015.実家宣言


「実家に帰らせて頂きます!!」

「…………はっ?」


 ――――宣言。




 ヘッドホンから聞こえてきた第一声は、そんな呆けてしまうような言葉だった。


 風に寒さが混じった夜。虫たちの合唱が耳を踊らせて楽しませるがその風が身体を震わせて泣く泣く窓を閉めざるをえなくなった夜。

 妹と最近できた友人?とカラオケから帰還した日の夜はいつものようにルーティーンのごとく自室にあるパソコンからゲームへとログインしていた。


 雪を部屋に放り投げ、俺はシレッとご飯とお風呂を堪能。その後ようやく起きてきた妹とすれ違いながらパタンと閉めた自室の扉。

 手元には口寂しさを補うためにリビングから持ってきたお菓子と、少し大きめのダンプラーが控えている。

 ダンプラーから流れ込む湯気の立つコーヒーで湯冷めしかけた身体を温めながら、ゲームにログインしつつボイスチャットをも立ち上げた。

 慣れたようにフレンドリストを見れば『アスル』の名が先頭に踊りだしていることを確認する。どうやら彼女(彼)もログインしているようで、使い慣れたマウスを動かしてアスルの控えるルームへと入室した。


 ここ1年欠かすことのなかったアスルとの会話。最近関係性が大きく変化したのだが、それでもこのルーティーンは変わっていない。



 もはや言い慣れたし聞き慣れた夜の挨拶をしたところで――――開口一番彼女の口からそんな言葉が飛び出した。



 実家に帰る。


 その意味はよく知っている。母さんが見ているドラマなどでよく出る、夫婦が喧嘩した時に出る常套句だ。

 頭を冷やすためだのもう一緒にいたくないだの色々な理由はあるが、それは全て夫婦間の会話である。


 しかし突然そんな事を口走ったのはアスルだ。

 俺たちはまだ未成年で夫婦関係どころか恋愛関係にも至っていない……が、ゲーム内では結婚してるんだっけ。ややこしいな。

 とにかくアスルが突然わけわからないことを言い出し、思わず俺もつい聞き返す結果となってしまった。


 俺はその言葉の意味を理解するのに時間がかかり、彼女はそれ以上何も言葉を発さない。

 ボイスチャット空間の静寂の時。しばらく無言時間が続いただろうか。そんな中、プッっと耳奥から吹き出すような音が鼓膜を震わせる。


「――――なぁんて、驚いたぁ? 冗談だよセリア!ビックリした?」

「お、おぉ……。ビックリした……と言うか、唖然とした」


 どうやら先程の宣言は冗談だったようだ。向こうから笑うような声が聞こえてくる。

 ホント、唖然として口が閉まらなかったよ。

 何故開口一番そんな言葉が出てきたとか、色々と衝撃的で。


「唖然かぁ。予想してた反応とは違うけど、まぁいっか。 大丈夫だよセリア!愛想尽きたわけじゃないから!」

「お、おぉ……それはどうも。 ってか、俺たち夫婦でもなんでもないけどな」

「え~! ひど~い!結婚だってしたのに~!」

「確かに結婚したけど、俺たち夫婦じゃないというかなんというか……」


 ほらややこしくなってる!!

 確かに結婚したけどあくまでゲームのもの。ゲームで実家に帰るとしてもそんなものはこのゲームに存在しない。

 ……いや、みんなストーリーが一緒だからスタート地点も同じなわけで、つまり実家はプレイヤー全スタート地点、全員同じ場所になるのか?

 なんだかゲームの根幹に片足突っ込んでる気がするし、考えるのはよそう。


「でも帰るのは本当だよ。明日、ちょっと朝イチで東京まで行ってくるね」

「そうなのか?」

「うん。事務所の社長が顔出せって煩くって。そのあと本当に実家に帰るからこの街に戻るのは明後日……。明日はゲームもインできなくなるかも」


 唐突に帰るというから何のことかと思ったが、そういうことだったのか。

 一昨日、彼女は突然アイドルの休止を発表した。2日前だというのにもう随分と昔のことのように思えるが、まだ何かしらすべきことがあったのだろう。


 ゲームも……か。

 ここ一年、アイドル業を続けながら、時間はまちまちでも確実に顔を出していた彼女。インしないのは初めてかもしれない。


「なぁに~? そんなに私と話せないことが寂しい? 大丈夫だよぉ~!たった一日だけなんだから~!」

「……なに馬鹿なこと言ってるんだ。雪と同じくトリップでもしたか?」


 一瞬心の内を言い当てられたような気がしてドキリとしたが、そんなことはないと大げさにため息を付いてみせる。

 寂しくはない。ただ珍しいだけだ。彼女は1年ずっと根性でインしてきたのだから。アフリマンという目標を終えたのだしゆっくりするのもいいだろう。


「でも大丈夫!ほら、昨日取ったサクラのアイテムあるじゃん?」

「あぁ。さっきもう作ってあるって言ってたやつな」


 そんな流れで唐突に告げられるアイテムのこと。昨日取得したアイテム。カラオケの時は秘密と言っていたが?


