013.計画頓挫


「若葉さんっ! 今朝の卵焼きすっごく美味しかったです!」

「そう?よかったぁ。 でもでも、形とかすっごく歪だったし殻とか入ってなかった?」

「殻も形も問題なかったですよ~! むしろミナワンの手料理を食べられただけでもあたしは……」

「も~! 私はそういうのじゃなくって料理の腕が大事なんだから~!」

「もちろん腕もですよっ! 初めてとは思えないくらいでした!」


 道を歩く少し前から、少女たちの微笑ましい会話が聞こえてくる。

 一人は我が妹、雪。徐々に差し迫っている受験勉強のプレッシャーから一時抜け、休暇となった雪は数ヶ月ぶりのカラオケに胸を踊らせている。

 その上機嫌さは、まるでもう合格通知が来たかと錯覚するほどのハイテンションぶり。まさにこの世の春のようだ。


 無理もない。雪のハイテンションの理由はその隣を歩く少女が起因しているのだから。

 隣を歩くは水瀬 若葉。雪の大好きなアイドルであり、いわゆる推しというもの。

 つい昨日、突然ここらへやって来た彼女。それは何の因果か今朝早くからウチに駆けつけ、あろうことか2日連続でカラオケへと洒落込むこととなってしまった。

 雪にとっては水瀬さんと初めてのお出かけ。推しと一緒に出かけるとなったから、そりゃあ『雪』の名に似合わず激アツになって溶けてしまいそうになるほどだ。

 俺だって名取さんと一緒に出かけることとなったら内心そうもなろう。まぁ、昨日は失敗したのだが。


 ちなみに雪も外での目は気にしているようで、『ミナワン』という呼び名は封印している。ファンに周知された呼び名って危ないしね。水瀬さんがそこそこ普通の名前で良かった。


「でももっと上手になりたいなぁ……。雪ちゃんはどれだけ作れるの!?」

「あたしは全然ですよっ! 卵焼きは早くから作れるようになりましたが、レパートリーも全然で……」

「ほかも作れるんだっ! 凄い凄い!例えばなに作れるの!?」

「っ――――!」


 ちょーちょー。

 いつの間にか随分と仲良くなってるのは良いことなんだけど、雪にあんまり詰め寄るのはやめてあげて。

 ただでさえ推しと一緒に歩けてハイテンションなのに、そんなに詰め寄られちゃキャパオーバーしちゃう。


「えっと……その……。レバニラとか……チャンプルーとか……」

「うん!うん! 他には他には!?」


 同年代の子が作れるのが珍しいのだろうか。水瀬さんの瞳の輝きは増すばかりで逆に雪の勢いがなくなってタジタジになってしまっている。

 あと雪、のラインナップってあれだよね。ライブの遠征で倒れないよう、体力つけるために覚えたやつだよね。


 ……ん?雪、頭捻りながらこっち見た?


「う~ん……う~ん……あっ!そういえばあたしよりもおにぃのほうが料理上手です!」

「えっ!そうなの!? 陽紀さん!」

「俺ぇ!?」


 雪!兄を売るのか!!

 せっかく憧れの人とお近づきになれたのにキャパオーバーしちゃって!体力の次は精神力鍛えなさいっ!


 雪の誘導によって向けられていた水瀬さんのヘイトがキッ!と鋭い音を立ててこちらに向けられる。

 妹よ……ヘイトコントロールの術を身につけたのは凄いけど俺ヒーラーだからすぐ溶けるのよね。え、そういう話じゃない?


「陽紀さんも作れるんだ!得意料理ってなに!?」

「えぇと……卵焼きはもちろん、オムライスとかオムレツとか……」

「お兄ちゃん、卵料理好きだもんね~」


 卵料理はね、奥が深くて楽しいんだよ。

 もちろんプロには負けるが妹と比較したら一日の長。1年上の俺が若干上手い。

 しかし彼女は料理初めてと言っていた。それであの玉子焼きは上出来だろう。


「そうなの!? 今度私にも作ってくれる!?」

「あ、あぁ。 機会があったらね……」

「若葉さん!その時はあたしの料理も食べてくださいねっ!」

「うん。もっちろん!」


 俺が作るのは全然いいが、雪は自分でアピールしていいのか?

