019.2人で1人
「ふぅ…………」
少女はコントローラーから手を離し、天を仰いで息を吐く。
そこはなんら特徴が無いことが特徴の、至って平均的な一軒家のとある一部屋。
人より幾つか多い本に囲まれた部屋の一角に、彼女は座っていた。
赤い縁のメガネを外し、グラスを拭きながら正面に鎮座するモニターに目をやる。
画面に表示されているのはゲームのタイトル画面。大きく『Adrift on Earth』と書かれており、さっきまでやっていたゲームの思い出が蘇ってくる。
「楽し……かったな」
一人小さく呟くのは、率直な感想。
普段から勉強と読書を人生の主としていた少女。趣味は読書と言うほど本の虫だった彼女には今日の出来事がかなり新鮮な体験だった。
ゲームといってもリリースされて息の長いゲーム。多人数といってもせいぜい10人かそこらだと少女は思っていたのだ。
けれどいざ実際にやってみると画面に表示されたのはかつてないほどの人数。すれ違った人だけでもざっと100人は超えただろう。
聞くところによるとこれでも初期の街だからごくごく一部というものらしいのだ。少女にとって知らぬ世界すぎて、それだけで心が踊った。
そっと自らが操作していたパソコンを撫でる。
数日前、妹に電話して早速買いに行ったパソコン。この子もこの体験に寄与してくれた。
寄与といえば、今日感謝しているのは更にもう一人――――
「セリアさんか…………」
少女が呟いたのは今日丸一日付き合ってくれた人の名前。
昔からゲームをしているベテランで、初心者の私に色々な事を教えてくれた人。…………そして、妹の想い人。
この1年ずっとゲームに熱中していた妹が好きになったという男の子。少女はその話を聞いた時、顔も名前も知らない人のことをなんで好きになれるのか、危険性はないのかと質問攻めにしたりして心配したものだが、いざこうして関わってみると妹の気持ちがわかるような気もした。
自分のミスにも怒ることなく受け入れて、また新たな試しの機会を与えてくれる優しい人。たった一日で好きになるどうこうではないが、いい人だなという印象は率直に持っていた。
とりあえず、今日は一日中パソコンに向かって疲れた。
そう思いつつうんと伸びをしてお風呂でも入ろうかというところに、コンコンと扉がノックされて少女が部屋に入ってくる。
「お姉ちゃん、いる?まだお風呂入ってない?」
「えぇ。いますよ」
確かめるようにゆっくりと部屋に入ってきたのは少女にとって最愛の妹、那由多。
同じ茶色の髪を持ち、後ろの髪を2つに纏めておさげにした、目も若干上がって活発そうな印象を与える女の子だ。
部屋の主である少女が妹の那由多を一言で表すなら、天才。
毎日毎日、特にこの1年はひたすらゲームをやっていたにも関わらず成績は下がるどころか上がっていく天才少女だ。
年は中3。そろそろ受験だというのに、まるで小学生のテストでも受けるような余裕さを感じている。
「ねぇねぇ、どうだった? Adrift on Earthは」
「すっごく面白かったですよ。 明日もまたやりたいなって思うほどです」
「よかったぁ! お姉ちゃんが突然やりたいって言い出すから不安だったんだよね!私一人じゃ魅力も伝えられないだろうし……」
「そんな事ありませんよ。 那由多に教わってる時もとても楽しかったです」
「ホント!?」
少女の言葉に目を輝かせる那由多は心から嬉しそうだ。
表情豊かな少女。自分とは正反対の性格である那由多に、少女も笑みをこぼす。
「でも、お姉ちゃんの好きな人も喜ぶだろうなぁ。自分のやってるゲームにお姉ちゃんもやってるなんて知ったらさ!」
「あの人には教えないでくださいね。 まだちょっと、ヒミツにしておきたいので……」
「わかってるよぉ! そもそも私はその人の名前すら知らないんだしぃ。ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃん」
いじけるように頬をふくらませる妹に姉は少し苦笑する。
少女がこのゲームを始めた本当の理由。
それは先に始めている同じ委員会の友人と一緒に遊びたかったから。
でもアフリマンを倒したキャラだと那由多に言ったら、彼は超が付くほどのベテランだということを知った。
今すぐに会いに行っても実力差がありすぎて絶対楽しんで貰えないだろう。ならばもう少し……もう少し我慢して、少しでも追いついたその時にと、そう考えていた。
「まだ私が恥ずかしいんです。 でも、それだったら那由多だってセリアさんがいるじゃありませんか。初心者の私にも良くしてくれて、いい方ですね」
「でしょ~!口は少し悪いけど優しいんだ~!」
そして那由多の好きな人。それがセリア。
この一年一緒に同じボスを攻略する中で仲間意識が生まれ、軽口を叩きあうことで次第に惹かれていった人物だ。
今日も突然のお願いだったにも関わらず夜遅くまで快く受け入れてくれた。そんな優しさを那由多は自分のことのように誇らしげに思う。
「でも………」
しかしすぐに引っかかることがあったようで那由多の笑みはどんどん暗いものに変わっていく。
「……でも、セリア、結婚してた……。アフリマン倒したら告白しようと計画してたのに……」