「そう! それだけなんだけどね……えっと、その……」

「…………?」


 なんだかどもってしまっている彼女に俺も疑問符を浮かべながら首を傾げる。

 なんだ?あのアイテムが東京帰るのとなにか関係でもあるのか?


「そのね!あれ、作ったからセリアに―――――」

「こんばんわ~」

「――――!!」


 俺に―――。

 そう何かを伝えようとしたところで、突然発せられた第三者の声に思わず俺たちは身を震わせるほど驚いてしまった。

 このボイスチャットに来れるのは俺たちを含めて4人しかいない。そして慌ててログを見るとついさっき3人目の人物がログインしているのが見て取れた。………見逃していた。


「あれ?2人居たはずなんだけどな。 見間違えたかぁ?」

「……えっと、こんばんわ!セツナ!」

「あ、いたいた。ばんわぁ。 昨日は悪かったな。言うだけ言って落ちてよ」

「全然!あれから俺も地図だけやって落ちたから!」


 そんな第三者の声に戸惑いつつも答えたのはアスルだった。

 その声は直前までの生声と違い、ボイスチェンジャーを使って聞き慣れた男声によるもので、新たに来た人物へ気さくに挨拶をする。


 第三者。その名はセツナ。

 アフリマンを倒したメンバーの3人目で、攻撃を叩き込むアタッカーの役割を担う者。

 アスルほどじゃないがこの一年結構な頻度で一緒に遊んでいて、彼もまた良い仲間だ。


「そっかぁ。ねぇ、さっきなんだか女の子の声しなかった? 何か焦ってるような感じの……」

「「!!」」


 そんなセツナのふとした疑問が、俺たちの心を揺さぶった。

 ヤバい……このボイチャに女性はいない。だからこそ女の子の声は本来ありえないのだ。

 けれど俺たち二人とも気が抜けていてログインしてくる彼に話しかけるまで一切気づかなかった。

 アスルもボイチェンを使うほどだし、性別バレはできることなら避けたいだろう。しかし俺が女だと言い張ることは声帯的に不可能。となれば…………


「あ~、多分それ、俺の妹かも。さっきまで部屋にいてさ」

「え、セリア妹いたの? なんか焦ってるような声じゃなかった?」

「あぁ。未だに水瀬 若葉の休止を引きずってるみたいでさ。そのせいかも」

「そっかぁ。水瀬 若葉ねぇ……あれショックだったよな~」


 会話の隙間からホッと息を吐く音がする。アスルだ。

 すぐ隣にいる彼女のキャラが俺に向かって怒りのエモートをしているが気にしてはいけない。わざわざ自分の名前を出すなと怒っているのだろう。

 信じてくれないかとも思ったが、なんとかセツナは信じてくれたようだ。


「セリアの妹さんねぇ。……構ってあげなくていいのか?」

「構う? なんで?」

「わざわざ部屋に来るなんて寂しいんだと思ってな。 妹は案外寂しがり屋が多いって話だし」

「よく知ってるな。 セツナにも妹が?」

「うんにゃ、経験則」


 妹がいないのに経験則?なんじゃそりゃ?

 まぁ雪に限っては問題ないだろう。とりあえずお風呂行ってるということにするか。


「大丈夫だよ。お風呂行ったし」

「そっか。……覗かないのか?」

「誰が妹の風呂なんか覗くかっ!!」

「え~!?覗かないの!?」

「アスルまで!?」


 2人揃ってどういうイメージを持ってるんだ!俺は妹に欲情するような男じゃない!

 あろうことか仲間2人に変態認定される危機。俺は隣のアスルと飛んできたセツナに向かって攻撃スキルを使い対抗する。効かないけど。


 ――――ピコン!


「ん………?」


 ギャアギャアと俺とセツナで騒いでいるそんなおり、声の間を縫って1つのシステム音が聞こえてきた。

 発信源はゲーム。その内の聞き逃さないよう設定した特徴的な音。

 確かこれは個人チャットだ。発信者と受け取り手以外見ることのできないチャット。チャット欄に目を配ると特徴的なピンク色の文字が一行だけ記されていることに気がついた。


『かばってくれてありがとね。 さすが、私の愛する結婚相手!』


 発信者はアスル。

 そんな簡潔な言葉のみが記されていて、フッと心の奥が暖かくなる。


 まぁ、相棒である彼女に感謝されるなら、ちょっとの泥を被るくらいわけないと笑みがこぼれるのであった。

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