023.昨日の今日で
「おにぃ~、入るよ~」
コンコンと手短なノックの後、声をかけた雪は返事を待つこともなく容赦なく扉を開けていく。
入った部屋は兄の部屋。気温を調整し、加湿器などを使って快適な空間と化した部屋。
少し肌寒い廊下から暖かな部屋に入ったことで少しだけ気持ちも弛ませた雪は一瞬だけ辺りを見渡した後、ベッドがこんもりと山になっているのを発見して肩を上下させながら近づいていく。
「おにぃ大丈夫~? ほら、薬と水持ってきたから飲んで」
「あ゛~……すまない。あ゛りがとなぁ」
「いいって。ほら、あたしも時間ないんだからさっさと飲んで」
雪から小さな錠剤と一杯の水を手渡された俺は声を出してみるも、自ら思いもしなかったダミ声が出て思わず喉元を抑えてしまう。
それを一気に飲み込むのを確認した妹は横になっている俺を見下ろしつつハァ……と息を吐く。
「どう?治りそう?」
「はや゛ずぎるって……。てかお前……来るなって……。受験あんだから……風邪……」
薬を持ってきてもらってなんだが、雪が俺の部屋に来るのはまずいのではなかろうか。
もう受験本番まで日がないのに。
「大丈夫!あたし、健康優良児だから! いくらおにぃが風邪で死んでも私はだいじょ~ぶ!」
「…………あ゛ぁ、なんとかは風邪引かないとか、そういう……」
「なにを~! 年中ゲームしっぱなしのおにぃよりは勉強できるんだからぁ!」
ぐぉっ……!耳元は……耳元はやめてくれ……。脳に響く。
ベッド隣に設置した椅子に座りながら突然大声を出されたことに思わず顔をしかめると、雪はすぐさまゴメンと謝りつつすぐにふんぞり返る。
「でもおにぃも悪いんだからね。口を開けばからかってばっかりなんだから」
「あぁ……すまないな……雪」
「……ちょっと、そんな素直なこと言わないでよ。 ホントに大丈夫?おにぃ」
普段なら軽口の応酬。稀に喧嘩に発展するが普段は仲の良いじゃれ合いである諍い。
けれど今日ばかりは普段と違う態度に調子が狂ったのか妹までも素直に心配してくれる。
今日は怒涛のイベントの連続だった週末を超えた月曜日。2連休明けの、最初の学校の日だ。
魔物と名高い月曜日。週末という癒やしが終わり、5連続の学校の始まりという悪魔の日。
そんな日で俺は見事に風邪を引き、こうしてベッドに潰れてしまっていた。
ベッドに潰れる俺とそれを心配してくれる妹。なんとか大丈夫だとなだめていると、奥の方からもう一人の足音が聞こえてきた。
「ちょっと何二人して騒いでるの。風邪辛いんじゃなかったの?」
「母さん……」
そんな俺たちの声を聞いてやって来たのは我が母。
母さんは手にいつものバッグを持ち、仕事へ行く直前に様子を見に来てくれたのだと察する。
「陽紀、熱はどう? そろそろ測り終わったんじゃない?」
「ん……」
「……これはなかなかね。 今日は休みなさい。連絡しておいてあげるから」
「……ん」
母さんの指示で差し込んでいた体温計は見事38度を示していた。完全に高熱である。
それを見た母さんの判断は当然ながら学校のおやすみということ。
期せずしてやって来てしまった3連休目ではあるものの、体調は最悪であった。
頭も痛いし身体も怠い。結局のところ休みであっても悪魔の日には変わりのない今日、俺は一日安静するよう母さんに仰せつかったのである。
「いいなぁ、おにぃ、一日ゆっくりできて」
「アンタは受験あるんだから風邪引かないよう努めなさい。 受験終わったらいくらでもダラダラしていいから」
「はぁ~い。でもそういう日と平日の休みってなんか違うんだよなぁ」
わかる。休校日でダラダラするのと学校休んでダラダラするのってなんか違うよね。
背徳感というかなんというか。とりあえず普段より有意義に感じ取ることができる。
でも雪は受験終われば1ヶ月はダラダラが保証されてるんだからそこで納得してほしい。
「今は我慢なさい。ほら、学校いかないと遅刻するわよ」
「もうそんな時間かぁ……。荷物持ってこなきゃ……」
「陽紀は動けるようになったらでいいから病院いくのよ?」
「うん……楽になったら……」
一足先に部屋を出ていく雪に母さんは俺の近くに寄ってくる。
そっとテーブルに置いてくれるのはお札が2枚ほど。これで病院行けということか。
薬が効いてきたら、もしかしたらね。今のところそんな兆候なんて見られないけど。
「お昼ご飯は……まぁなくたって良いでしょ。お腹空いてないだろうし」
「え゛っ…………」
お昼ナシ!?
