020.会いたい
「灯火ちゃん……どうしてここに……?」
日曜日。社長の呼び出しで訪れた、自らが所属している事務所。
その応接室に通された若葉は、驚きの表情でとある人物と対面していた。
その人物の名は
1年半前に脱退して、その後はずっと芸能活動自体を休止していたはずなのに…………。
「お久しぶりです若葉さん。私が脱退した時ですから、1年半ぶりでしょうか?」
「う、うん……久しぶり……」
若葉の驚きを意に介すことなく会釈した灯火はそのまま座っていた椅子に再び腰を下ろす。
そして灯火に促された若葉も、続けて反対側の椅子へと歩いていく。
「本当に久しぶり……だね。なにしてたの?」
「そうですね、普通に学校行ったり、友達と遊んだり、ゲームしたり色々です」
「そ、そうなんだ…………」
恐る恐る聞くもその簡潔な返事に笑顔が少し引きつってしまう。
はて、彼女とはいつも何を、どうやって話していたのだろうかと若葉は考える。
少なくとも記憶の限りではここまで変な空気にならなかったはずだ。もっとこう、彼女は明るくて自分を慕って暮れていたんじゃないかと記憶の彼方から少しだけ掘り起こす。
……そう。彼女はもっと明るかったはずだ。
なのに今はそっけない態度で一貫している。何か変わるような出来事でもあったのだろうか?それとももしかして、怒ってる?
「――――聞きましたよ」
「えっ?」
「お仕事、休止したみたいですね。それでどこかへ雲隠れしていると」
「う、うん……」
やっぱり知っていたか。
しかし雲隠れ。
どこに行ったかなどはキチンと社長らには伝えている。
けれどそう評したということは、社長はキチンと口を噤んでくれているということだろう。
彼女は休止したとはいえまだ籍自体は事務所に残っているはずだ。教えてくれないのなら自分で話すと、社長に私を呼び出すよう頼んだのだと若葉は理解する。
「単刀直入に聞きます。若葉さん、なんでアイドルを休止したんですか?」
「なんでって、それは…………」
若葉は今一度考える。自らがアイドルを休止した理由を。
「目標達成して、どうしたらいいかわからなくなっちゃったから……」
「……たしかに私が居たときから常々言っていた、5万人のドームを埋めるという目標は達成ましたね。おめでとうございます」
「あ、ありがとう……」
その賞賛もなんだか形式的なものがして、返事にも戸惑いがうまれゆく。
若葉のアイドルとしての目標、それは『5万人のドームをお客さんたちでいっぱいにする』ことだった。しかも数日も。
確かにそれは夏のライブで達成した。一緒に歌う仲間のいなくなった自分ひとりの力で。
そんな目標を成し遂げたからこそ、自らの立ち位置がわからなくなった。これからどうすればいいかわからなくなった。それは紛れもない事実だ。
「――――それだけ、ですか?」
「っ…………!」
灯火の念押しするような確認に、若葉は虚を突かれたように目を見開く。
まるで自分の心情を、誰にも言っていない心を見抜かれたような。そんな気がして。
彼女はどこまで知っているのだろう。どこまで心を見透かしているのだろう。
そんな思考が若葉の中で生まれ、自然と口が重くなってしまう。
「…………」
「…………」
シンとした空気が2人の間を流れる。
まるで2人以外誰もこの世界にいないような、そう思わせるほどの静寂。
音が遠く、灯火の言葉以外は何も聞こえてこない。そんな感覚が若葉の全てを占めていると、ゆっくり灯火の口が開くのに気が付いた。
「若葉さん。私は確かにあなたの元を去りました。でも、あなたのことが嫌いになったわけではありません」
「…………」
「あなたの歌声や笑顔、ライブでの発想力は今でも大好きです。 勝手なお願いですが、若葉さん。今からでも復帰、しませんか?」
全てを見透かす目から一転した、苦悶に満ちたその瞳。
ああ――――。
灯火の苦しそうな表情を見て心のなかで1つ、そんな二文字が駆け巡った。
『ついていけない――――』
そう言われたことは記憶に新しい。遠くの過去でも昨日のように思い出せる。
そして理解した。彼女は単に、自分をアイドルに戻したがっていたのかと。
段々と彼女の言葉から、表情からその真意を明らかにしていっていると、ふと灯火がすぐ近くまで寄っていることに気が付いた。
かしずくように膝を折り、頭を上げて若葉を見る。
「あの時脱退したことは謝ります。休止してからノコノコ現れたことをなじられても受け入れます。目標がないのでしたら一緒に考えます。一人が嫌なのであれば私も支えます。だから……もどってきませんか?」
縋るような視線が若葉を襲う。
途中で道違えてしまった少女。けれども彼女はひたすらに若葉の事を好いてくれていた。
脱退した時は心底悲しかったが、今でもその心は残っていたのだ。
そんな心からの言葉に若葉の心は揺れ動く。
真摯な思い……。あの時ずっと求めていた、彼女からの言葉。
また、灯火が戻ってくれるなら……。また、あの頃のように戻れるなら……。
そんな歓迎の意思を持って首を縦に振ろうとしたところで――――。
――――彼女の心に1つの記憶が呼び起こされる。
