024.毎日が夏休み

 今日の空は曇り空。

 晴れてはいないが雨が振っているわけでもない、その中間の微妙な空だ。

 秋の空は変わりやすいと聞くが天気予報を見る限り今日は一日中曇り。けれど雨が降るほどのどんよりさはなく、ただただ明るめの雲がかかっている、そんな様子だ。


 それはまさしく俺の心を写しているよう。

 快晴ほど上機嫌ではないが雨が降るほど落ち込んでもいないニュートラル……いや、若干複雑な気持ちを抱えているのかもしれない。

 それもこれも、今現在足音を鳴らしながら部屋に近づいてきている彼女が起因している。


「陽紀く~ん、起きてる~?」

「……起きてるよ」

「よかった。はいるね~」


 そんな明るい声とともに部屋にやってきたのは友人(?)である水瀬さんだ。


 俺の心を複雑化している原因、水瀬さん。母さんの策略によってやって来た彼女。

 風邪を引いた俺に気を利かせて、あろうことか罪悪感さえも携えて看病に来てくれた。

 そんな彼女は片手がお盆で塞がりながら器用にもう片方の手で扉を開け閉めし、ベッド横の椅子に腰掛ける。


「はい、リクエスト通りリンゴ剥いてきたよっ!」

「あぁ、ありがとう。 悪いな、忙しいだろうに看病させちゃって」

「ううん、全然! むしろ今の私ってお仕事休んでニートだから! 毎日が夏休み状態なんだよね!」


 それはなかなか結構なことで。

 先週末までアイドルとして輝かしい日々を送っていた彼女。

 そんな彼女が今こうして俺の部屋にやって来て甲斐甲斐しく看病をしてくれているというのは、今でさえ夢なのではないかと思うくらいの出来事だった。

 俺は彼女のファンではない。けれどその影響力はテレビや雪を通して十分知っている。だからこそこの状況に嬉しくと思うと同時に彼女の時間を奪ってしまって申し訳ないと思う気持ちが湧いてきて複雑な感情が生まれてしまう。


「それはなんとまぁ……羨ましいな」

「でしょ~!だから看病くらいたいしたことないよ!」


 羨ましいことで。本当に。

 雪が万年夏休みなんて知ったら涙を流して羨ましがるだろう。相手が相手だ。諦めろ。


「……でもごめんね、私が薄着してきちゃったから風邪引いちゃって」

「いや……」


 しかし一転、続いて出てくる言葉は謝罪だった。

 それは風邪を引いた原因に寄る謝罪。確かに俺が風邪を引いたのはその線が濃厚だ。

 けれどそれに関して責める気持ちは全くない。ただでさえ寒暖差が激しい季節で昨日は思った以上に寒かったし、なによりこうして心配してくれているからだ。


「全然気にしてないよ。むしろ2連休で鬱だったのが3連休になってウキウキしてるから」

「そう?なら良いけど……」


 実際早朝は死ぬかと思うくらい怠くて声もガラガラだったのに、今は薬が効いたのか比較的随分楽だ。

 これくらいなら少し無理すればゲームもできそう。絶対止められるからやらないけど。

 ……あれ?もしかして母さん、俺にゲームをやらせない為に水瀬さんを呼んだ説ない?