まさかの発言に思わず今日一のだみ声が出てしまった。
そんな殺生な……せめて菓子パン一個だけでいいから準備してほしいんだけど……
「……冗談よ。ちゃんと準備してくれるのを準備したから?」
「…………なんて?」
よかった。冗談だったのか。
そう思ってホッとしたけれど、続いて出てきた謎の言葉に思わず聞き返してしまう。
準備してくれのを準備した?日本語がおかしくなったのか?まったく意味がわからないぞ。
「正確には準備してくれる”人”を準備した、ね。 ほら、入っていいわよ~!」
「は~い! 失礼いたします!!」
母さんの呼びかけによって、まるで面接でも来たかのような口調で現れたのは一人の少女だった。
金青の髪と翠の瞳を持つ少女。今日はしっかりと暖かそうな、制服風のクリーム色の上着に同色のロングスカートを着用した、昨晩も見た顔が――――。
「み、水瀬さん!?」
「おはようございます陽紀君! 風邪……大丈夫ですか?」
「そ、そりゃあ……でもどうして…………」
確かにこれまで家に何度か訪れていた彼女。けれども風邪引いた今こんな時に現れるとは思っておらず、怠さも忘れて思わず身体を起こしてしまう。
どうして彼女がこんなところに!?……ってか、片付け全然してないんだけど!?
「それは……今朝陽紀君が風邪引いたと聞いたので!」
「聞いたのでって……どうやって!」
「そんなのお母さんが連絡したに決まってるじゃない。それ以外何があるっていうのよ」
「母さん!?」
何を馬鹿なことを。
そんなニュアンスを持って母さんから告げられた事実に目を丸くすると、母さんはポケットからスマホを取り出して見覚えのあるアプリを開く。
あれは……メッセージのやりとりをする……
「母さん……いつのまに……」
「金曜からよ。それ以来いっつも連絡取ってるんだから。ねー、若葉ちゃん」
「はいっ、お母様!」
「「ね~!!」」
ここ一番でまるで十数年来の姉妹のように息の合ったやり取りを見せた母さんと水瀬さんは、互いに見合って身体を傾ける。
金曜日ってことは水瀬さんが来た当日じゃないか!!
読めたぞ!土曜日にカラオケ行くためにウチへ来たのも連絡してたからこそか!!
どれだけ俺の中枢に深く入り込んでるの水瀬さんは!?
「……ってわけで、看病含めお昼に関しては若葉ちゃんにお願いしてるから。ありがとね、若葉ちゃん」
「いえ、私がやりたいって言ったことですから! おまかせください!」
「そう言ってくれて助かるわぁ。 陽紀、アンタ変な気起こすんじゃないわよ」
「……うす」
もはや諦めに境地に達して雑な返事になってしまう。
変な気ってどんな気だ。
そんな言葉を飲み込んだ俺は素直に首を縦に振る。
これまでリビングまでだった彼女。それが初めて部屋に来たことで、彼女自身も俺を見つつ物珍しいのか辺りをキョロキョロと視線がせわしなく動いている。
「それじゃ、お母さんも行ってくるから。 2人とも、よろしくね」
「…………いってらっしゃい」
俺の小さな小さな送りの挨拶に手を上げてぷらぷらと振りながら出ていった母さんは、その後鉢合わせした雪と階下に降りていったようだ。
2つの足音が遠ざがっていく後に玄関の開閉音が聞こえ、2人の家族が家から出ていってしまう。
そうして家に取り残されたのは俺と水瀬さんのみ。
金土日に続き、まさか水瀬さんと過ごす4日目が、今まさにスタートするのであった。
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