『大事な相棒が死にかけなのは嫌だったから………』
「っ…………!」
突然頭の奥がジンとし、何かに殴られたような衝撃を覚えた。
その記憶は若葉の大好きな相棒の言葉。
ぶっきら棒なくせして、流されっぱなしなくせして、ずっと男だと思っていたくせして。
でも優しい、大好きな相棒。大事なアフリマン討伐の時にも死にかけなのが嫌なだけっていう理由で自分のことを回復してくれた。
なんら意味のない無駄なことなのに。でもそれが若葉にとってどうしようもなく嬉しかった。
「――――ごめんね。今はまだ、戻れないや」
若葉は自信を持って答える。その言葉に迷いなどない。
そうだ。彼のもとに帰らなければならない。
「……理由を聞いても?」
「まだ休止を発表して3日だし、私だってもう少し休みたい。なにより――――」
「…………」
「――――今、私にはアイドルとは別の目標を見つけたから」
嘘偽りのない言葉。
あぁ、やっぱり自分は彼のことが好きなんだなと自覚する。
すると少女は一瞬だけ眉間にシワを寄せたかと思いきや顔を伏せ、すぐに立ち上がって若葉を見下ろしてゆく。
「……そうですか。わかりました」
「ごめんね?」
「いえ、予想していたことですので。―――だったら、私の番ですね」
「灯火ちゃんの?」
なにやら不穏な言葉に若葉は思わず聞き返す。
彼女の番とはどういうことだろう。順番。それは何の番なのだろうかと。
「社長には了承を得ました。今度は私がロワゾブルーを引っ張っていく番です」
「ロワゾブルーを……?それは……どういう……?」
その言葉だけだは意味を理解できなかった若葉は思わず聞き返す。
――――もしかしたら聞き返さないことが正解だったかも知れない。
今でさえ迷いが見えるその瞳。もしかしたら灯火がその意味を口に出したことで、意思が固まったのかもしれない。
ここで問いかけずに否定していれば、また違った未来が待っていたのかもしれない。
けれど『かも』なんて意味がない。もう聞いてしまったのだから。
「今度は私が復帰して、若葉さんに今の私の姿を見せつけてあげます。 今度は若葉さんがこの世界へ戻ってきたいと思えるように」
「灯火ちゃん…………」
「言いたかったことはこれで全部です。 それでは若葉さん、失礼します」
若葉へしっかりお辞儀した灯火は、そのまま返事も待たず部屋を後にしてしまう。
取り残されたのは若葉ただ一人。彼女は取り残された部屋にて考える。
灯火と久しぶりに会えたのは素直に嬉しかった。
だが、その後の復帰については若葉も心底驚いた。と、同時に無謀だと思えた。
あの時道別れた2人の少女。若葉は全てをストイックにこなすことであの地位に上り詰めることができた。
ライブも、レッスンも、営業も、ゲームも。全てを本気で手を抜かず、全力を出し切ることで夢を叶えることができたのだ。
それが灯火にできるのだろうか。自分でさえ何度も挫けかけたというのに、彼女は芸能界の荒波に飲み込まれずに済むのだろうか。
もしかしたら潰れ、若葉という存在がトラウマの鍵となり二度と顔を合わせることさえできなくなるかもしれない。
若葉は考える。
自分の行動は正しかったのかと。灯火を見送ってしまって良かったのかと。
もちろんそんな疑問に結論は出ない。ここにいるのは未来のわからないただの人間。正い答えなんて神でしかわからないだろう。
神をも殺す存在でもそれはゲームの話。本当の彼女は神様でも勇者でもないのだから。
「会いたい――――」
けれど同時に、たった1つの望みは生まれた。今はただ……彼に会いたい。それだけの思いが。
「話はおわったのかい?若葉ちゃん」
「社長…………」
灯火だけが出てきたことで話が終わったのだと理解した社長、恵那が顔を見せる。
若葉が顔を上げると恵那は一瞬驚いたような顔を見せるが、すぐに微笑みへと変わる。
「何を話したかは事前に聞いていたよ。2人の社長として、自称親代わりとして、2人の意見を最大限尊重するつもりだ」
「社長、灯火ちゃんをよろしくお願いします」
「……いいのかい?今ならスムーズにアイドルへ戻れるシナリオも用意してるんだよ」
「はい。私にはアイドルではできない、やりたいことを見つけましたから」
その若葉の答えをわかっていたかのように恵那は微笑みを崩さぬままゆっくりと首を縦に振る。
そしてどうしても問わなきゃならないことを、彼女は1つ問いかけた。
「そうか。キミにも新たな目標ができたんだね」
「…………社長」
「なんだい?」
恵那とすれ違って応接室を出た若葉は振り返り笑いかける。
ステージ上で見るアイドルとしての笑顔ではなく、彼女の心からの自然な笑顔。
「私、好きな人ができました」
「あぁ。しっかり後悔しない道を選ぶんだよ」
「……はいっ!!」
若葉はその言葉に背中を押されて事務所飛び出す。
今はただ彼に会いたい。
その心だけが胸の内を全て占めてしまった彼女は実家に帰らない旨を報告するとともに、新幹線のチケットを求め駆け出したのであった
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