「とりあえず食べて食べて! リンゴ、キッチンに置いてあったので良かったんだよね?」

「そうそう。ありがと。 …………うん、美味い」

「ホント!? よかったぁ」


 俺が彼女にリクエストしたもの、それは母さんがキッチンにストックしていたリンゴの皮むきだった。

 食欲の秋ということで職場から貰ってきたらしいリンゴ。その1つをお願いしたところ、二つ返事で快諾してくれた。

 料理が苦手という彼女、リンゴの切り口はだいぶ歪で包丁にも慣れていないこともうかがえるが、それでも一生懸命切ってくれた事実だけでリンゴは何倍も美味しく感じられる。


「それにしてもここは温かいねぇ。下で剥いてる時は水もあって手がかじかんでたよ。さむさむ……」

「そうなの?下もエアコンつければよかったのに」

「エアコンなんてとんでもない!電気代も馬鹿にならないんだから短時間くらいなら我慢しないと!」


 おぉ……驚いた。アイドルとして大成した彼女の懐は随分と暖かくなっているはずなのに、まさか通常の金銭感覚を持っているとは。

 よくよく見れば彼女の指先はほんのり赤くなっている。リンゴ切るのも無理させちゃったかな……。


 あ、寒さと言えば上着…………


「そういえば寒さで思い出したけど、俺の上着って今手元にある?」

「上着…………? あっ!ゴメン、ちょっとまって!クリーニングして返すから!!」


 寒さ繋がりで思い出したのが、昨日の事。公園、夜空の下で彼女に掛けた上着の事であった。

 タンクが紙装甲なのは問題だとして渡した上着。

 正直今思い出したらあまりにもキザすぎて恥ずかしくなって顔が真っ赤になってしまうほどの出来事だ。熱で元々顔熱くなってて本当によかった。

 にしてもクリーニング?別にそんな気回さなくたって良いのに。古いやつなんだから。


「随分使ってるやつだし、洗濯機に突っ込むだけだからわざわざそこまでして貰わなくても」

「ううん、待ってて! ちゃんと!綺麗にして!返すから!!」

「お、おぉ…………」


 去年の冬から愛用していた薄手の上着。冬場は制服のシャツとジャケットの間に着て随分活躍したものだ。

 だからそこらにほつれとかも出てるし、安物だから最悪捨てて新しい物を買えばいいやと思っていたけれど、あまりの勢いに俺も圧されてしまう。

 そこまで言うなら任せるけど……


「明日か明後日にはクリーニングも終わるからもうちょっとだけ待っててね! ね!」

「わかった……」


 なんだろう、まずいことでも聞かれてるのかって思うくらい焦りがみられる。

 別に汚したならそれでもいいんだよ。特別思い入れがってわけでもないんだから。



「――――あっ!そうだ! ゴメン陽紀君!ちょっと私、今日中にやらなきゃならないことがあって1時間ほど出なきゃだった!」

「そうなの? 俺は全然大丈夫だよ……?」

「ごめんね!お土産も買ってくるから! チャットは開いてるから何かあったら連絡してね!!」


 突然。

 彼女は勢いよく立ち上がり、大慌てで部屋を出ていってしまう。その後すぐにバタバタと階下から音がして、バタンと玄関さえも閉じてしまう。

 まるで突如として現れた台風のように家から出ていった彼女。本当に時間ギリギリだったのかな?


 シャクリと。棚に置かれたリンゴを1つかじる。美味い。

 ゲームと学校、偶に雪に振り回されてきた日常。彼女が来てからまるで夢かと思うくらい一変した日々。

 まだ4日も経っていないのが嘘のような濃密な日々にベッドの上で一人考える。


 水瀬さんはどうして俺によくしてくれるのだろう。

 結婚したから?でもだからといってリアルでまでこうして面倒見てくれる?

 決して嫌な訳では無い。むしろ嬉しいことばかりだ。偶に冷や汗をかくこともあるが、それはそれで楽しくもある。


 彼女は長い夏休みと言っていた。もしかしたら都会の喧騒から離れてゆっくりしたいだけなのではないだろうか。

 夏休みの子供が田舎でリフレッシュするように。彼女もまた、リフレッシュするのに都合のいい存在がたまたま結婚した俺という事も考えられる。

 まぁ、何にせよ悪い人ではないのだ。雪も随分懐いてるし母さんとも仲がいい。それならば俺が特になにか言う必要もないのかもしれない。


 ピンポーン――――


「あれ?」


 彼女についての俺の思考が、ある程度の着地点を見出したところで、ふとインターホンが家中を鳴らしていた。

 我が家はスマートロック。家を出れば勝手に鍵がかかるオートロック形式だ。

 もしかしたらさっき出ていった水瀬さんが忘れ物をして取りに来たのかもしれない。

 そしてこの家には俺以外だれもいないから……行くしかないか。


「はいはい、今行きますよ~」


 ベッドの上で自身に命令するように呟いてから立ち上がり、部屋を出ていく。

 階段を降り、廊下を通ってたどり着くは我が家の玄関。やっぱり、早朝に比べれば随分足取りも軽やかだ。


「どうした?忘れ物でもした? みな――――」

「あ、しんどいところすみません芦刈君。 お元気……ですか?」

「なっ……、なぁ……!?」


 水瀬さんだと思って軽い気持ちで扉を開ける。

 けれどそこに立っていたのは思いもよらぬ人物だった。


 我が校の制服を着用し、茶髪の髪を指先で軽くつまみながら赤縁の眼鏡越しにこちらを見上げるのは間違いなく俺が心寄せる少女。

 どこかのスーパーで買ってきたのかビニール袋を両手で持っている少女。

 彼女は同じ図書委員である名取さん。まさか彼女が昼前にも関わらず俺の家へとやって来たのだった。

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