 もちろんその時は腕によりをかけて作るけど、流石に彼女相手に手料理は怖すぎる。


 相手は売れっ子アイドル。その立場や収入から一般家庭のそれを遥かに凌駕する料理を食べてきただろう。

 別に俺は彼女に失望されようが構いやしないが、雪のを食べて「思ったのと違う」とか言われる覚悟があるのだろうか。多分気づいてないんだろうなぁ。


「あーあ、おにぃも料理”だけ”は上手いんだから、それをアピールしたらちょっとは女の子にモテるだろうに」

「おい雪、だけってなんだだけって。他にも……いいとこあるからな」

「でもおにぃ、結局未だに好きな人にアピールできてないんでしょ。 他に良いところっていってもねぇ……」


 それはいつもの兄弟の会話。

 何気ない軽口のたたき合い……のつもりだった。

 しかしここにはもうひとり、ゲストがいる。


「好きな……人?」


 何気ない会話に不思議そうな顔を浮かべていたのは、すぐ側で聞いていた水瀬さんだった。彼女はパチクリと目を瞬かせて耳にした言葉を復唱する。


 あっ……まずい。そういえば水瀬さんにそのこと誤魔化してたんだった。


「ねぇ雪ちゃん、陽紀さんって好きな人がいるの?」

「はいっ! たしかぁ、同じ学校の人で……そうそう!同じ委員会やってるって言ってました!」

「同じ……委員会…………」


 あぁ……あぁぁぁ…………。

 どんどんと妹の口から漏れ出る俺のプライベート情報。


 やっちまった……。俺に好きな人がいることは言わないでいたんだった。昨日の今日で崩れ去る脆い計画。

 いや別に、好きな人がいる事自体はなんら問題ない。リアルの話だし、そもそも彼氏彼女の関係じゃないのだし。

 けれどゲーム上とはいえ結婚した身。ネットでは、リアル夫婦がゲーム仲間の他人と結婚するというという事例が浮気になるかどうかで、度々議論になるのだ。

 彼女はどっちなんだ?ゲームとリアルは分けるのか?一緒なのか?


「…………」


 ジッと口元に手を当て何かを考える水瀬さん。

 どれくらいの時が経ったのだろうか。

 1分かも知れないし1秒かもしれない。体感的に長い長い時間が俺を襲う。


「あれ?私何か変なこと言っちゃった?」


 ようやく雪もコトに気がついたのだろう。

 道中でいきなり静まり返る集団。それを理解できないほど雪は空気読めなくもないしバカでもない。


 そんな妹の不安げな言葉とともに、彼女は動きだす。ゆっくりと。俺は彼女の反応を固唾を呑んで見守った。


「セリア?」

「…………」


 ここで敢えてキャラ名を告げたのは何か特別な意図があったのだろうか。

 もちろんそんな事を問うわけにもいかず、彼女の瞳と言葉が俺を貫いた。


 水瀬さんの丸い目が俺に向けられるのを、ギギギっと油のささっていない人形のように首を動かして目を逸らす。

 ここで対応を間違えたら大変なことになりそうなことだと直感した。だから黙秘。精一杯の黙秘。

 完全にドンピシャなのだが応えたくのない意。彼女はそんな俺の意図を汲み取ったのか、「そっか」と小さく呟くだけで収めてくれた。


「じゃあっ! そんな思いを応援するために、私も応援ソング歌わなきゃね!雪ちゃん、走ろうっ!」

「えっ!? あ、うん!!」


 なにやら変な質問になって訪れる変な空気。

 それを一気に断ち切ったのは他でもない水瀬さんだった。

 彼女は突然雪の手を取って走り出す。


「大丈夫……だったの?」


 2人が消え去った中、俺は立ち尽くしたまま2人の後ろ姿を目で追う。

 水瀬さんは驚いたけれど、それだけだった?俺に追求しないということは、リアルとゲームは分けている……?


「おにぃ~! 早く~!電車来ちゃうよ~!」

「…………えっ!あぁ、うん!」


 雪の呼びかけに気づいた俺も、2人に追いつこうと遅れて走り出す。

 そうして訪れたカラオケは、殆ど水瀬さん、次点で雪の独壇場で、俺は心地よい歌声を耳にして大いに楽しむのであった。






 しかし少年はこの時考えが浅はかだったと、後になって振り返る。

 リアルとゲーム。それをキッパリと分けられる者が仕事休止直後に家に来るものかと。あまつさえ、家族の前で結婚報告をするものかと――――。

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