「あっ……!ごめんなさい思い出させちゃって!」
那由多の計画。それは2人で一緒にボスを倒せたら告白し、結婚しようというものだった。
そしてゆくゆくは、本当は女性であることを明かしてリアルでも……と考えていたのだが、まさか最初の段階で計画が頓挫するとは思っておらず、未だ思い出すたびに意気消沈してしまう。
「い、いいの!私がすぐ寝ちゃってモタモタしてたのが悪かったんだから! …………ハァ」
「きょ、今日は2人で一緒にお風呂入っちゃいましょう! お姉ちゃん、那由多の背中流してあげますから!そこで今日の思い出も話しましょ!ね!」
「…………ありがとう。麻由加お姉ちゃん」
分かりやすく落ち込んでみせる那由多に少女は慌てて背中を押して部屋を後にする。
行き先はお風呂だ。一緒にお風呂へ入ったら少しは暗い気も落ちてくれるだろうと考えて。
そんな姿はまさしく親友そのもの。仲のいい姉妹は、お風呂で背中を洗いっこするのであった。
このゲームは数千万の人が登録され、幾万もの人が同時に遊んでいる超大規模オンラインゲーム。
彼女らはセリアの正体など、今はまだ知る由もない―――――
◇◇◇◇◇
「こんにちは~。若葉です~」
時は少し戻って、日曜日の昼間。
金青の髪を持つアイドル、若葉は東京へと足を運んでいた。
たどり着いたのはこれまでずっとお世話になっていた芸能事務所。そこの社長に呼ばれて若葉は事務所の扉を開けてみせた。
「あら~!いらっしゃい若葉ちゃん! 待ってたよ~!」
「こんにちは、おばさん」
そんな若葉を真っ先に出迎えてくれたのは受付のおばさんだった。
血の繋がりはない。けれどこの世界に入りたての頃から良くしてくれた人。まるで親戚のおばさんのような彼女は手を目一杯広げて若葉を抱きしめる。
「色々大変だったわね~。そっちにはマスコミとか来てない?」
「いえ全然。結構穴場なのか軽い変装で大丈夫そうです」
「それは良かったわぁ。 もしバレるようならあのきぐるみを送りつけるところだったわ」
「ありがとうございます。でも……あのきぐるみは逆にもっと目立つような……」
受付のおばさんが目を配ったのは、フロアの隅のダンボールに収められているきぐるみ。
あれは1年半前。少女が売れに売れて一番忙しかった頃、若葉が仕事の一貫で着用したものだ。
未確認生物であるネッシーをデフォルメ化し、二足歩行となったとあるキャラクターのきぐるみ。
正直全く可愛くないぬいぐるみ。水に浮かぶネッシーが陸に、更に二足歩行になったところで不気味なだけだろう。色もピンクだし、首はデロンと折れ曲がるし。
実際一度使って大不評だったから版権元からタダで貰えた。それほどまでに人気がなかったものである。
けれど彼女にとっての意識は違った。それを見て軽く笑みをこぼす。
一度しか使っていないけれど大切なきぐるみ。それは、若葉にとって大事な思い出の――――
「そういえばこっちは大変よぉ。いきなり休止するものだから社長が対応に追われてて」
「あはは……。すみません」
「いいのいいの。これまで散々若葉ちゃんには世話になってるんだから、あの
ふと思い出に浸りそうになったところを、おばさんの言葉によって引き留める。
盛大に行われる社長ディスに苦笑いでそれを受け止める若葉。
きっとここまで言えるのは会社設立メンバーであるこの人くらいだろう。そう思いながら笑みを浮かべていると、ふと奥の扉が開いて目当ての人物が顔を出した。
「なんだなんだ~? 何だか私のことを噂してる気がするぞ~」
「げっ!社長!」
「あ、社長!おはようございます!」
いい笑顔で現れたのはこの会社の社長、
ウェーブがかるくかかった茶色の短髪でスーツが似合う女性。この事務所や他にも諸々やっている社長さんであり、若葉をずっと支えてくれている恩人でもある。
「やぁやぁ若葉ちゃん。急に呼び出しちゃってごめんね」
「いえ。それで今日はどうしたのでしょう?何かやり残していたことでもありましたか?」
「うぅ~ん、そういうのじゃないんだけどね。 ちょっとキミにお客さんが来ちゃってて……」
「お客さん……?」
そう困ったような笑みを浮かべた社長は、さっき出てきた扉を見る。
あそこは確か応接室だったはずだ。誰がいるのだろうと若葉は訝しんだ。
「ま、会ってみればわかるよ」
「はぁ……。行ってきます」
若葉は社長と受付のおばさんに一礼し、奥にある応接室へと向かっていく。
ひと声かけて扉を開けると、そこには一人の人物が背を向けるような形で座っていることに気がついた。
「おまたせして申し訳ございません。若葉です。お呼びしましたとお聞きしましたが……」
「………お待ちしてました。若葉さん」
「!! あ、あなたは……!」
背を向けながら聞こえてくる、聞き覚えのあるその声に若葉はまさかと言葉に詰まる。
そこにいたのは同い年くらいの少女。椅子から立ち上がり、こちらに振り向くことでまさかが確信へと変わっていく。
「
若葉にとって、彼女はよく知る人物であった。
灯火と呼ばれた少女。彼女はかつてロワゾブルーに在籍していて、過去に脱退した人物の一人であった。
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