだろう。世の中何が役に立つかわからないものだ。
……けれどここで1つ、重大な懸念事項が存在する。今日の日中は家に俺1人ではないという点だ。
確かに現在は1人だがそれは一時的なこと。あと40分もすれば看病に来てくれた水瀬さんが戻ってくるだろう。
何の根拠もないが鉢合わせは非常にマズイ気がする。
「ねぇ、名取さ――――」
「あ、そうでした。このままじゃいけませんね」
「―――えっ?」
それは殆ど同時だった。
俺の言葉は名取さん自ら言った言葉にかき消されてしまったのだろう。
何かを思い出したように立ち上がった彼女は突然足元のビニール袋を漁りだす。それは……近くのスーパーの?
「もうお昼も近くなってきました。芦刈君もこのままでは料理すらままならないと思いまして、色々買ってきたのです。お話してばかりじゃお昼も過ぎてしまいますね」
「お昼……?それって、お昼ごはん?」
「はい、もちろん。パックの白米で恐縮ですがお粥を作って参りますので少々お待ちください。キッチンお借りしますね」
「えっ!?お粥!? それは嬉しい……! 是非お願いしま……じゃなくって!ちょっと待―――――行っちゃった」
その敗因は間違いなく俺が彼女の作るお粥に反応したことだろう。
袋から見えたのはパックのご飯や卵に野菜など。どう見てもこれから手作りするといったもの。
名取さんの手作り料理が食べられるとなると反応しないわけにもいかない。けれどそのお陰で呼び止めるのが遅れ、もう部屋を出ていってしまっていた。
「どうしよう……」
遠くから鼻歌が聞こえてくる。
あそこまで作る気満々の状態である名取さん。今から降りていって止めても非常に悲しまれるだけだろう。
けれどこのままにしていても水瀬さんが帰ってくるだけ。さて、どうするか……
「……ま、なんとかなるか」
どうやってこの場を切り抜けるか。そうして出した結論は……流れに身を任せるといったことだった。
よくよく考えると俺が危惧していることは2人が鉢合わせにして険悪ムードになるということ。けれどその想像には何一つとして根拠がない。
水瀬さんとカラオケに行く時、俺に好きな人がいると言っても対して反応を見せなかったじゃないか。つまりリアルとゲームは分けているということ。なら、俺が心配することなんて起こるはずもない。
むしろそのまま仲良くなる可能性すらある。2人は校門前で挨拶しあってるんだし、よっぽどなことにはなりはしないだろう。
「なんか……そう考えたら……だんだん眠く……」
少し熱でしんどいところに無用な心配が加わったからだろうか。それとも名取さんが来てくれて喜びと同時に安心が生まれたからかもしれない。
ベッドに倒れ込んだ俺は段々とまぶたが重くなって開けるのすらおっくうになってくる。このまま寝ても……きっと名取さんが起こしてくれるだろう。
そう思いながら俺はまぶたを閉じ、フラフラと夢と現実の狭間の道を歩んでいった――――
◇◇◇◇
「さっ、陽紀君寂しい思いしてないかなぁ。ちゃんと寝てくれてるかなぁ~」
ところ変わって駅から陽紀の家への通り道。
いつものように簡単ながら顔を隠した若葉は、最近よく通るようになった道を通って帰っていた。
右手にはA4より少し大きいくらいのビニール袋を持ち、楽しそうに道を歩いている。もう地図がなくても歩けるようになった道。これからもお世話になるであろう景色。
そんな光景を目に収めながら若葉は左手側のもう一つのビニールを見て笑ってみせる。
「陽紀君、喜んでくれるかなぁ?」
そこにあるのはご飯や野菜、卵など麻由加が持ってきたものと殆ど遜色ないものが入っていた。
彼女は自らの用事を済ませると同時にスーパーで買物も行っていた。
その献立はもちろんお粥。お腹を空かせて待っているであろう彼のために作る予定のものだ。
麻由加と違う部分があるとすれば、その中身は陽紀の好みのものが多く含まれていることだろう。どこからか知った陽紀の好物をしっかり記憶した彼女は迷いなくその食材をピックアップしたものだ。
「あっ、もう着いちゃった」
考え事をしながら歩いていけば時は経つのは早いもので、その足はもう陽紀の家へとたどり着いていた。
寝ているのかな、それともスマホいじってるのかな、PCでゲームをしているのかな。
それぞれの姿を頭の中で想像しながら微笑んだ彼女はクッと手にかけた扉に力を込める。
鍵は問題ない。事前に陽紀の母に借りている。
オートロックで閉まっていた鍵を開けてドアノブに手をかけた若葉は、頑張って美味しいお粥を作ってみせようと意気込みながら扉を開け放った―――――
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